モンゴルの食事
93年、01年に次いで、3度目のモンゴル。発展を続けている国なのでこれだけ間が空くと変わっていることが多いが、一番驚いたのは食事である。93年はホテル以外に食堂などなかったのが、01年にはたくさんの食堂が出来ていて驚いていた。その頃から首都には外国の食べ物がたくさん入ってきていたが、地元民用の食堂は、羊、羊、羊・・・。しかもあまりうまくなかった。
今回驚いたのは、野菜がふんだんにあること。種類も多く、値段も安くなっている。セットメニューのサラダは量が多くなり、味も良くなっている。何よりも、ホーショール(大きな揚げ餃子)やボーズ(餃子のような皮で包んだ肉まん)の具に、ネギなどの野菜が混じっていることに感激。これならいくらでも美味しく食べられる。少なくとも、ウランバートルに関していえば、モンゴル情報で書いた「モンゴルでは食事が旅の楽しみとはならない」は取り消さねばならないだろう。
今回驚いたのは、野菜がふんだんにあること。種類も多く、値段も安くなっている。セットメニューのサラダは量が多くなり、味も良くなっている。何よりも、ホーショール(大きな揚げ餃子)やボーズ(餃子のような皮で包んだ肉まん)の具に、ネギなどの野菜が混じっていることに感激。これならいくらでも美味しく食べられる。少なくとも、ウランバートルに関していえば、モンゴル情報で書いた「モンゴルでは食事が旅の楽しみとはならない」は取り消さねばならないだろう。
モンゴルでの両替
陸路で入国の場合、鉄道駅にある2階が切符売り場である建物の1階に、両替所が3ヶ所、ATMが4機あった。両替レートは窓口によって微妙に違う。ATMも銀行ごとに違うマシン。VISAマークのあったのは1台だけで、そのマシンは250000ツグルクが限度額。もっと欲しかったので、VISAマークなしの2台目にトライしたが、使えなかった。3台目、マスターカードのみ表示しているATMにトライ。VISAで400000ツグルクおろせた。
首都まで来れば、両替所やATMはいくらでもある。ドルの売り買いのレート差が非常に小さいので、余っても再両替は気楽に出来る。宿等でドル建てで料金設定しているところも多い。ツグルク払いにしたい時はレートを事前にチェックすべし。
首都まで来れば、両替所やATMはいくらでもある。ドルの売り買いのレート差が非常に小さいので、余っても再両替は気楽に出来る。宿等でドル建てで料金設定しているところも多い。ツグルク払いにしたい時はレートを事前にチェックすべし。
モンゴルで大雪
モンゴル入国後、すぐに夜行列車に乗車。途中から寒いなぁと思っていたら、外は吹雪だった。雪は一晩中降り止まず、あたりは一面の雪景色。めちゃくちゃ寒い。ウランバートルに着いた時はもうすぐにでも中国に戻ろうかと思ったほど。セーターもフリースもなく、持っている服を全部着ても日本の秋用程度、ズボンはペラペラの夏用しかないのだ。5月でも雪になることがあるのは知ってはいたが・・・。
この日の最高気温は-2度、最低気温は-5度だったらしい。この気温で観光などする気になれず、先の計画の練り直しを始めたが、週間天気予報を見ると、翌日以降の最高気温が、6,9、15、18、18、18と一気の上昇予測。ほっとした。
この日の最高気温は-2度、最低気温は-5度だったらしい。この気温で観光などする気になれず、先の計画の練り直しを始めたが、週間天気予報を見ると、翌日以降の最高気温が、6,9、15、18、18、18と一気の上昇予測。ほっとした。
中国でのインターネット
今回はここまで10軒の宿に泊まったが、インターネットが出来なかったのは福建の土楼で泊まったときのみ。比較的贅沢な宿を選んではいたが、2軒泊まった旅社クラスの安宿でも部屋でネットができたのには驚いた。ただし、政府の制限で閲覧できないサイトが非常に多い。日本の主なレンタルブログはほぼ全滅で、フェイスブック等も使えない。
宿でネットができるのでネットカフェに入ったのは夜行列車を待つ時間潰しに入った1軒のみ。入った店では身分証明書が必要で、パスポートではオンライン登録できず、貸し渋られた。店員が自分が借りたことにしてくれたが、どうも使用情報は公安に直結しているよう。何とか借りたネットだったが、日本語表示できないし、遅くてまいった。1軒しか見ていないのでなんともいえないが、パソコンなしでネットカフェに頼る旅は以前よりも面倒かも。
