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高山病 〜Mountain sickness〜

はじめに 高山病は、私達の日常生活では無縁だが、登山や海外旅行においてしばしば遭遇する。高山病は急性高山病と慢性高山病に大別されるが、高山病の大部分を急性高山病が占めるため、今回は急性高山病に焦点をあてて紹介する。
尚、これは登山や旅行を楽しむ個人への基礎知識として提唱するのが目的であるため、高度な治療やX線検査、ラ音聴診といった、明らかに医師の領域と見られる部分を割愛し、予防と早期処置に重点を置いた。

高度 標高3000mくらいより発症しやすい。2000m台での高山病の報告も多数ある。
4000m以上では常に発症の危険がある。

原因 原因は大きく3つ。最大の引き金は酸素不足であるが、3つの要因が全てリンクして悪循環を招く。

発症機序 1.高所による大気中低酸素
    ↓
   ★生体内低酸素(生体に酸素が少ない)
    ↓
   赤血球数やヘマトクリット値を増やして、酸素運搬能を高めようとする
   (ヘマトクリット値:全血液体積に占める赤血球体積の割合)
    ↓
   ●血液粘度が上昇する
    ↓
   特に肺循環系が不全に
    ↓
   ◆呼吸しても酸素が循環しない → 低酸素性肺血管収縮 → ◆に戻る[悪循環]
    ↓
   ★(生体内低酸素)に戻る[悪循環]

 2.寒冷
(気温低減率は100m0.55℃、高度が3000m高いだけで18℃近く気温が下がっています)
    ↓
   熱を作るために体が震える(shivering)
    ↓
   体の酸素消費量が増える
    ↓
   ★(生体内低酸素)に戻る[悪循環]

 3.運動
    ↓
   体から水分が喪失
    ↓
   ●(血液粘度上昇)に戻る[悪循環]


生体内低酸素症が続くと急性高山病の諸症状がでる

   生体はとにかく酸素を取り込もうとして、過換気になる。
   
(末梢性化学受容器の興奮に伴う)
    ↓
   血中の二酸化炭素を呼気中に排出しすぎる。
   
(大気中に酸素が少ないため、血中酸素分圧の上昇以上に、二酸化炭素分圧の低下が起こる)
    ↓
   ▲呼吸性アルカローシス(動脈血が通常よりアルカリ性に傾く)
   
(血中から炭酸ガスが抜けるため。酸が抜けたらアルカリが残るということ)
    ↓
   頭痛、倦怠感、視力障害、聴力障害、消化器障害などの身体異常

急性高山病の最終段階:脳浮腫が起こるメカニズム

   生体内低酸素状態でも、生体は脳の血流を確保しようとする。
   (脳は酸素多消費臓器であるため)
    ↓
   脳液貯留異常
    ↓
   脳浮腫、頭蓋内圧亢進
    ↓
   精神状態の変化や運動失調が出たら下山や酸素吸入を。
   
(病院での処置にはプレドニゾロンなどの呼吸刺激剤を)
   
(※副腎皮質ステロイドですが呼吸器への促進的影響が確認されています)

急性高山病の最終段階:肺水腫が起こるメカニズム

   呼吸をしても酸素が十分に入ってこない
    ↓
   生体は酸素量と血流比を一定に保とうと、肺血流量を下げる。
    ↓
   肺血管(肺細静脈)が収縮する
    ↓
   肺に血液が入っていかないので、肺の手前に血液が貯まる。
   (肺動脈圧上昇)
    ↓
   肺動脈内の圧力により血管内部が破壊(血管内皮細胞の接合破壊など)
    ↓
   血液成分が肺の組織へ漏れ出す
    ↓
   肺水腫
    ↓
   安静時呼吸困難、咳、胸部圧迫感、胸部充満感が出たら
   下山や酸素吸入を。
   
(病院での処置には血管拡張薬ニフェジピンなどを)
   
(膜電位依存性カルシウムチャネル遮断薬の中でも血管選択性が特に高いものです)

症状 (未だ急性高山病としての症状区分は明確ではない)
 ・意識障害(昏迷、昏睡、眠気、幻聴、思考能力低下など)
 ・消化器障害(嘔吐、嘔気、食欲不振など)
 ・呼吸器障害(咳、痰、喘鳴、息切れ、呼吸困難、多呼吸(→アルカローシスの原因))
 ・頭痛
 ・発熱
 ・チアノーゼ
 ・全身倦怠感
 ・頻脈
 ・睡眠障害
 ・血液異常(赤血球数増加、ヘマトクリット値増加、白血球数増加) 等

