フィンランドの旅の締めくくりは最高の思い出。ティモおじさんファミリーが私達を2泊3日、自宅に招待してくれました。私達は生活はティモさんちで過ごし、伝統的サウナと就寝は別棟で過ごしました。写真は別棟、サウナ浴びたてにビールで乾杯♪
フィンランドでは、民家から十分離れていればキャンプサイトでなくてもテントを張ってよいことになっています。ここはサンマラハデンマキ、石の大地に奇妙な苔生す(むす)世界です。ただ、水がないので宿泊はシビアそのもの。
フィンランドでは、民家から十分離れていればキャンプサイトでなくてもテントを張ってよいことになっています。森と湖の世界が見たくて、湖畔にテントを張りました(4日の長雨に閉じ込められましたが…、苦笑)。近くには調理もできる焚き火場もあります。水道がないので湖の水を沸かして飲みます。
とてもよく整備された、きれいなキャンプ場です。専用カードがなければシャワーやトイレに入れないセキュリティーの高さが印象的でした。キッチンもあります。洗濯物を乾かす専用温風ルームがとっても有難かった! 料金はスカンジナビアキャンピングカード使用時のものです。
1人あたり60クローン、テント場所代60クローンという計算です。英語○カード払い×、ワイヤレスインターネットのおかげで、テント内で自由ネット生活という、なんとも21世紀型キャンプサイト。カフェにはフリーのPCも置いてあります。ホステル並みに充実したキッチンも大好きです。
ドミ1人8ラトの計算です。1Fがパブになっています。治安に不安を感じるリガは、夜も道路が騒がしいなーと思いました。宿のワイヤレスインターネットが嬉しい。フリーのPCも1台ありました。ドミは1部屋20人以上の大部屋なのでうるさい。
ドミ1人8ラトを笑顔で7ラトにしてもらいました^^ 駅から離れているけれど(徒歩20分くらい?)、駅から市街の光景がものすごく良いのです。キッチンがきれい。改装を進めていてこれからもっと居心地がよくなるんだろうなー。英語○。ネットはオフィスのランケーブルをつながせてもらいました。
1人20リタス×人数という計算です。世界遺産の中にあるニダのキャンプサイトは2人の世界旅の最初のキャンプ泊地でもあります。ニダの砂丘まで歩いてすぐ。新しいところなのでトイレシャワーもきれい。キッチン付き。ただ水は若干硫黄臭がします。貸し自転車もありました。
初日はダブルルーム、2日目はドミトリー(値引き後価格)に泊まりました。シャワーはバスタブつき。キッチンが快適で浄水器付きが嬉しい。世界遺産のヴィリニュス旧市街の中にあるのも、嬉しい。ワイヤレスインターネット○、フリーPC1台。
宿に乏しいスバウキはどこも宿代が高い(涙)。いっぱい歩いて一番安かったところがここでした。新しくてきれいなプライベートキャンプサイトで、シャワーもトイレも完璧にきれいでした。夕食はオーダー制で作ってもらえます。
1人20ズウォティ×人数という支払い計算です。キャンプ用コテージには部屋がいくつかあるのですが、宿泊初日は私達だけで、独占できました。部屋にはベッドが2つあります。英語△。トイレはきれいです。屋外のシャワーは1回7ズウォティと有料でした。リゾートなので気持ちよいですよ。
世界遺産のマルボーク城まで徒歩10分という立地の良さ。キッチン付きです。シャワートイレは別室。英語はほぼ×、そのかわりドイツ語がかなり通じます。
ワルシャワ中央駅のインフォメーションで紹介してもらいました。2人の世界旅の初ドミトリーです。きれいで清潔、まだ新しいので水周りも問題なし。かわゆくて居心地が満点でした。キッチンランドリー乾燥機個別ロッカー無料インターネット(日本語読み○書き×)あり。英語○。朝食付き。
ガイドブックに載っている宿よりも安くて駅に近いところが見つかりました。ちょっと古いけれど、いろいろなところに歩いていけるのは便利です。
あちゃー、年に一度のビッグなエキジビジョンがあるとかで、首都ミンスク中の宿が見事に満室。そんなわけでプライベートルームに泊まりました。旅行会社の紹介料込み100USドル(2泊)の計算です。キッチン、寝室2つ、バストイレがついた団地の2Kを2日貸切りです。ポリーナおばさんも優しい^^
この列車でロシアからベラルーシへ移動します。ポーランドのワルシャワ行き列車ですが私達はベラルーシの首都ミンスクまでのチケットを購入。クッペ(扉に鍵がついている4人コンパートメント)だったので料金は高く、寝心地も良かったです。車内はお湯が常時でます。
価格帯別一覧(2人分1泊の価格)
10000円以上・・・「1泊3000円出せばまずまずのところに泊まれるのね」とか、「1泊数百円だと私にはきついわ」とか、「3000円切るとアフリカでは部屋なのにヨーロッパだとキャンプなのね」とか、「このあたりの国ではテント泊の出番はないのね」とか、いろんな推測をご自由にどうぞ(^-^)
テントは出発時から192ヶ国目フィジーまで所持していました。