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2019 東チベット
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カムとアムド
5日目 丹巴→甘孜(カンゼ)
朝6時過ぎにホテルをチェックアウト。バスターミナルに向かう途中で朝食をとり、6時40分頃ターミナルに到着する。余裕があるつもりだったが、すぐに改札が始まり、バスに乗車する。全回のバスほど豪華ではないが、中型にしては大きく乗り心地の良いバスだ。バスは定刻に出発する。
バスは順調に町を走り抜け、川沿いの細い道を進んでいた。突然、無理な追い越しをかけてきたトラックがバスのバックミラーに接触した。日本ならどんな小さな交通事故でも警察を呼ぶものだが、ここは中国。その場の話し合いで示談は成立した様子だ。そしてバックミラーはテープで補修。それも通りがかりの車の上に上がらせてもらって修理するのだから笑える。
心配したほど時間はかからず、無事にバスは再出発した。テープの補修でもミラーが落ちることなく、バスは走る。峠を一つ越えると成都から甘孜に向かうメインルートに合流した。そこからは谷の幅が広がり、見晴らしが良くなった。比較的道幅も広く、バスの速度も上がる。チベット独特である五色の祈祷旗(タルチョー)はチベット仏教の地域では普通に見られる風景だが、写真のように円形に旗を連ねたものは、この辺りで初めて見た。
ずっと標高3000メートルを軽く超えており、ヤクがいる。
道中、何度も新しく大きな僧院を見る。写真の僧院は道孚(タウ)県の然哥村。
道孚のバスターミナルで食事休憩となる。お盆におかず3品とスープにライスで30元=約500円。今回の旅で初めてあまりおいしくないと思った食事だ。中国の物価は行く度に上がっている気がする。
炉霍(タンゴ)に入る手前で大きなチョルテンがあった。
炉霍のバスターミナルでしばらく停まったので、ターミナルから出て少し町を見る。現在は外国人立ち入り禁止のラルンガル・ゴンパへの分岐となる町だ。
15時半頃に甘孜(カンゼ、ガンゼ)に到着。まずは次の移動のバスをチェックするが、以前はあったはずの玉樹(ユウシュ)まではもちろん、つい最近まであったはずの石渠(セルシュ)行きもなくなっている。ここからさらに東、青海省方面に進むにはバスでなく、乗り合いタクシーを使うしかないようだ。
予約してあるホテルは街の中心部なので、歩いてゆく。新しい中国的な街並みの中に古い建物も混じり、雰囲気は良い感じの町だ。しかし、標高3300メートルの町とあって、ゆっくりでないと歩くのはきつい。
予約していたホテルの周辺は停電している。ホテルには発電機があり、電気は点いているが、エレベーターは動いていない。部屋が4階で上がるのが非常にきつく、息は切れるし、頭痛もしてきた。妻は私よりきつそうで、ふらふらだ。
ひと休みして、散歩に出る。まずはホテルの部屋からも見えていた漢人寺へ。名前は漢人だが、チベット仏教の寺である。門前にはお参りグッズの店がずらり並んでいた。
寺の入口に五体投地の台があり、いきなり妻が始めた。息が切れているのに無茶な事を…と思ったが、息が切れているからこそ倒れ込んで静止していると気持ち良いらしい。
マニ車を回すチベット人に混じって、我々もまずはマニ車を回しながら寺を一周。
この寺は写真撮影が問題なかったので、たくさん写真を撮る。チベット仏教の寺院は壁画がおもしろく、いつも見入ってしまう。
お供えがバターなのもチベット仏教の特徴だ。
仏像の表情は日本のものと似ていて親しみがわく。
お寺を見ながら少し休む。妻はやはり調子が悪く、ここで宿に戻った。
メインの観光地は明日妻と行くことになるので、ここからは特に目的を決めずに、町を歩く。漢人寺からメインストリートに出ると僧侶グッズの店が並び、その2階にはチベット食の店が並んでいた。
川沿いの道は大工事中で、観光用のストリートに変身する途中だ。もう一本西側の通りには家具屋さんが並んでいた。チベット式の箪笥や寝台などを作る店が並んでいる。
表通りは新しくなった街並みだが、裏道にはまだまだ古い建物が残っている。
古い建物は土壁が多いが、木造住宅もあり、興味深い。
1時間ほど散歩してホテルに戻る。まだ停電しており、階段を使うので部屋に戻るのはきつい。
夕食は先ほど見つけていたチベット料理屋に行く。スープを作るのに辣油をびっくりするほど入れている。
出来上がったスープは真っ赤だったが、見た目ほどは辛くなく、おいしく食べることができた。
食後、ホテルに戻る途中で薬局に立ち寄り、高山病の薬を購入する。店にあったのは写真の4種で、右手前の赤い箱の物を買った。
妻ほどではないが、私も高山病の症状があり、きつい。この日は写真のバックアップもせずに寝てしまった。