南極・アルゼンチン 1999 | 南極クルーズは往復傾斜が100°を越える、20年に一度の大揺れにみまわれた。船内で骨折者が出て、厨房では火が使えず、船内は嘔吐物が飛びかい、クルーズ終了時には救急車が数台待機しているほどの悪魔のクルーズとなった。 |
アラスカ 2000 | デナリ国立公園の中のホテルで、国立公園観光中に、部屋のすべての荷物が消えていた。どうやら遺失物と間違えられたらしく、国立公園オフィスに届けられていた。 |
ペルー 2001 | マチュピチュから下山するとき、すべての荷物が私よりも1本早い列車に乗っていた。当然アグアスカリエンテスの駅では荷物がないと大騒ぎ。荷物を失ったまま呆然とクスコに戻った。でも荷物は、なぜかクスコの私たちのホテルで発見された。 |
ハワイ島 2001 | ドライブで島めぐりのはずが、年に1度のトライアスロン大会とぶつかり、島のあちこちが通行止め。迂回するとき道に迷い、笑えないほど密林の中に迷い込んだ。 |
中国三峡 2002 | 成都から重慶へローカルバスで移動。ドライバーが『重慶、重慶』とアナウンスして人々が下車しているから降りてみた。しかしそこは目的地の重慶ターミナルではなく重慶市の端っこでの臨時降客だった。中国人に取り囲まれ状況が把握できないままそのバスは発車。ターミナルに行きたい駅に行きたいと中国語の単語を連発していたら中国人に1台の車の中に押し込められ訳分からない方向に車が走っていった。結局その車は重慶駅でお金も取らずに降ろしてくれたが、拉致され誘拐されているような恐怖は忘れられない。 |
エジプト 2002 | 気温53℃のハトシェプストで山を越えて歩くなど、さんざんの暴挙の結果、熱射病で倒れた。 |
オーストラリア 2003 | カンタス航空機内で飲んだローカルビールが、カビの胞子が繁殖しまくっているような濁り酒になっていた。『どぶろくみたいなビールで変わってるねぇ』と言いながら飲んでいたが、次第に視覚がおかしくなってきた。アテンダントに『このビール、変わってますね』と私が見せたらアテンダントがあわてふためく。飛行機を出るとき、機長からファーストクラス用のシャンパンやアメニティー、その他たくさんの贈り物をいただき、帰りのシドニー空港でもお出迎えつき、帰りの飛行機でもサーヴィス満載になった。結局大きな体調悪化にはならなかったからよかったものの、観光中に何か発病するのではないかという恐怖感はもうこりごり。 |
アイスランド・イギリス 2003 | − |
台湾 2003〜2004 | 時に世間はSARS騒ぎ。出発当日インフルエンザが発病しかけ、成田空港で寒気がして、機内で体温が39度を越え、台湾では当然入国時にサーモメーターに引っかかる。その後病院で検査各種、救急治療、診断書の作成を夜中まで行い、そしてそれを台湾政府に提出するはめに。 |
メキシコ 2004 | 旅行会社の人の『メキシコは5月6月が一番暑いですから』という言葉を聞いていたが、現地はヒョウが舞いアラレが降る、日本のお正月並みの寒冷気候だった。 |
エチオピア・タイ 2004 | バンコクの屋台でポクポクという野菜とエビの合え物料理を食べたら、数時間後に食中毒になり、七転八倒の腹痛と発熱と嘔吐と下痢で苦しむ。しかも発症の場所は移動バスの中。バス車内ではずっと車内トイレで人生最大の腹痛と嘔吐と下痢と戦っていた。もしバスにトイレがなかったらと思うと、ゾッとする。 |
韓国 2004〜2005 | − |
カナダ 2005 | − |
ボリビア・チリ 2005 | 事前に万全に調査して出かけたのに、ラパスに到着した日の朝、現地ガイドに「労働省から労働禁止令が出ましてバスターミナル封鎖されています」との悲報。バスで移動する予定だったがプライベートカーチャーターする羽目になってしまった。またその日の夜、ホテルから3ブロックほどのレストランで2人でペーニャを聴きながら晩ごはんを食べていたらホテルに財布を忘れてきたことを思い出し、ホテルへ戻ることに。戻る途中人通りの多い中堂々と男三人に首絞め強盗に遭い、バッグなどを盗まれ気がついたら路上に口から血を流して倒れていた。当然お金は盗まれていないが盗まれたのはパスポート。しかも翌日はメーデーで全国民がお休み、写真屋も大使館も休み。しかしホテルの人が電話してくれた先が政治力のある日本人夫人のところらしく、「助けてください」と泣きついたらボリビアでは2週間かかるパスポート再発給が3時間で終わった。権力に乗っかることができたことと領事をはじめ皆さんが良い人だったお陰で、移動日程を変えずに旅を続けられた。 |
バヌアツ・ニューカレドニア 2005 | バヌアツの離島、タンナ島。宿のオーナーに「明日温泉に連れてって」とお願いしたら、翌朝出発時「1時間半歩くよ」と言われて愕然。「帰りは車で迎えに行くよ」と言われたが帰りの時刻になっても迎えはこない。わめきちらしたあと(笑)、結局トラック3台ヒッチローリーして、すったもんだで宿に戻った。 |
中国(桂林広州) 2005〜2006 | 場所は中国の大都市。ホテルだって空港だって銀行だって日本円から両替できる。素敵なチャイナ服を見つけて、追加両替しようと思ったら「日曜日だからUS$以外は両替できない」と各所で門前払い。聞いてないよ〜(滝汗)。中国おでかけにUS$持っていく?普通?でも私はパスポート再発給用ヒミツ袋に555$もっていて、かろうじて両替ができた。助かった。 |
カナダ 2006 | − |
オマーン 2006 | 最終日首都マスカット市内を観光。デジカムで海や街を撮っていると突然警官2人にカメラとデジカムを押収されてパトカーに押し込められ連行。警察署の留置室に入れられた。「何故お前は銀行を撮っていたんだ」「ツーリストだから街とか海とか撮りますけど」「半年前マレーシア人軍団が同じ手で強盗している、お前もそれだな」「えええええええ」。パスポートを没収され1時間は悠に拘留。偉い人(ジャッジメント)がやってきたので切々と訴え続け、カメラとパスポートを返してもらい、アヤシイ書類にサインさせられ、釈放された。 |
中国(北京)・北朝鮮 2006 | に、肉離れ・・・。 |