ジュンベシとダフラティ

daaf

10000アフガニーの見分け方
は左の写真でお分かりだと思います。紙幣上部にある文字の a と A の白枠が、接しているか、接していないかで見分けるのです。接していなければそれは「ジュンベシ」、接している場合はさらに裏面を見て紙幣の通し番号の最初の2桁が34までなら「ダフラティ」、35以降は接していても「ジュンベシ」です。
(拡大してみると字体も違うのがわかりますね。修正はされても同じ原版、同じ印刷所で作られたはずなのですが…)

 ちなみにもう一種類の
1000アフガニーの見分け方
はさらに困難で教えてもらっても正直ほとんど分かりませんでした。違いは紙幣通し番号の字体のみ。ジュンベシの方が比較的太いのですが、よく見比べないと分かりません。「一枚だけ見ての判断は両替商なら分かるだろうが、我々は区別付かない」と教えてくれた人が言うのですから、旅行者に判断できるはずがありません。詳しく聞いたのは北側にいるときで、1000は数字など見ないで全部価値の低いジュンベシ扱いにするとか。「大して価値のないお金なんだから気にするな。」と言われ、これ以上は聞けず。旅行者の興味として聞いていると説明はしたのですが…(当時の1000アフガニーはジュンベシで1円強、ダフラディでも2円強)

参考までに

当時存在していたダフラティは
10000、5000、1000、500 の4種紙幣
ジュンベシは
10000、1000 の2種のみ

北側の街では物の値段はジュンベシが基準。実際のやり取りにはジュンベシとダフラティの5000、500を混ぜていました。

南側の街でジュンベシが回ってくることは一度もなし。インドや中国でこの状況なら受け取ってしまったジュンベシはまず旅行者に回そうとすると思うのですが、アフガン人はやはり人が良いんでしょうね。

2種類の札が存在した簡単な経緯について

 真相は分かりませんが、一応の説明をしておきますと

 ダフラティがもともと使用されていた紙幣です。タリバン政権が首都を制圧した後も使用通貨の変更はせずアフガニスタン全土でダフラティがアフガニスタンのお金でした。首都を追われた旧政権が中心である北部同盟をロシア政府が認めていた関係もあり、ロシアで行われていた紙幣印刷の権限は北部同盟側が握ったままでした。そこで実質政権を奪われ金に困った北部同盟は紙幣の乱造を思いついたのです。これがデザインが全く同じで35番以降のジュンベシ。タリバン政府がこれに気がついて、35番以降の紙幣は偽札と断定、この時からタリバン政府支配地域ではジュンベシが使えなくなりました。そこで北部同盟側はその対策としてそれまでの正式な順番の紙幣ではない若い番号の紙幣を刷りだしました。この時点からは正式通貨発行権など関係なく純然たる偽札作りを励んだようなものですが、なぜか区別を付くように Da AF の部分を細工したのです。当然区別が付けばいつかはばれます。しかし、北部同盟側は正規の紙幣としてジュンベシを発行しているのでばれた以降も北部では流通します。北でしか使えないのでは不便で価値の差が出来たわけ。
 ジュンベシが10000と1000の2種類なのは、カブール陥落時に北部同盟が10000と1000の原版だけを持ち出せたからと聞きましたが、そうなると元々はカブールで印刷していたの? という疑問が出てきます。良く分かりません。

*今はデノミされ、ダフラティーの旧1000アフガニーが1アフガニーです。新札は小さくておもちゃみたいな感じでした。

11NOV2003