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2013夏 中国、ベトナム
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中国(広西チワン族自治区、雲南省)+ベトナム(ハノイ、サパ)の旅
2日日 北京-南寧
朝5時半に起床し、すぐに食堂へ。朝食はお粥にザーサイ、卵とパンにジュース、果物のみ。期待したほどではないが、まだ他の客がいない早朝に出してくれただけでもありがたい。6時にチェックアウトし、ホテルの送迎バスで空港に向かう。空港に着いたのはフライト時間の50分前だが、国内線なので時間に余裕はある。
北京から広西チワン族自治区の区都南寧までは約3時間半のフライトだ。広西チワン族自治区は中国南西部にある自治区で、ベトナムと接している。漓江下りで知られる桂林もこの自治区に位置している。桂林や梧州、柳州は訪れたことがあるが、南寧は初めてだ。
11時に到着し、機内から出ると、モワッとした熱い空気に包まれ、南に来たなと実感できる。航空機の到着に合わせ、鉄道駅のバスが出ているので、これに乗車する。
空港と駅は30キロ以上離れており、小一時間バスに乗車する。駅前の果物屋にはマンゴーやバナナが山積みで、雰囲気は東南アジアに近いものがある。
まずは駅の切符売り場へハノイ行きの切符を買いに行く。2年前からインターネットで切符が買えるようになり、切符売り場の行列は緩和されているかと期待していたが、相変わらずの行列だ。インターネットで切符を買えるのは中国人のみなので外国人である我々は並んできっぷを買うしかない。一昨日にインターネットで確認したときには今夜の列車はまだかなり空きがあった。しかし、駅の電光掲示板では完売となっている。困った・・・。短い旅でガチガチに計画を立てていたのに、いきなりの計画崩壊だ。
代案は、
1.すぐバスターミナルに行ってハノイ行きバスに乗る。---夜行はなく、すぐ行動しても最終便に間に合うかどうかの時間だし、最終便だとハノイに着くのが夜遅く。そんな時間からハノイで宿探しはしたくない。
2.明日朝のハノイ行きバスに乗る。---これが一番現実的な案で、出発前は列車が取れなければこの方法と決めていた。
3.すぐバスターミナルに行って国境の憑祥(ひょうしょう)市までのバスに乗る。憑祥で泊まって、明日朝移動し、ハノイに行く。---これが圧倒的に安く行けるし、2よりも早く着くはず。ハノイからの列車の切符にも不安があるのでなるべく早く着きたい気持ちが出てきている。
4.明日の列車に乗って明後日ハノイ到着。---丸一日遅れるので、明後日バクハで行われる日曜市には間に合わない。南寧滞在を延ばし、バクハをカットすることになる。
今夜の列車にキャンセルが出ていることを期待し、列に並んだまま、2案と3案のどちらにするが真剣に悩む。悩んでいるうちに4案も良いかと思い出した頃に順番が回ってきて、明日の切符を買ってしまった。
もう13時で腹も空いてきており、駅前のホテルにさっさと決めて、すぐに街に出る。食堂街の一角で、見慣れない形の貝が大鍋に並べられている店が並んでいる。南寧名物の一つ酔香螺(スイシャンカー)というタニシ料理だ。
食事というよりもつまみに見えるが、食べてみることにする。筍などと煮られた長いタニシが皿に山盛り出てきた。使い捨てのナイロン手袋をし、爪楊枝と手を使って食べる。美味しそうな見た目そのままで、つまみに良い味だ。
さらに南寧の街を暫く歩く。先程のタニシだけでは量が足りず、今度は肉入りの麺を食べる。
人民公園には大きな池があり、その周りにはバナナやヤシなど南国の植物が植わっている。
広い人民公園の片隅にある鎮寧砲台は中華民国時代に建てられた円形の砲台で、ドイツ製の大砲が中心に残っている。
チワン族(壮族)は中国最大の少数民族で、広西チワン族自治区の3分の1を占めている。このチワン族の民族衣装を身に着けて写真撮影している少女が砲台近くにいた。
公園を出て、再び街を歩く。ナイロン手袋で調味料を食材にからませている料理人がいた。タニシを食べた時には便利になったものだと思ったが、料理は昔のように素手か箸でやるほうが美味しそうだと考えてしまう。
海から離れた場所にある都市だが、市場では生きた魚が売られていた。もっとも様々な南国のフルーツのほうが美味しそうではある。
南寧市の名物料理としてタニシよりもよく知られているのが檸檬鴨だ。アヒルをレモンで味付けした料理である。市場の屋台で並んでおり、夕食の候補とする。
さらに1時間真っ暗になるまで散歩し、ホテル近くで檸檬鴨を出している店を発見。これをつまみにビールを飲んで夕食とする。
20時ころホテルに戻り、シャワーを浴びて洗濯をし私は寝てしまった。21時頃になって外がうるさかったそうで、妻は1人で出掛け、少数民族の踊りを見てきたらしい。