21世紀の新国家東チモール情報: 2002年独立元年版

 2002年12月、独立から約半年たった東チモールに訪問しました。訪問直前に独立後初の暴動が発生し、一時は入国できるのか心配しましたが、何とか無事に行って来ることが出来ました。首都だけの訪問でさしたる情報もありませんが、ガイドブックがまだない地域なので少しはお役に立てるかと思いますし、今後の変化が激しそうなので、こんな時もあったのかと数年後に思ってもらえそうな気がするので情報を書くことにしました。

 最新情報は2010年再訪問版。また、03年07月に東チモールを旅された伊藤道大さんからより頂いた情報もありますのでご参照ください。

出入国

要件:  ビザは不要(2002年12月、03年7月には必要になっていたらしい)。出国チケットや最低所持金制限もなし。
 私は陸路での入出国なので、空港での詳細は不明。陸路個人入国の場合は滞在日数は短くされがちであるとの事前情報があった。私の時は3週間を申請、なぜそんなに長くいるのだと質問されたが、申請通り許可が下りた。規則上の最大はもっと長いのでしょう。最終的にスタンプを押す係り以外は皆オーストラリア兵士でした。(まるで植民地!)
 注意点:陸路インドネシアに入るにはインドネシアビザが必要。必ずディリで取得!
 インドネシアのビザ免除要件に出入国は指定ポイントからというのがあり、ここがまだ指定されていないため。本来の規則からするとビザなしで入国している場合は出国にもジャカルタで許可を取らねばいけないが、この部分の運用は甘くなっている。
空路:  独立前01年12月にチェックした時点では、インドネシアのデンパサールとオーストラリアのダーウィンからの便のみ。滞在中は、この2ヶ所に加えシンガポールやジャカルタへのフライトの宣伝も見かけたが、確認せず(乗り継ぎだったかも)。まだまだ状況が変わりそうなので現時点の路線はあえて調べませんが、日本から行くのはデンパサールから往復するのが無難でしょう。
陸路:  もちろん国境を接する国はインドネシアだけ。外国人に対し開いている国境は北海岸沿いの道のみ。
 西チモールの中心都市クパンへはインドネシア各地より空路や海路があり。空路はオーストラリア・ダーウィン便もある。
 クパンから国境近くの都市アタンブアまでは時間帯によるがバスは数多く走っている。8時間、24000Rp(360円)。うまく行けばその日に東チモールまで行けるかもしれないが、お勧めしない。アタンブアにはホテルも食堂もたくさんあり、しかも安い。本当のお勧めは、アタンブアにも直行せず、途中の村で市場でも見ながらゆっくりと進むこと。
 アタンブアから国境はべモ(ハイエース型のミニバス)で1時間半、3000Rp(45円)。オジェック(バイクタクシー)で15000~20000Rp(こちらの方が圧倒的に早い)。
 国境間は歩き。すぐです。
 国境からディリはバスで、3時間、3US$。  クパン・ディリ間直行のエアコンミニバスが運行を始めた。めちゃくちゃ高い。外国人専用か?
海路:  定期便はない。インドネシア行きの貨物船に地元民がたくさん乗っていたが、断られた。

通貨

 US$を使用。コインは5セント以上。1セントコインは使用不可。

移動

 ディリ市内はミクロレット(トヨタハイエースなどを改造したミニバス)が走っており、ルートは番号表示で示される。値段は距離によって10~15セント。乗っていない路線でもっと高いのがあるかもしれない。タクシーも市内なら1$なのでさほど高くはない。  長距離は場所によってバスかトラック。乗場は何ヶ所かに分かれる。国境など西方面は中心部から約8キロのタシトロターミナルという事になっているらしいが、中心部から約4キロのコモロ市場前に集まっている。東方行きはスタジアムの前。南行きはスタジアムより1キロほど南。タシトロターミナル以外は路上駐車なので移転の可能性大。  飛地のオケアウシやアタウロ島に定期航路あり。

宿

 UN関係など業務で来ている外国人がホテルに多数住んでいるためホテル代は非常に高い。しかし、独立後半年で料金は急激に値下がりしている。今後も居住外国人は減りつづけると思われるので、下がっていく事でしょう。
 宿泊したのは最も安いと評判のディリゲストハウス。街の中心にあるスタジアム南西のサークルを南に進み東側数軒目。シングル5$、ツイン10$。ファン付き、共同トイレ・シャワー。この宿でもほとんどの部屋は住んでいる外国人で埋まっている。場所が便利。
 広告を見る限りクーラー・トイレ・シャワー付きシングル20$が一番多い。外国人は基本的に車通勤なので、旅行者には不便な場所が多い。
 ホテルビラハーモニア(ドミトリー6$)やバックパッカーズ(シングル10$)などが他の安宿。  他都市には行かなかったが、ディリゲストハウスの情報ノートによれば宿がある町が多いよう。

言葉

 ほぼすべての人に通じる言葉は独立前までの公用語インドネシア語。過半数の人の母語はテトゥン語。今一番人気があるのは英語。公用語はポルトガル語だが地元民同士で話しているのは一度も聞かなかった。

食べ物

 ディリ市内には外国人目当てのレストランが乱立。日本食でさえ何軒もある。ローカルフードは当然西チモールと同じで、ナシアヤン(ぶっかけ飯チキンフライ入り)やナシチャンプル(ぶっかけ飯)などだが、西に比べ味は落ち、値段が高い。

飲み物

 海岸などで売っているヤシ酒がうまい。毎日飲んだが、飲みすぎると悪酔いする。

見所

 ファツカマ岬のキリスト像とその近くのビーチ。コモロ市場。裏山に登ればすぐ伝統家屋の村がある。しかしこれといった観光ポイントはない。強いてあげれば見所は内戦で廃墟になった建物群。
 訪れていないが、田舎には伝統文化が色々残っていると思われる。

インターネット

 1軒は日本語読みのインストールさえ拒否され使わず。1時間5$。もう1軒は日本語の読みは最初からインストール済みのマシンがあり、書くのもインストール可能だったが非常に遅くしなかった。15分2$。世界銀行に無料インターネットがあるとの情報あり。未確認。

感想

 『大昔に外国人が地図上だけで引いた線にこだわって独立する意味があるのか非常に疑問。別国の占領時代が長く、文化が違うとの主張での独立だが、占領時代に影響を受けたのは港町だけ。内陸の開発は一切なされず、大半の地域の文化は東西チモールで同一である。ジャワ人の支配に抵抗するなら東西チモール共同してせめてテトゥン人が団結せねば意味がない。産業もなく、将来採掘されるであろう海底資源を当てにして独立してやっていけるのか。』などと独立前から批判的に思っていたこともあり、自分の中に訪問したという盛り上がりがありませんでした。入国前に発生した暴動も、やっぱりという感じだったのです。
 訪問しての感想は、「これではUN、特にオーストラリアの植民地。」。オーストラリアの巨大な基地は要塞のようです。先進国と同様な品物を並べるスーパーの客は外国人ばかり。レストランも同じ。ビーチでも車で遊びに来る外国人が我が物顔。UNの建物の前には英語での求人広告。……。
 うれしかった事を一つ。外国人がまず飲まないであろうヤシ酒を飲んでいて、日本語を戦時中に覚えたおじいさんに会いました。日本時代は良かったととても懐かしそうに話してくれ、ちょっとだけ幸せな気分に。西チモールでも同様な事がありました。たった3年間日本軍がいただけなのにね。
SEP10修正/NOV03修正/AUG03追記/JUL03記