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■ニジェール南部をもっと東に移動します
昨日の日記にも書きましたが、ニジェールの北部、中南部、東部に行けず、アフリカを西からやってきた私たちにとって、ニジェール内の移動はあちこちがふさがれた状態です。「それでも、できる範囲で、いろいろなニジェールを見よう」という気持ちだけが支えとなっています。だから今日はビルニンコンニBirni N'Konni(通称コンニ)に連泊せず、次の町に行くことにしました。
ザンデー行きのバスは10時半に出るとのことだったので、私たちはその少し前にターミナルに到着。
でもお昼になってもバスは到着せず、他の客はバス会社の手配するバイクタクシーに乗って別会社の乗り場へ移動しています。そして私たちも移動しました。別会社のバスは料金が安いクラスのものだったのですが、最初に払った高いお金からの差額を返してもらうのが大変だった・・・。
結局、ビルニンコンニを出発したのは、予定よりも4時間遅れとなりました。今日は長い移動です。車窓から見る伝統的な住居や、可愛らしい石の足がついた高床式倉庫、家畜市、見渡すかぎりの一面の緑の光景など、ニジェールはバス車窓も素敵です。
途中マラディMaradiでのストップ時間が長かったこともあり、ザンデー到着は日付が変わる直前!
ここはニジェールでは、ザンデーは古くより旅行者が中継に使う町。特に、サハラ越えの主流がアルジェリア-ニジェールルートだった時代は、きっとこの町の黄金期かもしれません。現在は、例のトゥアレグリベリオン(トゥアレグ族の反政府問題)などなどなどにより、サハラ越えの主流はモロッコ-西サハラルートへと変遷し、ザンデーを訪れる旅行者の数もぐっと減ってしまったようです。
チェックインした宿は、老朽化が目立ちました。そして昔の名残でしょう、今どきの旅人には必須の、壁のコンセントがありません。
「何泊するの?」と聞かれて、「コンセントつけてくれたら連泊してあげるよ^^」なんていう私たちの押し気の返答。でも優しいスタッフは、「分かった、明日朝一番に工事してあげるね」と言ってくれました。
2月7日の深夜初のバスから丸3日で、「ふさがれていても、少しでも多くのニジェールを見たい」とばかりに毎日観光の場所を変えて、疲労はものすごくたまっています。3日で1700kmも移動したのだから、疲れて当然ですよね。
ザンデーが、居心地の良い町だといいな。
(※この町名のスペルは「Zinder」、日本語のサイト等ではよくザンデールと書かれますが、現地発音はほぼザンデーです。私たちはこの世界旅の記録において、現地発音を重視しながらカタカナ表記しています。次に旅する人の一助となることを望むから、現地発音が旅先で再現してもらえるような表記を心がけています。宜しくお願いします。)
本日の旅
行動 :ビルニンコンニからザンデーまで移動
朝食 :アチェケ(キャッサバを砕いた粉を炊いたもの)にハリコー(ゆで豆)オニオンレッドペッパー塩油をかけたもの、魚なしというのがニジェール風?/ビルニンコンニの路上ごはん屋
昼食 :フラ(ミル(麦)の粉を球状石鹸のように固めたものを微発酵牛乳に溶いて水や砂糖を加えたもの)、パン、白いごはんにデギデギ(濃厚ビーフシチュー系トマトソース)をかけたもの/ビルニンコンニのバス待ち場
夕食 :マカ(スパゲティ&C型マカロニをゆでてごくほんのりカレー風味をつけたもの)にデギデギをかけたもの、マサラ(とうもろこし粉を炊いてもち状にまとめたもの)にデギデギとゴンボソース(オクラみじん切りいっぱいのとろとろソース)をかけたもの、アラキ(さとうきび)、ドセ(揚げヤムイモ)/マラディの路上ごはん屋
宿泊 :オテルサントラルHotel Central
旅情報
1セーファーフラン=0.25円
*ビルニンコンニからザンデーへの移動
最初私たちは、アフリカンエクスプレス車の大型バスのチケットを買っていた。オフィスはRoute de NiameyとRoute de Nigeria(要は東西幹線道路と南北幹線道路)の交差点よりやや南にある。しかし定刻になってもバスは来ず、他社のバスに乗るように切り替えられた。
アフリカンエクスプレス車では、片道1人6300セーファーフラン、乗ったバスは5000セーファーフラン。しかしキャッシュバックがなく、さんざん交渉しても1人1000セーファーフランしか返金されなかった。おかしい・・・。なお所要時間は4時間半。