HAPE(high altitude pulmonary edema)の重症度分類
重症度 臨床症状 心拍数/分 呼吸数/分
軽度 普通の運動でも呼吸困難がある
軽い労作は可能
110未満 20未満
中等度 軽い労作でも呼吸困難、衰弱、倦怠感
軽い労作もできない
110〜120 20〜30
高度 安静時であっても強い呼吸困難、頭痛、嘔気
チアノーゼ
121〜140 31〜40
重症 昏迷または昏睡、起立不可能
大量の痰、呼吸困難著明
140以上 40以上

特徴 ・発熱、下痢などの体調不良によって誘発されやすい
・日本人は高山病に罹患しやすい(疫学データより)
・男女差については明らかでないが、月経前の女性の方が高山病に強いとされる。
 
(呼吸促進作用のあるプロゲステロンが分泌されている時期なので、月経前の女性は普段から換気量が多い)
・寒いと発症しやすい(原因2を参照)
・判断力が低下するため、単独行動の場合は重症化しやすい
・重症化すると、肺水腫や脳浮腫が起こるが、肺水腫の方が進行が早く死に至りやすい
・肺水腫や脳浮腫例では数百m程度の高度減少では回復しないこともある

予防 ・高所移動前の健康管理
・可能ならゆっくりと高度を上昇させる
・高所では激しい動きを控える
・水分補給(上記●で示した血液粘度上昇を防ぐ。また嘔吐・下痢後の水分補給にも)
・深呼吸を運動中、休息中を問わず心掛ける(浅く早い呼吸になりやすいため)
・安静にする(但し、軽度の頭痛なら軽い運動で消失することもある)
・高地順化しようという意志をはっきりと持つこと
・予防薬の服用(後述)

治療 可能なら低地に降りる。軽度の急性高山病ならば500m高度を下げるだけで軽快する場合も多い。後述する薬物治療も念頭に置くとよい。

予後 軽度の急性高山病であれば予後に心配はない。したがって、薬物による予防を含め、高山病にならない知識を持つことと、高山病に罹患した際の速やかかつ適切な処置が重要である。

薬物 ・酸素吸入(これは携帯するにも不便なため、一般旅行者にはあまり現実的ではない)
・アセタゾラミド(商品名ダイアモックス)
・アスピリン(商品名バファリン)
・その他

アセタゾラミド 【商品名】
・ダイアモックス(レダリー):250mg錠
・アセタモックス(東菱):250mg錠

【作用機序】
 炭酸脱水酵素を阻害し、その結果プロトン(H)を増やし代謝性アシドーシスを誘発
  ↓
 プロトンが増えると呼吸が促進される
  (末梢化学受容器および呼吸中枢刺激による)
  ↓
 ★で示した生体内低酸素状態を改善する

【用量】
・緑内障:眼球内の水を減らすには1日250mg〜1g
・睡眠時無呼吸症候群:呼吸促進には1日250mg〜500mg
・高山病予防:医薬品開発における臨床使用成績なし
(国際山岳連盟医療委員会の提唱:1日500mg、但し予防ではなく治療)
(文献報告例:1日500〜750mg、高地到達3日前から下山まで持続服用)

【利点】
・代謝性アシドーシスに伴う呼吸促進作用により、生体内低酸素症そのものを軽減しうる。

【問題点】
・腎の炭酸脱水酵素を阻害すると利尿作用が現われる(個人差はあるし服用量にもよるが、尿量は通常の3倍程度になる。もちろんトイレの回数が3倍という意味ではない)。
また、体内の水分が減るため、●で示した血液粘度上昇に拍車をかける恐れがある。
(1日250mg〜500mg1週間服用例において、頻尿を訴えた例は全体の1/3という報告がある)


代表的利尿薬の利尿作用
利尿薬 尿量(mL/min)
通常
アセタゾラミド
チアジド系利尿薬
ループ利尿薬




※ループ利尿薬は難治性浮腫疾患にも用いられるくらい強力な利尿薬です。

・速やかに耐性を生じる。つまり、飲み慣れると効かなくなる場合が出てくる。
・利尿作用によって体の水分が減ると血圧が下がり、低血圧に基づくめまい、ふらつきが起こる。
・眼の炭酸脱水酵素を阻害すると眼球内の水が減り、視覚障害がでる恐れがある。
・重大副作用:皮膚粘膜眼症候群(Stevens-Johnson症候群)など。
→発熱や悪心を伴い、急激に全身の皮膚、眼、口腔、陰部などに、強い斑点状発疹、水疱、潰瘍、炎症性病変が現われる。病変が現われたら服用を中止し、直ちに医師の診察を受ける。治療法にはステロイド療法やホルモン(ACTH)療法などがある。失明に至る例もあり、日本人に発症しやすい特徴がある。
(1日250mg〜500mg1週間服用例において、投与中止に至った例は3%という報告がある)
・保険適応外処方なので、開発段階(GCP)においても販売後(GPMSP)も高地使用における有効性・安全性チェックが全くなされていない。

