2人の世界旅 日々の記録

4年3ヶ月、1日も欠かさず綴った旅日記
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コンゴ民主>2008年07月23日(Wed)
キブ湖湖上(ゴマ行き貨客船)→ゴマ
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■いよいよ北キブ州へ
船の中では、あまり人に押されない座席が取れたにも関わらず、体調が悪いせいで2人ともよく眠れませんでした。朝から2人で水下痢、辛いです。

港に着く前に船から見えたゴマGomaの町は、あれ? あれ? なかなかに瀟洒です。
「ひょっとしてゴマってお洒落なとこなの?」と、勘違いしてしまったほど。

ここゴマは、ルワンダ国境の町です。20世紀末、かの有名なフツ族過激派によるツチ族およびフツ族穏健派の大量虐殺がルワンダで勃発したときは、ルワンダ国民はその4分の1にも及ぶ大量の人々が難民となって国外へ出ていますが、その難民受け入れの地の1つが、ここコンゴのゴマでした。「ゴマ」といえば、自衛隊派遣もなされていましたから、日本でも名前は知られているところでしょう。

船を降りたら、北キブ州に入るためのイミグレーションを通り、まずは宿探しから始めます。難民キャンプを抱える町ということで、道にはUN(国連)関係の車がいっぱい走っており、道端にもUNの車がいっぱい停まっています。

コンゴ民主東部は、武装した反政府軍の拠点エリア、常々「内戦」のイメージで語られるところですが、今日ゴマを見た限りでは、UNの存在ならびに町中で見られる護衛ポリスの数から、ここは今は問題なく滞在できるだろうと感じました。

そうそう、船からゴマの町を見たときに、お洒落~と思ってしまったのは、湖畔の限られたエリアのリゾート&レジャー施設群であることが分かりました。実際にゴマを歩いてみると、町はどす黒く、道も家も畑もどんより黒ずんでいるように見えます。ここは、2002年および2006年、近隣の火山噴火によりいったん火山灰に埋もれた町で、数年経ってもその火山灰や溶岩が除去されきってはいないのです。

小雨が降ったら、背負っていたリュックが、黒くなりました。
悲しいことだけれど、とっても納得してしまいました。

宿をなんとか見つけて荷物を置いたら、両替商を探しつつゴマの町を歩きました。黒ずんでいて、おどろおどろしい町で、民家街を歩くとヘドロのにおいもいっぱいします。ちょっと長くは歩いていられなさそうなところです。

黒ずんだ町

それでもコンゴ民主を出来る限り旅していたいので、ゴマには2泊はしようと思っています。

問題は、その、先。

ゴマから北上すると、どんどん反政府軍の拠点に近づきます。こういうのを、「レベル地域」と言います。レベルはリベリオンと同じ意味で、反逆者とか反乱者とか反政府ということ。近年も戦闘が勃発しているレベル地域で、なおかつゴマのようなUNの保護もないのならば、私たちのコンゴ民主の旅はゴマでおしまいにするべきでしょう。

和人もあづさも、それぞれが、コンゴの旅はゴマでおしまい、ここからあとはルワンダへ抜けるだけと、ここに来るまでは覚悟をしていました。事前情報でも、ゴマからベニに北上する陸路ルートは反政府軍地域であるため、定期のバスも走っていない -すなわち地元民も足を踏み入れない- 、そんなところに突っ込んだら、反政府側軍人に拘束されては賄賂要求の連続となることは容易に考えられますから、そんなところには行きたくはありません。

でも、バスターミナルに行ってバス運行を確認したとき、驚いたことに、ないはずのゴマからやや北部にあるブテンボButemboに行くバスが出ているなど、「ひょっとして治安はましになっているの?」と思える状況が見えていました。誰に聞いても、今は問題なくベニBeniまで行けると言うのです。

それでも、ただバスがあるというだけでは、渡航には踏み切れません。外国人が入っていって大丈夫なものかどうか、反政府側軍人の有無など、もっともっと、この先の情報がほしい・・・。
本日の旅
行動 :ゴマ行き船下船、ゴマ観光
朝食 :なし(宿探しをしていた)
昼食 :ワリ(白いごはん)、ブガリ(マニオクの粉で作ったもち状のもの)、ニャマ(肉のトマトシチュー)、ビール/ゴマの食堂
夕食 :なし(体調が悪かった)
宿泊 :オテルソキトトHotel Soki Toto

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旅情報
1コンゴフラン=0.2円
1USドル=111円

*ゴマの安宿探し
ゴマはUN(国連)関係者など、外国人が多数入り込む町であるため、宿代が総じて高い。安宿を見つけるならば、メイリーゴマ(ゴマ市役所)からマーケットにかけてのあたりとなる。私たちは1泊10USドル。