:: 旅272日め : 世界旅52ヶ国め : 和人214ヶ国め : あづさ73ヶ国め ::
■銀行問題
朝起きてまず銀行へ行きました。
昨日のATMマシンとキャッシュカードの不具合を、顧客担当者に説明しました。ともかく、過剰に引き落とされた口座残高を、適正に戻してもらうことが最大の目的です。
銀行では英語が話せる人が多く、助かりました。もともと英語はそんなに得意ではないのですが、フランス語圏を旅していると、英語で話せることが天国であるように思えます。だから、きちんと状況を説明することができました。
銀行の支配人宛てに、適正な取引のための依頼書を書いたら、顧客担当のお姉さんが、「あとは、こちらで、日本側の銀行と対応しますから、安心してください」と言ってくれました。
銀行を出て、遅くなった朝食を食べたら、早速に和人がナイジェリアの通貨(ナイラ)を買いに行ってくれました。そして今度は2人でネットカフェへ入ります。日本側の銀行にもこのトラブルを伝達し、対応してもらうためです。
そうしてネットカフェで、残った時間は、これからの渡航国に関する情報を得るのですが・・・。
■チャドが戦争を開始した
今日は2月6日。
チャドが戦争を始めたことを、知ってしまいました。
反政府勢力が拠点とするダルフール地方(チャド東部、スーダン国境側)から西部にある首都ンジャメナN'Djamenaへ侵攻。
2月1日、ンジャメナの東50km地点で侵攻を阻止する政府軍との間で戦闘が始まる。
2月2日、政府軍は反政府武装勢力を抑圧できず、反政府武装勢力は首都ンジャメナへ到達。政府軍との戦闘の末に首都ンジャメナを制圧した。そして大統領官邸を包囲し(官邸にはデビ大統領がいるとみられる)。
2月3日、反政府勢力は政府軍との戦闘を続けた。政府軍の参謀総長が死亡したとみられる。
今日は2月6日。旅をしていると、なかなかネットにアクセスできないのですが、このときばかりは、5日前に始まった戦争についての情報をキャッチできなかったことを、極めて悔しく思いました。逆に言えばベナンから動き出す前にキャッチできて良かったのかもしれないけれど・・・私たちは一昨日のうちにチャドを経由してカメルーンへ入るルートを作ってしまっていたので、大変に、大変に悔やまれます。
もともと最近のチャドは、東部は旅行者が入るべきところではありませんでした。スーダンとのダルフール問題地域であり、先述の、チャドの反政府勢力軍の主要な拠点だからです。そして4ヶ月前には北部も入れなくなりました。部族間抗争が激しく非常事態宣言が出され、そして地雷が多数存在する上に舗装道路がないところが圧倒的に多いからです。
だから、チャドに行くなら、西部、つまり首都ンジャメナがある地域のみと思っていたのに、そこが戦争の地となってしまった以上、チャドを外した日程を・・・やばい、急いで作りなおさなければ。
■ニジェール、トゥアレグリベリオン
ニジェールでは、トゥアレグリベリオン(トゥアレグ族による反政府組織)が大きな問題となっていることも、兼ねてより知っていました。反政府組織は、北部アガデスAgadezにある政府軍基地の爆撃や乗り合いバス襲撃といった、政府軍との間に攻撃を仕掛けたことも、最近のニュースの1つです。
2ヶ月前に、アガデスよりも南で地雷テロによる爆発事件が連発したことも、知っていました。
アガデスでは、旅行会社閉鎖、宿も閉鎖、海外英語掲示板情報によると旅行者皆無といったシビアな状況になっています。アガデスから出るには許可証が必要かつそれは旅行者には出されない・・・もし万が一アガデスに入ってしまったら、袋小路となってしまうでしょう。
先日あづさがアガデスにある旅行会社10社ほどに、アガデスおよびそれ以北・以東の渡航の可否についてメールを出したのですが、今日返事を確認した数社のすべてが、「impossible」(不可能)との回答でした。そしてそれらのメールにはすべて、「Because of Tuareg rebellion(トゥアレグによる反政府勢力問題のため)」と書いてありました。
サハラとサヘルの国、憧れのニジェールには是非行きたい。
でも、中南部が地雷テロの標的となり、北部が戦闘の場となってしまい、そして東部は戦争地チャドとの国境・・・。こういうの、“六方ふさがり”って呼びましょうか・・・南の、ほんのナイジェリア付近しか通れない、ニジェールの内部に突っ込めない状況・・・。
■中央部アフリカの旅計画
チャドの首都ンジャメナで取るはずだったカメルーンビザ。やばい、取れる場所が、自動的にナイジェリアしかなくなった。石油問題で世界最悪の強盗多発地域の1つとまでされるナイジェリア南部を通ってカラバールCalabarでビザを取るか、あの悪名高き治安の悪い大都市ラゴスLagosでビザを取るか、どっちも、気楽なものではない。
「ニジェール→チャド」ルートがなくなった。やばいなあ、ニジェールから先、チャドに行けない上に、ニジェール北部やアルジェリアもダメで、「ニジェール→ナイジェリア」が自動的に決まってしまった。
ナイジェリアビザは、ガーナのアクラで取得したビザはシングルビザ(1回入国用)だ。・・・となると、自動的に「ニジェール→ナイジェリア」しかない以上、自動的に「ナイジェリア→カメルーン」しかなくなる。
「ナイジェリア→カメルーン」しかない以上、カメルーンビザは、マルチビザ(出入国回数無制限)が必須だ。といっても、希望したところで、出してもらえなければもうおしまいなんだけど。中央アフリカへの往復、赤道ギニアへの往復、・・・これらルートは、カメルーンビザがマルチビザでないと、もう、組めなくなってしまう。
