2人の世界旅 日々の記録

4年3ヶ月、1日も欠かさず綴った旅日記
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ニジェール>2008年02月07日(Thu)
コトヌー→パラクー→マランビル→ガヤ→ドッソ→コレマイルワ→ドゴンドゥチ
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■予定が狂ってニジェールへ
「チャドが内戦を始めた」・・・それだけで、自動的にベナンからニジェールへと行かなければならなくなってしまいました。当初はナイジェリアを経由してニジェールだったのに・・・。

夜1時ごろに宿を出てバスターミナルへ移動。
ニジェール行きの国際バスは夜2時40分に出発しました。
このバスはとっても快適! アフリカのバス移動では、これまで通路にも人がごった返すようなバスが多かったのですが、今日のバスは空席もあってゆったりできます。2人がけの席を1人で使え、前方に足が伸ばせたから、深夜発でも眠ることができ、パラクーParakouに着いたときもすっきりと目覚められたほどでした。

バスは国境の町マランビルMalanvilleに順調に到着。バスを降りたところがイミグレーションで、出国手続きをしていたら・・・あれれバスがいなくなってしまったー(・・;;; (大汗) なんと私たちを置いてバスは先に国境の橋を渡り、ニジェール側に行ってしまったのです。おおかたの荷物をバスの中に置いたままだったので焦りましたが、ドキドキしながら歩いて橋を渡って、そしてニジェール側イミグレーション前で無事にバスを見つけ、ほっ。

私たちは国境から少し先のドッソDossoで降りました。ニジェール河沿いに道が走っているところでは、大好きな大河で暮らしを営む人々の様子も見えました。

ニジェール河

ドッソの町に入ってからの車窓は、特にこれといって見たいと思う景観がなく、また、バスを降りたところの近くから、目的方向である東へ行く乗り合いバスが見つかったことにより、私たちは直ちに次の町へ移動することにしました。

ニジェールで宿泊する最初の町となったのは、ドゴンドゥチDogondoutchiでした。乗合バスを降りて近くの宿に行ったところ今日は満室、しかもこの町には宿が1軒しかないのだそうです。「どうしよう、しゃーないテントでも張るか」と、ほかのテを考えているとき、1人のニジェール人のおじさんが、「コンニチハ、アナタハニホンジンデスカ、ワタシハニホンゴガハナセマス!」と声をかけてくれました。おじさんはニアメイ在住の方で、農業の研究をしているのだそうです。その研究つながりで筑波(農業の研究機関もたくさんあります)に8ヶ月いたのだそうです。

おじさんのニホンゴは、私たちからすればまだカタコトといった感じもあります。

「コノヘヤハウジャビドピュイエル・・・」
(この部屋は私が昨日から泊まっていて・・・みたいな意味と思われる)
ほらほら会話していると途中からフランス語混ざるしーーー(^^;;

それでもきっと難しい言語だったでしょう日本語を、ニジェールに戻ってからも覚えていてくれるなんて、嬉しいですよね。

幸いこの宿の造りが独特なもので、円形バンガローの半分がベッドルーム、半分がロビースペース、それらが完全に仕切られるものでした。おじさんそして宿の人の好意でロビー部分にマットを敷いてもらえ、私たちは、なんとか今日の寝る場所を確保することができたのでした。
本日の旅
行動 :コトヌーからドゴンドゥチへ移動、ベナンからニジェールへ移動
朝食 :モル(白いごはん)にスヌ(トマトと玉ねぎベースのレッドペッパー入りスパイシーソース、今日は肉入り)をかけたもの/パラクーの食堂
昼食 :フォイ(クスクスのこと、ピーナッツソースベースで玉ねぎ角切りゆでキャベツと一緒に和えている)/ドッソの路上ごはん屋
夕食 :シンカファ(白いごはんをついてもち状にまとめたもの)にメアー(シチューのこと、今日のメアーはビーフシチューの素を濃くしたようなしょっぱくて辛味もある濃い旨みがある)/コレマイルワの路上ごはん屋、ドゥアジ(麦(ミル)をついてもち状にまとめたもの)にゴロ(バオバブの葉のソース)とメアーをかけたもの、山盛りリーフレタスサラダ/ドゴンドゥチの路上ごはん屋
宿泊 :オテルマガマHotel Magamaのベッドルームでないスペース

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旅情報
1セーファーフラン=0.25円

*パラクーとコトヌーを結ぶ鉄道
ベナン中部の都市、パラクー。地図を見るとここから首都コトヌーまで鉄道が敷かれている。しかしパラクーまで列車で移動しようと駅に確認に行ったら、現在は貨物のみの運行ということで、客車は無いという話だった。