宿でネットができるのでネットカフェに入ったのは夜行列車を待つ時間潰しに入った1軒のみ。入った店では身分証明書が必要で、パスポートではオンライン登録できず、貸し渋られた。店員が自分が借りたことにしてくれたが、どうも使用情報は公安に直結しているよう。何とか借りたネットだったが、日本語表示できないし、遅くてまいった。1軒しか見ていないのでなんともいえないが、パソコンなしでネットカフェに頼る旅は以前よりも面倒かも。
鑑真の故郷
8世紀、日本における律宗の開祖であり、授戒の制度を日本に根付かせたのが鑑真和上。鑑真は中国楊州生まれの帰化人である。鑑真が日本に来る前に住職をしていた寺が、大明寺といって今も楊州にある。鑑真像や鑑真についての詳しい展示などがあり、一見の価値あり。中国人も中にある鑑真館を次々に訪れています。詳しいことは中国揚州大明寺・日本語版公式サイト参照。
中国四大庭園
楊州の个園入口に、中国四大名園の1つであるとの碑があり、他の3つはどこかと検索したら、ウィキペディアを始め、多くのサイトでの四大名園は、北京の頤和園、承徳の避暑山荘、蘇州の拙政園、蘇州の留園で、个園は入っていない。
ちなみに、个園が入っているサイトで抜けているのは、留園である。日本語のサイトでは詳しく分からないので、中国語のサイトも見たところ、こちらでも留園が優勢だが、个園が入っているものもあり、掲示板で議論になっていたりもする。个園は公式サイトのタイトルが中国四大名園之一个園とここでも四大名園であることを強調していたりもする。まあ、入場料が高いと感じ、また既に閉園間近の時間だったこともあって、个園に入ることを止めた私にはどっちでも良いことですが、さすがは中国といったところかな。
ちなみに、个園が入っているサイトで抜けているのは、留園である。日本語のサイトでは詳しく分からないので、中国語のサイトも見たところ、こちらでも留園が優勢だが、个園が入っているものもあり、掲示板で議論になっていたりもする。个園は公式サイトのタイトルが中国四大名園之一个園とここでも四大名園であることを強調していたりもする。まあ、入場料が高いと感じ、また既に閉園間近の時間だったこともあって、个園に入ることを止めた私にはどっちでも良いことですが、さすがは中国といったところかな。
京杭大運河
1400年前、隋の時代に建設された京杭大運河は、杭州から北京を結ぶ運河で、万里の長城と並ぶ、奇跡の古代大規模建設といわれている。
この京杭大運河を、運河によって建設当時から栄えた楊州で見に行った。世界各地で運河を見てきたが、幅の広さにまずびっくり。今までに見た運河は、どこも幅は狭く、船のすれ違いができる場所さえ少ないのに、ここは言われなければ大河とも思える幅の広さ。そしてそこを行き来する船の多さにもびっくり。今も生きているどころではなく、今も物流の大動脈だ。
観光地ではないので、地図を見て運河の上に架かる橋に行き、運河を眺めたわけだが、後から調べると3年後には世界遺産申請する予定で整備を進めているらしい。中国人は日本人以上に世界遺産好きだから、登録されればここにも大勢の人が来るのだろうか? それとも観光用に整備された見学ポイントができるかな。
この京杭大運河を、運河によって建設当時から栄えた楊州で見に行った。世界各地で運河を見てきたが、幅の広さにまずびっくり。今までに見た運河は、どこも幅は狭く、船のすれ違いができる場所さえ少ないのに、ここは言われなければ大河とも思える幅の広さ。そしてそこを行き来する船の多さにもびっくり。今も生きているどころではなく、今も物流の大動脈だ。
観光地ではないので、地図を見て運河の上に架かる橋に行き、運河を眺めたわけだが、後から調べると3年後には世界遺産申請する予定で整備を進めているらしい。中国人は日本人以上に世界遺産好きだから、登録されればここにも大勢の人が来るのだろうか? それとも観光用に整備された見学ポイントができるかな。