旅メモ

φ(..)メモメモ
カテゴリ
 移動
 情報
  ・南スーダン
 ビザ
 持物
 現在地
 世界遺産
 雑事
アーカイブ
 09
 08 07
 06 05 04 03 02 01  12 11 10 09 08 07
 06 05 04 03 02 01  12 11 10 09 08 07
 06 05 04 03 02 01
  *2008*
 12 11 10 09 08 07
 06 05 04 03 02 01  12 11 10 09 08 07
 06 05
旅メモ内検索

RSS2.0
©2007-11 Kazuto

北キプロス

情報|13May2009|URL
 現在キプロス北部は北キプロス・トルコ共和国という実質的な独立国となっている。
 もともとこの島にはギリシャ系住民とトルコ系住民が平和裏に混住していたが、1960年に英国支配から脱し、独立した辺りからきな臭くなり、1974年、ついにギリシャ併合派がクーデターを試みた。これは独立前に英国、ギリシャ、トルコの間で定められた条約に反しており、トルコ政府はギリシャのキプロス併合阻止、すなわちトルコ系住民の保護のために軍を出動させた。
 この結果、トルコ軍が北部を支配、南部に住んでいたトルコ系住民の大半は北部に脱出し、北部に住んでいたギリシャ系住民は南部に脱出した。停戦ラインは国連が管理するグリーンラインという緩衝地帯となり、住民の行き来は途絶えることとなる。
 国際的には、北部がトルコによって不法占拠されているかのような解釈となっているが、両側の歴史を読む限り、私にはそうは思えない。欧州に属するギリシャの立場を欧州各国が支持し、日本政府もその立場に乗っているような・・・。
 トルコ系住民は元の対等に近い権利を主張しているだけで、独立を望んでいないのに(北側は欧州各国からの行き来を締め出された状態で経済が成り立つわけはなく、本当の独立など不可能・・・)ギリシャ系政府が拒否し続けた(ギリシャ系政府の主張は1974年前の体制に戻すだが、混住してた住民が完全に分離してしまった以上これも不可能・・・)ため、結局1983年に北側は独立宣言することとなる。
 南政府のEU加盟に関連し、2004年には国連が交渉を仲介、再統合へ向けた南北同時住民投票が行われたが、南側の反対多数により否決された。歴史経緯を知らないためか、“不法”占拠側住民が統合賛成で南の住民が反対だったことが、予想外であるかのように日本では報道されていたのが、歯がゆい・・・。
 2004年、南政府がEUに加盟。以降、南北の行き来の制限が徐々に緩やかになり、現在では少なくとも観光客の行き来は自由となっている。我々にとってはありがたいこと。