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2019 スマトラ島
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スマトラ島縦断
6日目 →メダン
明るくなった時点で時計と現在位置を確認し、予定の9時10分に着かないことは確信した。相変わらずナツメヤシのプランテーションが多いが、集落になると住宅の間にキャッサバが続くようになった。
踏切で遮断機が半分降りて、前の車が止まったのに、バスは反対車線に出て踏切に突っ込んでいった。何をするのかと思いきや、道路が斜めなために遮断機と線路の間にバス一台分のスペースがあり、そこに入り込んだのだ。つまり遮断機がバスの後ろに降りた状態である。インドネシアの交通マナーはむちゃくちゃで何でも突っ込むから、至るところで渋滞になるのだが、ここまでするとは思わなかった。
ずっと朝食ストップを待っていたが、朝食ストップはおろか、トイレ休憩さえない。バスのトイレは壊れて使えないのに皆さん大丈夫なのか・・・。
メダン郊外になるとここまで見なかった水田が広がるようになる。街が近くなってきて、このまま休憩なしになりそう。
10時にメダンのバスターミナル到着。出発が遅れた分遅れただけで、思ったよりは早く着いた。案の定、皆さん下車したら一斉にトイレへ。ところが男子トイレは掃除中で使わせてもらえず。女子トイレを使えといわれるが、女子トイレも同じバスの人々で行列だ。掃除人と乗客がもめているがらちがあかない。私は諦めてすぐ近くの別のバス会社のターミナルへ行ってトイレを済ませた。
そして近くにあったショッピングモールへ。人口200万人を越える大都市メダンのモールはさすがにでかい。食事場所も多く、たまにはきれいなところで食べようかと思ったが、一回り見ただけで終わってしまった。
これまでの街と違い、メダンにはまだ使いやすい市内交通システムはない。空港からの列車は開通したようだがそれだけ。大型バスも少しはあるが、ほとんどのバスがバンで使い難い。Grabでバイクタクシーの値段を確認したら12000RP=100円、バスは5000RPだが、これくらいならバイクタクシーで良いかなと思う。でも良く考えてみたら宿までは5キロ程度。一人旅をしている頃は街に着いて宿まで5キロなら必ず歩いてたなと思いだし、歩くことにする。
暑い! 思ったよりも暑く、すぐに汗だくになってしまった。半分くらいのところで、朝兼昼の食事をとる。
12時前にホテル到着。この時間なら部屋に入れるだろうと思ったが、規定の14時まで待ってといわれ、がくり。ロビーで充電をしながらパソコンで写真の整理をしたり、この街の事を調べたりする。あっという間に1時半になっており、無事部屋に入れた。シャワーを浴びて、洗濯をし、すぐに出かける。
インドネシアに来てからインドネシア人の背は低いなぁと思っていたが、この街の人は背が高く、ほりも深い。なんて思っていたら、インド人街を歩いているのだった。
南インド風のヒンズー寺院は見どころの一つだが、昼休みで入れず。
オランダ領時代の建物の多くはボロボロになっているが、中にはきれいでまだ使われているものもある。
なぜか路上にコウモリの籠が置かれていた。こうやってまじまじ見るとやはり哺乳類だなぁと思う。
これもオランダ領時代の建物。
張阿輝故居(Rumah Tjong A Fie)は、1895年に建てられ、現在は博物館になっている。
メダンで一番人気のある観光地は、マイムーン宮殿。メダン周辺を治めていたデリ王国のスルタンが1888年に建てた宮殿である。
入場料を取るのに入れる部屋が2つだけで、ちょっと肩透かしを食った感じ。しかも多くの場所を貸衣装屋と土産物屋が占めている。インドネシア人がスルタンの服を着て記念写真を撮る場所のようだ。でも今もスルタンの子孫が住んでいるというのだから入れる場所が少なくても仕方ないところだろう。
もう一つがグランドモスク。またしてもお祈りの時間に当たってしまい中には入れず。
古い給水塔。
歩いているとビルの向こうに大きな中国寺院が見えた。この辺りが中国人街だそうだ。この街はどの地区でも中国人が多いので、あとから調べるまでここが中国人街だとは気付かなかった。中国人排除の運動はスマトラまでは来なかったのだろうか。
メダン駅。渋滞解消のために鉄道建設に力を入れているそうだが、駅は古い建物だ。でも外から見る列車はきれいに見えた。
夕方になってヒンズー寺院まで戻った。ゴプラムの周りが狭すぎて、やはり写真は難しい。
中の神々はやはりインドのヒンズーそのもの。
最後に軽い麺を食べる。