かくれプチ

* by azusa *
■ご挨拶
「かくれプチ」よくぞ発見してくれました(笑)! 旅に出て、もうすぐ1年。今までもオフラインで綴ってきた、他コーナーとは少々味の違う私の徒然草を、こちらに記していこうと思います。
旅をしながらのプチ日誌なので、“旅してプチ日誌”とも呼んでいますが、こそっと更新しているので、「かくれプチ」とも呼んでいます。
*since 11may07
  ima 'tabisite' imasu.

*archives




©2007-11 azusa

2008年1月20日

新年の抱負の1つとして、爪をきれいにキープすることを決めてみました。

長旅の荷物に除光液を持ちたくないのは全員共通の意見?
だからマニキュアしてる長期女性トラベラーに出会ったことがないけれど、
除光液を持たずに、ちょっとやってみようと思います。

中東イエメンに来て、ワタシ、毎日が黒オバQです(アバヤという黒装束で身を包む状態)。

イスラムの預言者モハンメドの教えによると、ムスリムの女性は目と手しか露出してはなりません(結婚を禁じられた相手には露出しても良いが外出先では厳禁とされる)。そんな背景から、中東の女性たちのお洒落は、アイメイクとネイルに集中されているのです。

2009年1月8日

世界旅150日めにアフリカに入り、609日目に、アフリカとの別れ。
突然のお別れでした。
エリトリアとの戦争の影響で国境封鎖・・・、やむなく、やむなく。

アフリカ54ヶ国を過ごした460日間、1年4ヶ月。
寂しいねって、イエメンへ向かうオンボロ木造船の上で語り、460日間の思い出を語っていた。

  

  アフリカとの別れは寂しい。けれども素晴らしいアフリカに、感謝。

2009年1月4日

この雑誌のHPも面白そう。
http://www.ideasmag.co.za

2009年1月3日

「Spinach Flan」(ほうれんそうフラン)

ほうれんそうを上手になめらかにふわふわに仕立てたお料理、大好きです。南部アフリカではある程度の調理済みほうれんそうが冷凍食品コーナーでも売られているのですが、その作り方を見つけました♪

ベシャメールソース材料:バター50g、小麦粉大2、牛乳500mL、塩(海の塩がよい)、ひきたてナツメグ1つまみ、ひきたて白胡椒。
ほうれんそう用:あらったほうれんそう1.5kg、バター25g、おろしたてパルメザンチーズ30g、Lサイズ卵3つは白身と黄身を分離。
その他:バター25g、耐熱容器用に分量外バター、乾燥パン粉50g

ベシャメールソースの作り方:
牛乳を沸騰直前まで温める。
別のフライパンで弱火でバターを溶かし、小麦粉を2、3分(膨らむまで)炒める(茶色くしない)。
ルーに牛乳をゆっくり入れ、スムースになるまで混ぜる。
塩、ナツメグ、胡椒で味付け。
時々混ぜながら3、4分(クリーミーかつスプーンから太く落ちるようになるまで)弱火調理。
火からおろして30分ほど置き、冷ます。

フライパンでほうれんそうを中火で簡単に炒める(洗ったあとの水分でやわらかくなるまで)。
水分はフライパンから捨てる。
手に持てる温度に冷めたら水分を絞り、ざく切りに刻む。
フライパンでバターを溶かし、ほうれんそうを入れる。
塩と胡椒で味付けをして、ほうれんそうの水分がしっかり飛ぶまでソテーする。
パルメザンチーズと卵黄と大さじ4のベシャメルソースを混ぜる。
そこにほうれんそうを入れて混ぜる。
オーブンを180℃で予熱。
きれいで濡れていないボウルで卵白を角が立つまで泡立て、ほうれんそうにそっと混ぜる。
約23×30cmの浅いオーブン皿にバターを塗りパン粉を敷く。
ほうれんそうを均一に入れ、残りのベシャメールで覆う。
30分(もしくは表面が堅くなりはじめるまで)焼く。