ともかく、「ニジェール→ナイジェリア」しか動けない以上、「ベナン→ナイジェリア」ルートは自動的に消滅した。今、ナイジェリアのラゴスに近いベナンのコトヌーにいるのに・・・もう何たることよ。
だから、「ベナン→ニジェール」、これが自動的に決まってしまった。ニジェールったって、“六方ふさがり”なのに、行って、何が、楽しいんだろう、分からない。
「ニジェール→チャド」のルートを考えていたからこそ、差益損失なしに両替できるような分量の西アフリカセーファーフランをキャッシングした。なのに、なのに、なのに、「ニジェール→ナイジェリア」ルートが自動的に決まってしまった以上、こんな大量の西アフリカセーファーフランは、無駄じゃないか・・・。紙くずになってしまうではないか・・・。
和人が、まず外に出た。ナイジェリアのルート変更に伴う必要通貨(ナイジェリアナイラ)の分量を計算し、更に西アフリカセーファーフランの過剰分を計算して、無駄な紙幣が出ないよう、USドルを買いに行ってくれた。良いレートで売ってくれるところが見つかり、ちょっとほっとした。
次に、あづさが外に出た。「ベナン→ニジェール」が自動的に決まってしまったため、本当に動ける足があるのかどうか、バス会社を探しに行く。見つかったのは、ガイドブックにすら載っていない場所にある会社だった。ニジェールの首都ニアメイNiameyはブルキナファソ寄りにあるが、ブルキナファソの旅を終えた今、ニアメイに行く必要はない。1人きりでチケット売り場にいる、和人に相談するすべもなかったが、いろいろなことを考えて、ニジェールのドッソDossoまでの直行バスチケットを買った。今夜、深夜2時発という恐ろしい時間帯のものだったが、それでも、和人に、この判断を褒めてもらえた。嬉しかったナ。
この日記後半に、「自動的に」という言葉を敢えて多く使いました。
“チャドが戦争を始めた”、それだけで、私たちの旅計画は、まるで磁場の狂った羅針盤のように、思いがけない方向を向いてしまい、その舟は、その方向に進まざるを得なくなってしまうのです。
恐いことです。
しかし、これぞアフリカの旅の特徴であることも否めません。多くの地域の旅とは違い、戦争、内戦、ビザ問題等で、最も「思ったルートが通れない」のが、アフリカの旅なのです。
頭では分かっていても、狂った羅針盤が自分たちの全てであるという今の状況は、強いストレスそのものです。
でももう時間に余裕はありません。
急遽も急遽、本当に急遽決まってしまった今夜2時のバス移動のために、今日の夜は慌てて荷物詰めをし、予定になかったニジェール旅の、再検討を行うばかりとなってしまいました。
六方ふさがりのニジェール・・・。ホント、行って、何が楽しいんだろう。分からないけれど、その国の良さを、きっとそこに暮らす人々の素顔は今も存在するのだろうから、それらを自力で探しに行くのも、また、旅?
今はそう思いたいけれど、余裕が、ありません。
さて、こんな日は、観光の写真などありません。それでも私たちを支えるのは、日々の美味しいごはん(!?)です。写真はコトヌーで素晴らしくハマった食、「キャッサバの粉にお湯を加えて練って練って練りまくったもの「エバ」を旨いソースにつけて食べるもの」です。マニオクとキャッサバは同じイモですが、ガリと呼ばれる粉になると食感が全く違ってきます。粉から作ったほうが、キュキュキュとした噛み心地があって、だあいすき!
終(つい)に、食べ物にしか心の逃げ道がなくなったか!?(←反語で読んでね、いやそんなことはない、と)
しかし真面目に、時間に余裕がない・・・(>_<)
本日の旅
行動 :銀行関連の用事を済ませる、旅計画、急遽ニジェール行きに変更せざるを得なくなり、移動準備開始
朝食 :アチェケ(煮豆(ハリコー)、スパゲティ、角切り玉ねぎ、揚げ油、揚げサバ、辛いピーマンのみじん切りを乗せたもの)、パイン&シトラスジュース/別の路上ごはん屋
昼食 :フフ(今日のフフはマニオク!)にソスゴンボ(オクラとスンバラー入りとろとろのレッドペッパー入り赤いソース)と肉煮込みソースをかけて肉を乗せたもの、フフにソスアグシ(瓜の種をつぶしたモロモロしたものが入っている魚のソース)とソスゴンボをかけて肉を乗せたもの/コトヌーの食堂
夕食 :エバ(別名ピロー、ガリ(キャッサバ粉)にお湯を加えて練ったもの)とモルクン(白いごはん)にレヌイ(魚のダシが利いたモロヘイヤとろとろ煮込み)とジャ(別名ソスペペ、トマトとレッドペッパーを多量に入れ汁気を少なく油多めにした辛いソース)をかけたもの/コトヌーの路上ごはん屋
宿泊 :ペンシオンデファミーユアマゾンPension des Familles Amazon
旅情報
1セーファーフラン=0.25円
*コトヌーからニジェールのバス
私たちは、コトヌーで安宿が集まるジョンケットJonquet地区に宿泊したので、そこからニジェール方面バス会社を探し始めた。見つかったのは、ゾンゴZongo地区にある、最新のLonely Planet地区の地図にも載っていない会社(Rimbo transport社)だった。バイタクならば、「ゾンゴ、リンボ、ガールルティエール(バスターミナルの意)」を連呼すると分かってくれるだろう。
リンボ社では、コトヌー→ニアメイ間片道18700セーファーフランだが、途中ドッソでの降車では15700セーファーフラン。深夜2時発、1日1便。
乗り心地は・・・今までのアフリカでのバス旅を振り返っても、大変良かったです。定員に満たなくても発車してくれるから、2人座席を1人で使えたことが、深夜移動には有難かった。