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2016 北東アジア周遊
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中国東北部、シベリア、極東ロシアの旅
Day27 →ビロビジャン
ビロビジャン到着は、夜明け前の4時40分。時差がまた1時間あるので乗車したティンダの時間だとまだ3時40分である。ここでようやく3泊4日の大移動が終わった。時間が早過ぎて何もできないので駅で夜明けを待つ。
1時間ほどで明るくなってきたので一人で街の散歩に出る。駅前から続く緑地の中に第2次大戦の戦没者慰霊碑があり、永遠の火が燃えていた。
街をぐるりと一周。レーニン像はでかかった。
モニュメント。
約1時間の散策を終え、7時前に駅に戻ると今日からホームステイする家のアンドレ(仮名)が迎えに来てくれていた。ここビロビジャンはユダヤ自治州の州都である。スターリンの政策でできたユダヤ人の自治区だが、ユダヤ人はほとんどおらず、アンドレもスラブ系ロシア人でクリスチャンである。
ユダヤ人自治区であることを示す数少ないモニュメントの一つが、駅前にたつユダヤ教の燭台モニュメントだ。
市バスに乗ってビロビジャン市の端にあるアンドレの家へ。団地の最上階で見晴らしが良い。キッチンは狭いが明るい。
軽く朝食を頂いて、シャワーを浴びる。「今日は仕事が休みなので少し休んだら街を案内しよう」と、アンドレがいってくれた。いつもより早起きしてきてくれたアンドレが少しといいながら2度寝をし、妻も横になってしまったので、私は大移動中に書けなかった日記を書いたり、写真をバックアップしたり。一人でずっと起きていた私も大移動の疲れか、いつの間にか寝てしまっており、気づいたら妻もアンドレも起きていた。外出から戻っていたアンドレの奥さんがパンケーキを焼いていてくれており、それを昼食にいただく。
郊外にあるアンドレの家の近くにも小さなマーケットがある。最初のこの日少し話をしたので、以降出発までここを通るたびにおばさんは手を振って挨拶してくれた。
通り名にはロシア語の表記と共にイディッシュ語表記がある。ユダヤ教徒の言葉で、ユダヤ自治州であるが故の表記だが、実際にここで読める人はほとんどいないという。今イスラエルで話されているヘブライ語とも違う言葉で、ドイツ語に近い言葉だ。少し勉強したことがあるというアンドレも役立つ場面が思い浮かばず、勉強を止めてしまったので、もう読むこともできないという。
結婚式場。リングのモニュメントが輝いていた。
川沿いの遊歩道。アムール川の支流であるこの川は流れが速く、泳げない。アンドレの生まれはアムール川沿いの村で、そこでは普通に川で泳げるそうだ。
コンサートホール。
噴水のモニュメント。カップルがカギをつけて永遠の愛を誓う人気の場所となっている。数年前に着けたというアンドレは自分のを探していたが、発見できず。
モニュメント。
シナゴーグ。この街に来た観光客が必ず訪れる場所だ。
教会。
露中友好のモニュメント。
2時間ほどの街歩きを終え、また市バスに乗ってアンドレの家に戻る。今夜は甥っ子の誕生日パーティーだからとアンドレ夫婦は夕方から出かけていき、我々は家でのんびりさせてもらう。夕食は列車旅用に買いこみ過ぎていたカップ麺などを食べた。
*本日の宿:アンドレの家
*本日の移動 列車:→ビロビジャン