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グアム ヤップ パラオ 2012
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グアム、ヤップ、パラオの旅
ヤップ5日目 ウォロウォ、オカウ、コロニア
子供達を朝学校に送ってから戻ってくるので魚市場に行こうとレイモンドが誘ってくれ、朝食後待っていたが、9時を過ぎても彼は戻ってこない。遠くのオカウ村まで行こうと決めていた日なのに、当てにならない南の島の約束で1日潰すのが怖い。レイモンドとの約束と魚市場を優先させ、一人でも待っているというあづさを残し、一人で出かけることにした。
宿からコロニアまでは10分ほど。そこから歩く人などほとんどいない空港方面に足を向ける。教会などを見つつ、空港とヤップ島の北に向かう分岐までが歩いて40分である。ここからは一本道なのでヒッチをしても良いかなと思いつつ、ひたすら歩く。分水嶺を越えると島の反対側の青い海が見え、その辺りで休憩。下りは歩きやすいのでヒッチを試みることなく、ひたすら歩く。下りきって、また平地になった辺りで、ヒッチをしようかなと後ろを見たら、合図もしていないのに車が停まってくれた。優しいヤップ人である。しかもこの人はその辺りの村人だったのに、オカウまで送ってくれることになり、感謝。歩くと遠い道も車ならあっという間、5分もかからずオカウに着いた。
オカウ村はヤップで一番の男の家と石貨銀行のある村とガイドブックに紹介されている。男の家は、男達が出漁の前日に泊まった集会所で、戦いの前に集まって会議をする場所などでもあったそう。メインロード沿いにあるオカウの男の家は確かにバラバットのものや博物館のものよりも立派だが、洋風建築で、伝統文化に興味がある者としては残念な建物。その周りにも大小たくさんの石貨は並べてあるが、ほとんどがオキーフ時代のもの。しかし、これは島一番という石貨銀行ではなく、石貨銀行は村のもっと奥だった。
男の家の前から続く石の道を歩いていくと一軒の家があり、ここで村に入る許可をもらい、先に進む。タロ畑やヤシの林を抜けると民家が点在、軒先には古そうな石貨がどの家にも置いてある。道が分かりにくくなったところで、民家にお邪魔し、石貨銀行の場所とコロニアに抜ける道を教えてもらった。
オカウの石貨銀行は確かに見事なものであった。車道に沿って並べられているバラバット村とは違い、ジャングルの中に続く石の道に沿って並べられており、これが厳かな雰囲気をかもし出している。時代を感じさせてくれる苔むしたものばかりで、割れたりしたものも多い。石貨で重要なのは、その石貨にまつわる来歴で、割れても価値は変わらないというのがおもしろい。一番大きな石貨は地上に出ている部分だけでも軽く2メートルはあり、地中に埋まっている部分を足せば直径3メートルありそうな大きさだ。今回の滞在中で見た最大のもので、もちろん今も価値ある古い時代のものである。ちなみに“最大の石貨”=“世界最大のお金”は、ツアーでしか行けないルムング島にあり、直径3.6メートルとのこと。
小川沿い、石貨銀行の先に続く石の道が、コロニアの近くに続いているという。歩けば1時間半はかかる車道を戻るのも嫌なので、その道をさらに奥へと進んだ。民家が切れても道の整備はしっかりしており、タロ畑やココヤシ林、ビンロウ樹の森が続く。もう峠が近いと思われるところに、ビンロウを採りに来た若者がいた。彼によると、「道がきれいなのは村人が入るこの辺りまで。その先はずっと人が通らなくなっているので、崩れているかも知れず、止めた方が良い」という。忠告を頭に入れ、さらに進んだところ、道はすぐに荒れ、進むのが困難になった。結局あきらめて車道に戻る。
歩き出して10分も経たないうちに車が通り、ヒッチハイク成功。帰りはコロニアまであっという間だ。コロニアからホームステイ先のウォロウォに向かう途中で遅い昼食に出ようとしていたあづさとうまく会え、一緒にコロニアへ。狙っていたローカルフード満載の弁当を買って、公園で昼食。歩き疲れていたので、これ以上散策することなく、ウォロウォに戻った。
この夜は大きなカツオの刺身を2人で一尾分たいらげる。切り方は日本と同じだが、この家のタレは、ヤップでも人気の日本製わざびは使わず、醤油に庭に植えた木から採ってくる金柑と唐辛子などを混ぜたタレ。日本近海のカツオほど締まりのない南洋のカツオには、このピリ辛タレがよく合う。昨日買った一升瓶のヤシ酒と山盛りの刺身は疲れた体に最高!
ちなみにヤップでは、刺身は「さしみ」、わさびは「わさび」、金柑は「きんかん」と日本語そのまま。弁当も「べんとう」、ご飯は「こめ」と呼んでいる。