ロシア、ボルガ&ウラル周遊

エカテリンブルグ→ペルボウラルスク→エカテリンブルグ

 市バスに乗って駅近くのバスターミナルへ。朝食をとった後、ペルボウラルスク行きバスに乗ってアジア・ヨーロッパ境界モニュメントを訪れる。
 ユーラシア大陸をアジア大陸とヨーロッパ大陸に分けるのは、エーゲ海や黒海より北で大陸がつながっているのを知らなかった古代ギリシャの頃からの流れで、実際に境界が引けるものではない。ユーラシア大陸が認識された後も、ヨーロッパ人たちは、アジアとヨーロッパを分けることを好み、境界を定めようとしてきた。そして、新たな定義が持ち出される度に、その境界は東になるという。つまりヨーロッパが拡大し、アジアを侵食していく。という訳で、その大陸境には大きな意味はないが、洋の東西で文化が変わるのは確かであり、旅人には興味深いものである。境界はロシア第4の大都市エカテリンブルグの西を南北に走っており、そのことを示すモニュメントもたくさん建てられている。
 バスを降りた場所にあるのはオールドモニュメントと呼ばれる境界モニュメントで、赤い線は大陸境界を示している。
17/07/26 16:23:20
 現在一番人気があるモニュメントはオールドモニュメントから北に5分ほど歩いた場所にある。この辺りで大陸界モニュメントといえば普通ここを指す。
17/07/26 16:30:40
 2大陸をまたいだ写真を撮ったりしながら、モニュメントの辺りにしばらくいたが、売店さえない場所でそんなに時間はつぶせない。そのまま戻るのも何なので、近くのペルボウラルスク向かって歩き出した。街の一番端に着いたところで、にわか雨。目の前にはカフェがあり、そこに入るべく雨が降ったような気がしたので、入った。ロシアのカフェは、基本的には食堂である。1リットルのポットティーを頼んでのんびりしていたら、地元民が車で次々とランチにやってくる。人気カフェのようなので、まだお腹は減っていなかったが、ペリメニを食べてみた。うまい。
 雨が止んだので、散歩を再開。木造家屋の並ぶ雰囲気の良い田舎町だ。
17/07/26 18:42:02
 こんな田舎でもしっかりとモスクがある。
17/07/26 18:44:58
 素敵な家の写真を撮っていたら、家の前の菜園にいた人が何やら呼んでくれた。
17/07/26 18:47:00
 菜園を見せてもらっていたら、おじいさんが収穫を始め、土産の野菜をたくさん頂くことになった。
17/07/26 18:51:34
 コンクリートの工場なども見えるが、住宅は木造ばかりで美しい。
17/07/26 18:58:38
 だんだん街中に進んで、ちょうどエカテリンブルグ行きバスが来た時に、散策を切り上げ、帰路に着いた。途中でバスが故障。次のバスに乗り換えさせられた。
17/07/26 19:50:18
 エカテリンブルグに戻り、エカテリンブルグの観光を始める。エカテリンブルグは1723年に設立の歴史ある街。古い建物もたくさん残っている。ロシア第4の大都市だけあってか、交通量が多いのが残念なところだ。
 街の中心は、1905広場で写真の市庁舎やレーニン像などがある。
17/07/26 20:41:56
 イセット川が1905広場の東を北から南に流れており、その両側に公園や博物館が並んでいる。
17/07/26 20:48:22
 1817年、ちょうど200年前に建てられたこの建物は、セワスティアノブの家と呼ばれている。
17/07/26 20:51:04
 エカテリンブルグの発展は、ウラル山脈で産出される鉱産物を使っての重工業による部分も大きく、イセット川岸の公園には、製鉄所に使われていたという巨大な機械が展示されていた。
17/07/26 20:56:08
 中心部は高層ビルもある近代都市だが、歴史ある木造の建物も数多く保存されている。写真は1827年建築の商人ステパノフの家。
17/07/26 21:03:26
 エカテリンブルグを訪れる観光客が必ず訪れる場所が、血の上の教会。1918年7月17日の夜、最後のロシア皇帝ニコライ2世と彼の家族が撃たれ場所がここ。教会は2003年に開かれた。
17/07/26 21:32:52
 ロシア最大の教会の一つといわれるだけあって、広くて、美しい。
17/07/26 21:59:04
 ラストログエヴカリトノフ宮殿は、血の上の教会の向かいにあり、ウラル地方で最も壮大な邸宅だといわれている。
17/07/26 22:13:36
 ヴォズネセンスコエ司教教会は、公園の奥にそびえる美しい教会。
17/07/26 22:16:12
 野菜をたくさんいただいてしまったので、夕食は宿のキッチンを借りて自炊。たくさん歩いた後に飲む酒はうまい。
17/07/27 01:13:16