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2024アメリカ50州ドライブ1西»2日目 -サンノゼ-サンフランシスコ-バレホ-レッドブラフ
アメリカ50州ドライブ第一弾米本土西半分20州走破
2024年07月10日(Wed)
2日目 -サンノゼ-サンフランシスコ-バレホ-レッドブラフ
日付変更線を機内で越えたので、アメリカのサンノゼ空港に到着したのは出発と同日7月10日の午前10時半である。一度目の7月10日午前10時半は上野で成田に向かう電車を待っていた時間だ。16時間も時差があり、感覚的に上野にいたのは完全に昨日のことである。なので日付は同じだが、アメリカ到着からは2日目とする。
事前にビザを取得していた為か、入国は非常にスムーズだった。こんなにすんなりアメリカに入国できたのは初めてかも。
入国手続きを済ませすぐにレンタカーを借りる。車は日産のセントラ。まだ1万マイル走っていない新しい車だが、結構車体にはきずがついていた。
11時40分、着陸から1時間強で走り始めることが出来た。サンノゼを素通りし、サンフランシスコも素通り。そして金門橋にやって来た。霧で有名な金門橋。この日も霧で橋の上部は見えず、霧の中に突っ込んでいくように車を進ませる。
霧が濃かったので展望台はパスしようかと思っていたが、橋を渡り終えるところで青空が見えてきた。
急遽、展望所に立ち寄って橋を眺める。
展望所は観光客であふれており、屋台も出ている。ホットドッグ売りに妻が話しかけるも英語がうまく通じず、途中からスペイン語で会話をしていた。そういえば昔アメリカを旅した時は自分も英語がうまく聞き取れず、スペイン語で会話していたななどと思い出してしまった。
橋から1時間ほど走った所にあるバレホで昼食を取ろうと街に入ったが、お目当てのレストランが閉まっていた。街にゴミが多く、殺伐とした雰囲気のある地区で、レストランを探し歩くのはためらわれた。バレホは私の故郷である明石市の姉妹都市なので、名前は何度も耳にしていたが、こんな街だったのかと少しがっかりする。レストランに行くのは止めて、大きなスーパーへ。メキシコ系のスーパーで、店内の会話はスペイン語ばかりが聞こえてくる。
食事のコーナーもラテン系のものが主体。食べたのはセビチェ。中米や南米でよく食べた海鮮のマリネは好きだったので懐かしくなる。
そして、豚足を煮込んだポソレ。トルティージャによく合うピリ辛味だった。
バレホ―からはひたすら北に走る。サンフランシスコから北側はカルフォルニアワインの産地で、途中ブドウ畑もたくさんあった。
18時過ぎにレッドブラフ到着。宿に向かう前にスーパに立ち寄って、夕食の買い出しをする。
19時に予約してあったモーテルにチェックインする。昔と違ってモーテルも予約制になっており、走れるだけ走って疲れたところで泊まるということが一般的ではなくなっているのが面倒なところだ。特に時差ボケでどのくらい走れるか分からない最初の宿をどうするかはかなり悩んだ。予約しておかないと初日は走れなくなりそうだと考えて、予約を入れたが、走れるかどうか不安は残った。なので、無事に予定通り到着出来、ホッとする。本日の走行は247マイル、約400キロだった。
ワイン畑の中を走ったので、ついワインを買ってしまった。しかし、今のアメリカはめちゃくちゃ物価が高く、ワインも非常に高い。日本でも買える安ワインにするのは少しためらわれたが、大きなボトルが安売りしていたこともあり、カルロロッシ…。
メインはコブサラダ。コブさんが考案したサラダでカルフォルニアの名物だそう。
コブサラダにもブルーチーズが入っていたが、そういう気分の日だったので、追加でさらにブルーチーズ。
睡眠不足だったので、酔っぱらってさっさと眠った。