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2018 太平洋周遊
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マーシャル諸島、キリバス、ソロモン諸島、ナウル、ミクロネシア連邦の旅
26日目 マジュロ(デラップ→空港)→チューク(ウェノ島)
空港に行くのは出発2時間前で良いと思っていたが、宿の人が2時間半前に入った方が良いというので、早めの出発となる。ナウルエアーは3時間前チェックインとチケットにあったが、本日搭乗するユナイテッドは2時間前との案内が来ている。しかし、マーシャル人は航空会社の案内などおかまいなしの様子で、我々が空港に着いた時はしっかり列が出来ていた。そして今回も皆さん大量の荷物だ。物価の高いキリバスに飛ぶ人が大量の荷物を運ぶということだったが、ミクロネシア連邦もマーシャル諸島よりも高いのだろうか? 単に大量の荷物を載せるのが習慣になっている気がする。そして重量オーバーで料金を払ったりするのでチェックインに時間がかかるのだ。
飛行機は予定よりも30分以上遅れ、13時頃の出発となる。クワジェリン、コスラエ、ポンペイを経由し、この旅の最終訪問地となるミクロネシア連邦のチュークまで、合計6時間ほどのフライトとなる。米軍の軍事基地となっているクワジェリン除くが、コスラエ、ポンペイは一旦降機し、待合室に行ける。ポンペイまでの機内ではスナックさえ出なかったので、待合室で弁当やサンドイッチを買っている人も多い。しかし、我々は2人とも腹具合があまり良くなく、食事はせず。
出発は遅れていたが、途中の空港ストップで遅れを取り戻し、チュークには予定通り現地時間午後4時前に到着した。ミクロネシア連邦は、旧日本領南洋諸島で、コスラエ、ポンペイ、コスラエ、ヤップの4州から成る連邦国家。4州は、共通する文化も多いが、お互いの言語は全く通じない別民族となっている。首都はポンペイだが、人口が一番多いのはチュークで、全人口の約半分を占めている。1995年にコスラエとポンペイ、2012年にヤップを訪れているが、このチュークは初訪問である。他の3州ではいずれもホームステイを経験しており、このチュークでもぜひホームステイをしたいと思っていた。観光局にコンタクトを取ったところホームステイできることになり、ワクワクしながらの入国となる。
税関を抜けて外に出ると今回我々のホームステイを受け入れてくれることになった観光局で働くネリーさんが家族3人で出迎えてくれた。長女のメイメイが、貝の輪を首と頭にかけてくれる。心配りに感謝である。
まっすぐ家には行かず、島を少し案内してくれることになった。空港があり、チューク州政府などがあるこのウェノ島は人口約14000人で、チュークの中心地となっている。建設中の新州庁舎や丘の上にある病院などを見た後、市場にある地区へ。果物が色々売っており、みかんとココナツをネリーさんの夫であるミッキーが買ってくれた。
市場の近くには船着き場があり、チュウク環礁の様々な島から人々がこのウェノに集まってくるそうだ。奥に赤と青に彩られた木造船が見えた。ミクロネシアでは見かけないタイプだなと思ったら、元はベトナム漁船だったそう。違法操業でチューク政府に拿捕され、ベトナム人たちは船を放棄してベトナムに帰ったので、離島とウェノを結ぶ船に転用されたのだという。
いよいよホストファミリーの家に到着。海に面したビーチのある家で、庭にはココヤシやパパイヤなどの木があり、豚も飼っている。まずはウェルカムのフルーツをなんと4種類も出していただいた。
そして、家族の人々を紹介してもらう。ミッキー&ネリー夫婦には3人の子供がおり、長男がダイポ君、二男がエイブン君、そして空港から一緒だったメイメイ。さらにネリーさんのいとこのリッキーとマランキもここで一緒に暮らしている。Nelyさんの名前にモリという日本系の姓が入っているので尋ねたところ、6世代前が日本人だったという。日本領時代に来た日本人の子孫なら進みがあまりにも早いので、聞き間違いだと思った。
*帰国後調べてみると森ファミリーはで、約3000人もいるミクロネシア連邦全域に知られたファミリーであり、明治25年に日本人で初めてミクロネシアの島に移住した森小弁という人の流れを汲んでいる。6世代前は聞き間違いではなかったのだ。しかも、先代のミクロネシア大統領はマニー・モリという森ファミリーの人。 滞在中のスケジュール案を事前にもらっており、今日の夕食はチュークで1,2を争うトラックストップホテルのレストランで観光局のデレクターとミーティングディナーとなっている。トラックというのはチュークの旧名で、州名は1989年に現地語であるチュークと名称変更している。ミクロネシアの公用語である英語で話すときはチューク人も、トラック、チュークと言い分けているが、チュークの会話では違いが分からない。チューク語では tr と ch はまったく同じ発音なのだ。
家族が2台の車に分乗し、トラックストップホテルへ向かう。我々と観光局のディレクターだけかと思っていたが、通されたのはレストランとは別の広いビュッフェ会場でデーブルがいくつも並べられている。もともとオーストラリアから視察で来ていた団体の送別会を観光局主催で行うことになっていたので、我々の歓迎会も兼ねてくれたのだそうだ。観光局のディレクターによる開会の辞の後、視察団体の人々が順次指名され挨拶をしたので、指名されるかもしれないと焦って英語の挨拶を考え出したが、順番は回って来ず。我々の紹介はディレクターがしてくれて一礼するだけで助かった。
ディナーの途中で日本語がペラペラで日本人顔のおじさんが我々のテーブルにやってきた。観光局の理事?の人で、仕事で日本に行っていて戻ったばかりだという。日本に何度も行ったことがあるということで色々日本の話をする。後でミッキーさんから彼はチュークで一番お金持ちのビジネスマンなんだよと教えてもらった。お父さんの茂人さんが日本人とのハーフだそう。
食事のあと少しホテル内を見学し、家に戻る。枕などは新品だし、喉が乾いたらなんでも飲んで良いよと冷蔵庫に買い込んだ飲み物各種を見せてくれる。心づかいが非常にうれしく思う。