2人の世界旅 日々の記録

4年3ヶ月、1日も欠かさず綴った旅日記
 旅して » 2人の世界旅 »旅日記 » 南スーダン »
 旅して » 旅紀行 »旅日記 » 世界旅» 南スーダン »
南スーダン>2008年12月07日(Sun)
前日ムバレ→グル
翌日ジュバ
グル→アティアック→ニムレ→ジュバ
:: 旅577日め : 世界旅85ヶ国め : 和人217ヶ国め : あづさ106ヶ国め ::

■いよいよ南スーダン突入!
本当ならば、グルGuluの町ももう少し見たかった。でも、昨日車窓からみた感じと、実際歩いてみた感じでは、言われなければここが反政府軍エリアだとは想像もつかないほど、賑やかで平和な町でした。

ムバレMbaleで連泊したこともあり、グルは1泊だけで終え、頑張ってスーダンへ突入しようと決めました。

昨日から苦労したのは、ジュバJuba行きのバスの乗り場探しです。かなりの人に聞いてまわりましたが、どうやらジュバ行きバスは首都カンパラKampala発が多く、グル始発はない。そしてカンパラ発のバスはバスターミナルには入ってこず、どこかの路上で客を乗降させるというのです。その「どこか」については、昨日聞きまわって知ったガソリンスタンドより、実際は少し離れたところの路地でした。

ともあれ無事に乗車できて良かったです。

さて、アフリカで最も大きな面積をもつ国スーダン(世界第10位!)は、ただ広いという理由だけではないにしろ、国は南北分裂状態にあります。首都ハルツームKhartoumは北スーダンにありますが、なんと南にも政府があり、その首府は私たちがこれから向かうジュバにあるのです。内戦は22年に及びました。その時間は、旅行者を排斥する時間でもありました。

滅法旅行者が来なくなった南スーダン。現在は停戦中で、戦闘当時よりは当然政情は安定していますが、停戦から時間が経つと、今度は「戦争が終わったにも関わらず庶民の暮らしは良くならない!」という国民の不満が立ち上ってくるもので、事実、最近はそういった点で治安悪化の兆しが見えていることです。

もう一つの懸念事項がありまして、それは入国に必要なビザのことです。

アフリカをエジプトから南下する場合、首都カイロCairoでスーダンビザを取り、ハルツームを含む北スーダンを通り抜けてエチオピアへ移動するというのが一般的ルートですが、南から北上する場合は大変に困難です。まず、ケニアでもエチオピアでも、スーダン(北スーダン)のツーリストビザの取得が大変に困難な状況です。国籍等にもよりますが、申請から取得まで数週間かかったり(普通そんなに待ってられませんよね)、ビザ発給を行わない時期もありました。

でも、カンパラやナイロビNairobiで確認すると、どうやら南スーダンから入国するなら、事前にビザを取らなくても大丈夫らしい、のです、多分。その話は、スーダンへ南から入国する、かなりの原動力になりました。

さて移動の話。

ジュバ行きのバスは、未舗装の砂道を進んでいきます。グルの中心を外れてすぐから土壁に茅葺きという伝統住居を多く見かけることができましたが、いまだ戦闘の跡を見つけることはできません。でも、途中「AMURU」(多分地名だと思うのですが)と書かれた看板のあるあたりから、難民のために建てたような伝統住居の集落も見かけられました。

朝10時、アティアックAtiak国境到着。もしビザがないという理由でスーダンに入国できなかった場合を考えると、ここを出国してしまうことは大変にまずいこと。でも簡単にスタンプをポンと押され、あっという間に出国手続きが終わってしまった・・・。いやん心の準備ができていないうちに(^^;;;;;

11時20分、とうとうスーダン側の、ニムレNimule国境に到着しました。ドキドキドキ・・・、本当にビザも取らずにビザ必要国に来てしまいました。

ドキドキドキ・・・。イミグレーションオフィスで別室に呼ばれます。その入国審査官は、おでこに皮膚が盛り上がるような傷跡がありました。あとから、それはディンガ族のしるしであると分かりました。

サラサラと何やら一筆書き、その紙を持たされた私たちは更に別室送り。そこは料金徴収所のようです。

「お金70000シリングね」と言われ、和人が「ビザ代ですか?」と尋ねると、Yesの返事!! なんと、国境でお金を払うだけで、あれだけ取得困難なビザが取れてしまうの!? なお、80スーダンポンドか50US$での支払いも可ということです。ちなみに70000シリングと80ポンドと50ドルは、ざっと3500円、3500円、5000円です。私たちはウガンダシリングを遣いきってしまっていたのですが、さすがに手持ちのUS$で支払う気にはなれません。和人がすぐさま外に出て両替して、スーダンポンドで支払いました。

