2人の世界旅 日々の記録

4年3ヶ月、1日も欠かさず綴った旅日記
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チャド>2008年03月10日(Mon)
ムンドゥ→ゴレ
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■チャド南部、国境の村へ
昨日、ムンドゥMoundouからゴレGoreの道、そしてそこから国境を越えた中央アフリカへの道は、地元の人もよく利用するルートという情報をつかんだので、私たちは次なる国中央アフリカへ向けて、ゴレへ移動することにしました。

私たちが乗り合いトラックの乗り場に着いたときは、早朝のトラックが出てしまったあとのようでした。それでも今日はもう1便は出そうなので、交代で荷物番をしながらマルシェ観光などにも行きました。

私たちは、今日は軽トラックの荷台に乗って移動します。チャドの場合、「荷物を積んで、さらにその上に人が乗る」というスタイルが定番なようで、これは私たちにとっては大変に困ったこと。旅の荷物の中には、もちろんパソコンのようなデリケートなものは手で抱えるにしても、プラスチック製品(加圧で割れる)や金属製品(加圧でゆがむ)が幾つもあるので、こういう乗り物は本当に憂鬱になります・・・。

しかも、私たちが乗った場所の下は、干し魚が入ったズタ袋で、トリメチルアミン臭でクサイのなんのって・・・。

何とか大きなバックパックを運転席上の屋根の上に乗せてもらうことに成功し、私たちを乗せた軽トラックは、チャドをより南下しはじめました。チャドでは写真のように、荷物の上に人が乗るのが当たり前だし、しかも出発時には小さな軽トラックの荷台に20人以上が乗っているから、ぎゅうぎゅうで大変です。

ゴレ行き乗り合いトラック

でも、荷台から見る光景は、素敵です。小さな村を通過するたびに、こじんまりとした集落に、人々の素朴な生活の様子が見えます。途中の検問では賄賂の要求もありましたが比較的簡単にすり抜けることもでき、ほっとしました。

■ゴレ村で知る、中央アフリカ
だんだん日が落ちてきて、ゴレの村に着いたのは夜7時半という暗い時間になってしまいました。下車したところでとりあえず食べ物を買い、村人に「オーベルジュ(安宿)ありますか?」と尋ねると、3人の青年が私たちを案内してくれました。しかし訪ねた1軒目の宿はオーナー不在で泊まれず、またそこからしばらく歩いて2軒目に到着・・・。

その門をくぐったとき、出てきてくれたのはアメリカ人でした。「私たちは旅行者です」と言うと彼はジョークとばかりに「この村では毎日は旅行者は見ないねぇ(笑)」と面白いことを言ってくれます。そうして、今日本人が1人いるからと中に通されました。

その日本人の男性と3人で話をしているうちに、ここは決して宿ではなく、国連組織の1つ「国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)」の宿舎であることを知りました。ここゴレの村にUNHCRがあることは知っていたので、なんとなく、塀構えなどから、「ここは宿じゃなさそう・・・」という不安を持っていましたが、それが当たってしまいました。

「国連難民・・・」という名称からやや推測できるように、ここは国連組織の一として、難民援助をするところです。ここゴレの村は中央アフリカ北部との国境の村であり、中央アフリカ北部 -そこは今世界に類を見ないアナーキー(無政府状態)地帯、兵士による民間人の殺戮が止まない場所- からチャドに脱出してきた難民に対し、難民キャンプを張るなどして支援と援助をしているのです。

逆に言えば、ここゴレがどれだけ平和で治安の良いところかも、分かりますよね。平和なところだからこそ難民が流入するんです。実は私たちは、ゴレに難民キャンプがあることを知っていたので、平和なゴレまでなら安心と確信してここまで来たのです。さらに昨日、ムンドゥで、ゴレから中央アフリカの国境越えも、今では地元の人は問題なく行っているという話を数件得たので、私たちはそのルートを -もちろん悪名高き都市を外して- 移動する計画でここまで南下してきました。

しかし、UNHCRの日本人職員の話によると、「今は国連による緊急事態が出ていて、中央アフリカ北部では兵士による村の焼き討ちなどが起こり、現在は大量の難民がチャドに流入している」とのことでした。日本の外務省の資料にはそんなこと書いてなかったのに~~~~~~(><)
(注:私たちがこの情報を得た数日後に、外務省も同様の情報を公開しました。おそいっ)

ま、簡単に言うとですね、「チャド南部は安全。中央アフリカ北部はここ10年以上ヤバイ地域だったけれど、今回は殊にヤバくなっている。だから中央アフリカの民間人は難民となってチャドに逃げてきている」、ということになります。

ここまで悪い情報を得られることは有り難いことで、明日の国境越えはすんなりなくなりました。
本日の旅
行動 :ムンドゥ観光、ムンドゥからゴレに移動
朝食 :フォワ(肝臓の炭火焼きスライスを軽くトマトオニオンソースで煮込んでトマトとクレソンマヨネーズを添える)、フィレ(ヒレ肉を同様に)、バゲット/ムンドゥの食堂、シトロンジュース/ムンドゥの路上ジュース屋
昼食 :ナシフ(ヒレ肉を細切りをトマト玉ねぎのソースでじっくりじっくり煮込んで、ソースと肉の味が同一になるまで煮込んだもの)、バゲット/朝と同じ食堂
夕食 :マニオク(マニオクと小豆みたいなものの粉を練って作ったもち状のもの)、ベニエ(揚げパン)、ビサップジュース、素揚げの小魚/UNHCRの部屋
宿泊 :国連難民高等弁務官事務所UNHCR

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旅情報
1セーファーフラン=0.25円

*ムンドゥからゴレの移動
ムンドゥのマルシェ脇から乗り合い軽トラックが出ている。片道2500セーファーフラン、所要4時間。