スクエアに切り分けてサーヴするとよい。

2009年1月1日

あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします。

昨年のお正月はリベリアで、今年のお正月はソマリアで。
何ともアフリカ2大紛争地での年越しです。
友人からは「ツウな年越しですなー」と、メール(涙)
・・・そう、ツウもツウですのよ、偶然なんですけど(涙)

ソマリア(から独立したがっているソマリランドの首府)のハルゲイサにいるわけですが、ここはあまりに平和で、人も良く、食べ物のレベルがかなり高く(とびきり美味しい)、ハルゲイサはお気に入りの街です。次のジブチでのエリトリアビザ取得のタイミングが難しく日程が限られるので、それを見計らうと、ハルゲイサには1週間滞在できます。美味しいソマリアごはんにハマっていやん次に動けるかしら♪

2008年12月20日

“裸族の旅”が、終わりました。

12月10日 南スーダンカポエタ、トポサ族の町。あまりの裸族の数に驚く。
12月11日 南スーダンナルース、トポサ族の村。ここがあまりに良すぎて。
12月12日 ケニアロキチョキオ、トゥルカナ族の町。いやー首長族だった。
12月14日 ケニアロドワー、トゥルカナ族の町。ここも首の長い人がいっぱい。
12月16日 ケニアトゥルカナ西ルート突入、トゥルカナ族はここでも美しい。
12月17日 エチオピア南西部オモラテ、美しい裸族、ダサネッチ族の村や町。
12月18日 エチオピア南西部トゥルミ、装飾が見事なハマル族の町。
12月19日 エチオピア南西部ジンカへ。道中ハマル、バンナ、アリ、様々な族。
12月20日 エチオピアジンカの土曜マーケット、ムルシ族いぱーい。

ここまで来たら外界と道がつながるので、秘境ルートもおしまいです。

  

  おっぱいパツンパツン!のムルシ族ですのよ。

2008年12月17日

今日、私たちは、不可能と言われているルートを可能にしました。
ロンプラ(最大手英語ガイドブック)に不可能と書かれてあり、ロンプラ掲示板でも何件も「行ってみたい」と書かれているけれど、行ける保証を示すリプライのないルート。砂漠を40km、飲む水を得られないで歩くというのですから、命を賭けて行く秘境ルートです。メリル(殺人強盗族)も出ると聞きました。

でも私は、エチオピア南西部、夢の古代民族地域からエチオピアに入国したくて、スーダンにいるときから、会う人会う人に、エチオピアダイレクト入国を可能にする車はどこにあるかと尋ねまくっていました。生きる自信はある。そして和人もトライすると言ってくれたのですから、私も頑張らなければなりませんでした。

そのルートとは、ケニア北西部からトゥルカナ湖西岸沿いにエチオピアへ北上するルートです。公共の移動手段はもちろんありません。そしてそこは、さまよい込んだら死に神が迎えに来る、そういった意味で、最も過酷な、最も旅行者を阻むルートです。

でも本当に今日、成功したよ。助けてくれた優しい人々にも感謝いっぱいしなければいけない。来るまで何日も、怖くて怖くて、本当に怖がっていた私。

オモラテ・・・エチオピア南西部の秘境の村で、シャワーを浴びるとき、上を見たら満天の星が見えたとたん、生きて来れたことに、わんわんと声を上げて泣いてしまいました。

  

  ユバちゃんって言うの。裸族ダサネッチの可愛い少女に出会った。
  左後ろが、裸族でしょ。

2008年12月11日

秘境、南スーダンの南東部。・・・見つけた! 裸族の村!

  

  こんなにいいところなのに、ツーリストがまったく来ない。
  だから、写真を撮られてもお金を要求することを、知らない。

地図にも地名がない村へたどりついたなりゆきは、いずれ、旅日記にて。
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