記入書類は「南部政府(Goss)支配地域はすべて旅できる」主旨の一文が書いてある「トラベルパーミット」なるものですが、イミグレ官の誰に聞いても「スーダン全土旅行できるから心配するな」と言うんですよね。うーむ・・・。具体的に、北スーダンのハルツームに行けるかと聞いても、皆が「問題なく行ける」と言います。もしそれが本当なら、ものすごいことなのですが。

でもいずれにしても、私たちは、事前にビザを取らずに入国できてしまったことには変わりありません。

ニムレ国境を出たあと、私たちはバス車内で、「すごいねすごいね」、「本当に入れちゃったね」と、揚々と会話をしていました。なお、国境から先の道は道は平らで良いのですが、何しろ砂ぼこりがすごくて、車内にいるのに全身に砂をかぶってしまいます。

途中、道端に捨てられていた戦車を見かけたとき、ここが内戦地であったことを、再び実感し・・・ちょっと怖くなってしまった。

■南スーダンから脱出する道
さてさてジュバに着いたのは夜6時すぎです。地元の人の案内と協力で、安宿を見つけることもできました(事前情報では1泊90US$のテント泊が最安だった。たかーい)。

南スーダンに入ったはいいものの、20年以上の内戦により旅行者を阻んできたこの場所から、旅行者である私たちはどうやって脱出したらよいのでしょう??? 実は、来た道を戻る以外に、確実な方法を知りません。つーか、知れる訳がないじゃないか、旅行者情報がないのだから(ーー;;

(1)入国前の計画
ジュバから東へ移動し、ケニアへ移動する。その国境を越えた者は、最近の情報ではUNやNGO関係の車しか知らない。
(2)事前に聞いて無理と言われたルート
南スーダンから北スーダンへ陸路移動。飛行機を使わない限り移動手段がないらしい。
(3)まったく情報がないが一番希望するルート
南スーダンからエチオピア南西部への直行の道(国境ポストが掲載されている地図にも出入国地点は存在しない)

明日は、ジュバからの脱出の道を、探します。聞いて聞いて聞きまくって、夢ルートを、納得いくまで掴もうと思います。

写真は、白ナイルにかかる橋 (※コラー、橋は撮影禁止だぞー、笑)

白ナイルにかかる橋

ここまで来たら頑張り抜くしかないのだ、むんっ( ̄ヘ ̄*
本日の旅
行動 :グルからジュバへ移動、ウガンダ出国、スーダン入国(しかも南部!)
朝食 :なし(移動していた)
昼食 :なし(移動していた)
夕食 :ワリ(ごはん)、ニャマ(肉のトマト煮)、ポショ(とうもろこし粉を炊いたもの)/ジュバの食堂
宿泊 :マイクホテルMic Hotel

関連ページ
行程 行程  お金 お金  写真 写真  お宿 お宿  ご飯 ご飯  ≫2人の世界旅トップ

旅情報
1ウガンダシリング=0.05円
1スーダンポンド=44.8円
1USドル=100円

*スーダン南部のトラベルパーミット(旅行許可証)
ニムレ国境で「ビザ」と言われて発行されたものが実際には旅行許可証だった。日本の外務省渡航情報には「2005年以降、南部訪問であっても北政府発行のビザ取得が必要」といった主旨の文章があるが、カンパラ、ナイロビ、ロキチョキオのどこで確認しても、ビザなしで南スーダンに入国できると言われ、実際、南部を旅行して、旅行許可証のチェックは何度もされたがビザのチェックはされなかった。なおこのパーミット用紙には渡航可能地域として「南部政府(GOSS)支配地域全土」と記載され、入国係官は北部ハルツームを含めスーダン全土を旅できると言っていた。実際は前者が正しい模様。この旅行許可証だけでは北スーダンには渡航できないと、旅の間いろいろ集めた情報から判断できた。

このパーミットは3ヶ月滞在可能のシングル(1回入国用)で、70000ウガンダシリング、80スーダンポンド、50USドルのいずれかで支払う。マルチ(入国回数無制限)も存在する。ナダパル国境でも同様に取得できるとのこと。
前日ムバレ→グル
翌日ジュバ