アスピリン 【商品名】
・アスピリン(各社):500mg錠
・バファリン(ライオン):アスピリン330mg、ダイアルミネート150mg
・小児用バファリン(〃):アスピリン81mg、ダイアルミネート33mg
 ※ダイアルミネートはアルニミウムグリシネートと炭酸マグネシウムの配合成分であり、アスピリンによって出てきた胃酸を中和する、いわゆる「胃に優しい成分」である。

【作用機序】
 シクロオキシゲナーゼという酵素を非可逆的に阻害する唯一の薬剤であり、各種プロスタグランジンやトロンボキサン類の生合成を阻害する。
 ↓
 プロスタグランジンを減らすことで頭痛を軽減、
 トロンボキサンを減らすことで●で示した血液粘度上昇や血管収縮を防止。

※ちなみに、昔アンチピリン(antipyrine)などのピリン(pyrine)系薬物において発疹が問題となったが、アスピリン(aspirin)はスペルの違いからも分かるようにピリン系薬物ではない。

【用量】
・鎮痛作用を得るにはアスピリンとして1〜4.5g/日を服用する。バファリンなら1日2回、1回2錠の服用を目安とする(年齢によっても異なるので、パッケージに記載されている用量がよい)。
・血液粘度上昇を防止するなら(血小板凝集抑制作用を期待するなら)、40〜100mg/日という低用量のアスピリン服用が最も強く効果を発現する。

【問題点】
・アスピリンによって胃のプロスタグランジンの生合成が抑制されると胃酸が出すぎて胃障害が起こりやすくなる。アスピリン単独製剤よりは、胃に優しい成分(ダイアルミネート:胃酸中和剤)が配合されているバファリンがなおよい。
・頭痛が治まったからと言って過度の運動をしてはいけない(生体内酸素不足の増悪、発汗に伴う体内脱水の恐れ)。しかし、歩行などの軽度の運動は体内に酸素を取り込むことにもなる。また、体内から発生する二酸化炭素により、上記▲で示した血中二酸化炭素の過度の激減(呼吸性アルカローシス)を防ぐなど、ほどほどの運動はむしろ好都合であるといわれている。
・高山病の症状(頭痛や血管収縮など)を改善する、いわば対症療法としての薬剤であり、低酸素状態そのものを改善するものではない。

【利点】
・日本人はアスピリンやその類似の解熱鎮痛消炎薬を飲みなれている。
・アセタゾラミドと異なり、利尿や脱水を伴わないのも利点である。
・急性高山病では末梢血管が収縮しているため、アスピリンが血管拡張作用をもつことは理に叶っている。
・どこでも手に入り、安価である。

感想 ・2001年5月にペルーを旅行して、標高3500m地点(クスコ)で軽い高山病を体験した。それを機にこのページを作ろうと決意した訳であるが、どうせだったらペルーに行く前にこれだけの勉強をしておくべきだったと後悔している。
・高地で薬物を使用する場合はどうしてもSelf-Medication(自己医療)にならざるを得ないので、副作用が出ても基本的に誰も助けてくれないということを念頭に、よき旅を楽しんできてほしいと願います。


リファレンス ・Kryger,M. et al.:Am.Rev.Respir.Dis.,117,455,1978.
・Houston,C.S.:N.Engl.J.Med.,263,478,1960.
・Marticorena,E. et al.:Am.J.Cardiol.,43,307,1979.
・Fishman,R.A.:N.Engl.J.Med.,293,706,1975.
・Oeltz,O.:UIAA medical commission,Vol.1,1993
・Strohl K.P. et al.:JAMA,245,1230,1981.
・早田善博 et al.:診断と治療,73,423,1985.
・原真:高地順応の方法,岩と雪,62,34,1978.
・増山茂 et al.:別冊日本臨床、領域別症候群シリーズNo.4、呼吸器症候群(下巻)
・万木良平:臨床生理,2,422,1972.
・大田保世:日本人の睡眠呼吸障害、東海大学出版会
・臨床呼吸器病学第2版、金芳堂
・新・内科治療ガイド、文光堂
・図説救急医学講座7、熱傷と環境障害、メジカルビュー社
・救急マニュアル第2版、医学書院
・日本医薬品集2000、第23版、じほう
・治療薬マニュアル2001、医学書院
・今日の治療薬'01、南江堂
・グッドマンギルマン薬理書、上巻第9版、廣川書店
・臨床医のための病態生理学講座[呼吸器]、メジカルビュー社
・NIM FUNDAMENTALS呼吸、医学書院
・睡眠時無呼吸症候群、克誠堂出版
・医学大辞典、南江堂
・治療薬ガイド'95、文光堂
・NEW薬理学改定第3版、南江堂
・日本ワイスレダリー学術部

嘘のない、主観の入らない文章を心がけています。お気付きの点がありましたらメールをお寄せください
最終記載日:2003年5月25日

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