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2016 北東アジア周遊
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中国東北部、シベリア、極東ロシアの旅
Day11 満州里→ザバイカリエ→チタ
朝7時20分、始発の国際バスに乗ってロシアを目指す。
中国側は国境までの間にもロシアを意識した建物が多い。
中国出国まではスムーズだったが、ロシア側のイミグレーションに行くまでにかなり待たされ、イミグレーションも進みが遅く、終わってからもバスの手続きが遅く待たされた。出入国に全部で3時間くらい要した。国境にあったATMは現金不足でキャッシングできず、両替所も閉まっていたのに、出口には強制保険の販売があり、一人250ルーブル払わないと進ませてくれない。車内で仲良くなった中国人がルーブルを貸してくれたので事なきを得たが、困ったシステムだ。
ロシア側のザバイカリエには中国側のような賑わいはなく、質素なモンゴル平原の街である。
ザバイカリエのバスストップに着いたのが11時45分(中国時間+1)で、チタ行きのバスは12時発。これを逃すと4時間待つ羽目になり、チタ到着が真夜中となってしまう。ここでも両替する時間はなかったが、国際バスで仲良くなっていたロシア人がお金を貸してくれ、足留めを食わずに済んだ。
国境発チタ行きのバス。
ザバイカリエの街中。
街を抜けると草原が続く。
途中の村。
1時間半ほど走って見えてきた最初の町がボルジャ。
ボルジャの街で初めての休憩。
バスストップの近くに鉄道駅があった。
駅の中にATMがあり、キャッシングに成功。保険代を貸してくれた中国人とバス代を貸してくれたロシア人に対し、無事返済することが出来た。
ボルジャの教会。
ロシアは、85の連邦構成主体からなる連邦国家で、国境のザバイカリエや今向かっているチタは、ザバイカリエ地方という連邦構成主体属している。ザバイカリエ地方は、チタ州とアガブリヤート自治管区が2008年に合併してできた新しい地方であるが、ザバイカリエやチタはもとチタ州でロシア人の多い地域だったのに対し、アガブリヤート自治管区地域には、今も過半数がモンゴル系のブリヤート人が住んでいる。その名の由来ともなっているアガにあるカフェでバスは食事休憩。
肉まんはブーザと呼ばれ、モンゴルのボーズと同じ物で、ブリヤートの食事ができた。
ゲル自体をほとんど見ない中で見た唯一の黄色いゲル。
アガから30分ほど走るとアガブリヤート自治管区の中心都市アギンコスエに到着する。
アギンコスエの家並みは他と変わらないシベリア風だ。
立像の服装や帽子、門の屋根の形などモンゴルと同一文化であることがよく分かるモニュメント。
20時前にチタ到着。着いたのは鉄道駅前にあるバスターミナルで、すぐ前にはロシア正教の大聖堂が輝いていた。
泊まったホステル、ビルの地階にあって窓がない。
日本よりもずっと西にあるのに日本と同じ時間を採用しているだけあって、日没が遅い。まだまだ大丈夫そうだったので宿に荷物を置いてすぐに観光に出た。ロシアの教会は知られていない普通の物でも絵になる。
戦車や戦闘機のモニュメントが多いのもロシアらしいところだ。
今も残るレーニン像。ここでは街の中心の広場に今も堂々として立っている。しかし、像の周りを探しても説明書きは一切なし。
スーパーに入ったら美味しそうなロシア食がたくさんあり、夕食は買い出ししたものを部屋で食べることに。遅い時間だと酒類の販売が禁止されているのか、酒は手に入らず飲み物はクバス。
*本日の宿:Hostel Da!
*本日の移動 バス:満州里→ザバイカリエ、ザバイカリエ→チタ