かくれプチ

* by azusa *
■ご挨拶
「かくれプチ」よくぞ発見してくれました(笑)! 旅に出て、もうすぐ1年。今までもオフラインで綴ってきた、他コーナーとは少々味の違う私の徒然草を、こちらに記していこうと思います。
旅をしながらのプチ日誌なので、“旅してプチ日誌”とも呼んでいますが、こそっと更新しているので、「かくれプチ」とも呼んでいます。
*since 11may07
  ima 'tabisite' imasu.

*archives




©2007-11 azusa

2010年7月21日

タンナ島の魅力は、世界で最も観光客が近づける「ヤスール火山」にあります。
私たちは早めに登頂していたのですが、途中からガイドも後ろずさりをするほど活発になり、管理局より「10分以内に下山命令」が出ました。でも、素晴らしい、帰れない。私はガイドに「あなたに従います」といい、ずっとそこにいた。

  

  どーん・・・ぐらぐら(噴火の後は地面が揺れる)

2010年7月20日

私が太平洋で一番好きなのは、愛するバヌアツです。秘境タンナ島へ、再訪しました。

航空券だけ持って、何の予約もなしに、飛び込んだ。
昔少年に一瞬だけ聞いた、あの村の名前だけを憶えていた(≫こちら

そのへんのおじさんに「ヤタプー村に行きたい」と、行ってみる。
そうしたら、そうしたら・・・

村の酋長が来た・・・、私を憶えていてくれた、「一緒に行こう」とトラックの荷台に私を乗せてくれた。そうして私は「酋長友人」として村人に歓迎され、3泊4日を過ごした。「女性が飲むことは掟破りで生き埋めにされる」というカバという飲料も、特別に、飲ませてもらった。

  

  ナンバスという、ペニスサックをつける男たち。
  私は、バヌアツが、大好きだ。

2010年7月5日

私たちがハンガリーの首都ブダペストにいたとき、ギユム兄さんちに滞在していました(≫こちら)。先月と今月はギユムが日本へ旅行に来ています。私たちがいれば是非会いたかったのですが、ギユムごめん、会えない(ーー;;

替わりに、せめてあのときお世話になった御礼にと、東京滞在中のギユムに、「神奈川県のあづさの実家で、日本のごはん体験はいかが?」と両親の了解のもと提案しました。それが今日7月5日です。

母からのメール:「金目鯛の煮付け(あづさ弟が八丈沖で釣った大物)、鳥の空揚げ、豚のしょうが焼、マグロとサーモンの刺身、冷ややっこ、枝豆、筑前煮、キュウリの浅漬け、シシトウ、トマト等、いわば我が家の定番料理。納豆は苦笑いしてた。ドリンクはビール、日本酒、紹興酒。」

ギユムからのメール:「It was just delicious! Your parents were very nice with me and the little dog was very funy! How greatfull I am!」

・・・それにしてもすごいご馳走だ、うちの母、頑張りすぎだ。ギユムちゃんは我が家に1泊して帰っていきました。もし、みんなにとって良い体験となる1日であれば、私も嬉しいです。

とりあえずナアマ(≫こちら)が、私たちの帰国後を狙って日本に来ることが確定w

こうやって、海外で出会えた友人と、いつまでも縁が続くことが、私の希望です。

ギユムが当日の写真を送ってくれたらここに載せようかな。

2010年7月4日

「2人の世界旅200ヶ国♪」が目の前です
(多分来年の帰国時には230くらい行くかな、頑張ろうっと!)。

そしてあづさ自身は世界の料理と食文化を訪ね、「世界料理研究家研究中」の如くお勉強。そんな私も、テレビ番組の制作に「レシピ提供」という形でお仕事をすることができました。世界で最も暑い国、アフリカのジブチの主要民族はソマリ人(お隣ソマリアと同じ人々がいるのですがヨーロッパの国境線引きで分断されている)。そのソマリ伝統料理である「ベール」(ラクダの肝臓ソテー、オリジナルは≫こちらや≫こちら)が、紹介していただけました。嬉しいです。

  

  「ザ!鉄腕!DASH!!」7月4日放映分より(本写真掲載の件は日テレ報告済み)。
  TOKIOの城島くんが美味しいと言ってくれて嬉しい。
  ソマリ人居住地域はイスラム全盛期のスパイス交易地、スパイス使いが美味しいのよ。

2010年6月29日

ウォーリスアンドフツナ。「どこそれ」って思われる率高し。フィジーの近くのフランス海外県の国です。

到着翌日から・・・祭りキター!! 焼かれた豚が100頭以上地面に並べられて、向精神薬的作用を持つ「カバ」を次々飲む儀式に、3000年のポリネシアの歴史を感じた。

すごいすごいすごい、こんなに伝統を残した国が、未だあったなんて。

  

  そしてごちそうが並ぶ。ワインも続々並ぶ。私たちも食べた食べた食べた!
  味付けは太平洋諸国の中で、今のところナンバーワン! いいよウォーリス!

2010年6月27日

フィジー人民家でへとへとになったとき、私はインド人の優しさに救われた。勤勉な働き者のインド人は何て優しいんだ!(油売ってるインド人は優しくなかったですw)

私は決めた。インドに行くまでに、ヒンディー語のビギナーレベルはマスターしてやるっ。あの全然読めない謎の文字も読めるようになってやるっ。そして私はインドのスパイスを極めるのだぁ~あああ。

  

  こういう素材からホンマモンのカレーが作れたら幸せと感じませんか?

2010年6月25日

フィジーに来ました。大学院の同じ研究室同じ学年の友人が「おまえ、フィジーは良かったぞぉお」と新婚旅行話を言ったもので、それから10年以上経つ今までの間、フィジーは「美しくてきれいな南国パラダイス」の、ヤシの木がサラサラを葉音を立てるような爽やかなクリスタルのようなイメージがありました。

が、いざ来てみると、クリスタルなんかじゃない。もちろん人があまり住んでいない離島は海がきれい、のほうが目立つのでしょうけれど、基本的にはフィジー人(メラネシア人。髪の毛チリチリでアフロアフリカンみたいだ)と昔インドから来た労働者の子孫(今もかなりそのまんまインド人)が住んでいます。アフロアフリカンとインドの混合と聞けば町もきれいじゃないし人でごった返すイメージ、分かりそう? きれいに見えないのはその歴史ゆえの町の古さもあると思いますけど。

この旅でゴマンときれいな海ばかり見てきたので(カリブ海と今いる太平洋が多い)、しかも今はあの白亜の楽園、離島どころか絶海の孤島のトケラウの直後。べらぼうな金額を払っていまさら宿も古くなっている離島に行く気にもならず、むしろ「フィジーらしいフィジー」を見るべく、フィジー人最初の定住地であるフィジー人村で5泊民家に宿泊し、快適度の低いところでの暮らしを体験してきました。マジつかれたっす。

  

  とーちゃんの~、手作り晩ごはん~。

2010年6月19日

トケラウへ行くことは、ピトケアンに行くことに続き、多分渡航方法という面では世界で2番目に難しいことでした。特に和人が、トケラウ(と、ついでに弾丸突撃となった米領サモアも)の旅を終えて、ちょっと脱力気味、ほわんとしています。

とはいえ休息できる時間は丸1日もありません。次はフィジーへ向かいますから、撮り貯めた写真のバックアップから日記からサイト用の情報整理から、忙しい。・・・ひょっとしてこの旅の間ずっと忙し・・・(ry

  

  サモアの教会はみんな白い衣装で参加します。
  この子の目の輝きにちょっと吸い込まれそうね。
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