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2019 モンゴルからロシア
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モンゴル横断、そしてアルタイ共和国からシベリアへ
30日目 トボリスク
16世紀末に建設されたトボリスクは、シベリアで最も古い都市の一つで、シベリアの首府として栄えた歴史のある街だ。しかし、18世紀末にシベリア総督府が東西2つに分けられ、さらにはトボリスクに残されていた西シベリア総督府が19世紀初めにオムスクに移されるなどし、街は次第に衰退していった。シベリア鉄道の路線からも外れ、今では人口約10万人の一地方都市でしかない。それでも、その歴史故、この街は、シベリア鉄道、バイカル湖と並んで、シベリア旅行のハイライトとして名を馳せている。
トボリスクの街は緑が多く、宿近くの道路脇などは歩道が幅広く公園のようになっている。
サヴァリノエという森林の中には、教会があり、その周りには墓地が広がっている。ちょうど日曜日ということで、教会ではミサが行われており、墓参りの人も大勢いた。よく見ると、ほとんどの墓の周りにテーブルとベンチがある。故人を偲んで酒でも飲む場所かと推察し、確証を得たくて使っている人を探したが、見当たらず。
この後、バスに乗ってクレムリン地区へ。クレムリンというとモスクワのクレムリンがまず思い浮かぶが、実際には要塞の意味で、中世のロシアの多くの都市はクレムリンを中心に発展してきた。
バスを降りて最初に見たのは、リムスコ=カトリチェスキー・フラム・プレスヴャトイ・トロイツィというカトリック教会。1830年にロシア帝国の支配に対し武装蜂起したポーランド人が鎮圧され、約18,000人のポーランド人とリトアニア人がシベリアに追放された。1848年にトボリスクに流されていたポーランド人のために建てられた礼拝堂が、この教会の発祥で、1909年にレンガ造りの教会が建てられた。現在の建物は2000年に復元されたもの。
現在の市街やクレムリンは河岸段丘の上にあり、昔の市街や先の教会などは一段低い平地にある。下から見上げるクレムリンは、まさに要塞だ。
新しい木製の階段を上り、城壁をくぐるところからは石畳の道となる。
クレムリンの教会でもちょうどミサが行われていた。中央の鐘塔は1746年の建造で、右側の教会が1686年建造の聖ソフィア大聖堂、左側が1746年建造のインターセッション大聖堂。
18世紀建造のデプティーズ宮殿は、市庁舎などに使われた後、現在は、トボリスク歴史建築博物館となっている。
かなり広い博物館で予想外に時間がかかった。シベリアの首府だった歴史を語るために、シベリア全体の歴史を説明しているので、扱う範囲が膨大なのだ。
宮殿の裏側は展望台になっており、旧市街だったあたりが見渡せる。
昼食は旧市街でとろうと思っていたが、上から見た限りでは街にはなっていない。地図上でレストランになっている場所も一軒のみ。クレムリン内で食べるしかないと探したが、こちらにもこれといった場所がない。モールに転換された交易ビル内に良さ気なレストランがあったが、客がおらず、入りにくい。モールといってもほとんど店は開いておらず、これではレストランにも入り難い。
レンガ造りの見張り塔の見える広場のベンチで、地図を見て食事場所を検討する。しかし、これから進む方向とは逆の方向に行くしかなく、結局食事をとらずに、旧市街に降りることにした。
上から見下ろした通り、旧市街には建物のまばらで、店さえあまりない。教会は修復されきれいになったものが目立ち、今まさに修復中のものも多い。大天使ミカエル教会も修復され、きれいになった教会の一つだ。
モスクもまた修復されている。西シベリアであるこの辺りは、モンゴル帝国の崩壊後、チンギスの長男が起こしたジョチウルスの領域であり、ショチウルスの分裂後は16世紀末にロシアに併合されるまでシビルハン国の領域だった。当時、住民の多くはイスラム教徒であるタタール人だったのだ。マイノリティーになった今もタタール人は一定数居住しており、タタール人のコミュニティーが存在している。
19世紀の政治家で慈善家であったコルニロフの家が今は博物館になっており、当時の品々が展示されているということだったが、日曜日は休館で入れず。
18世紀建造のザカリー&エリザベス教会を見て、旧市街の観光は終わり。
朝から色々な種類のキノコを見ていたが、一番目に付いたのが、このササクレヒトヨタケ。間違いやすい有毒きのこは知られておらず、味もよいので、キノコ狩りの超初心者がまず覚えるべきキノコとされているものだ。日本で見つけて食べたことはある。集めて食べようかと迷ったが、止めておいた。
古い城壁が一部残っている部分が、クレムリンの北側にある。ただし、土盛が長く残っているだけで、今は市民の散歩道だ。
そして、何の関係があるのか不明だが、ロビンソンクルーソー(太平洋の孤島が舞台の英国の小説)のモニュメント。
昼食を抜いたも同然だったので、明るいうちから豪華なディナーを部屋で。一日歩きまわった後で、ビールが美味し。