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2019 スマトラ島
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スマトラ島縦断
9日目 バンダアチェ
今回の旅で唯一移動をしない日とあって、少々朝寝坊。昨日は行きそびれた津波博物館をまず目指す。排水溝に何か動いたので見に行ったらワニでビックリ。ワニの方も驚いた様子で、暗渠の奥に一目散で逃げて行く。途中で朝食をとるつもりだったが、カフェで軽食というのがこの辺りの朝食スタイルのよう。しっかり食べたかったので、店を探しつつ歩くが、これといった店はなし。
街の中心にある公園で大勢の人々が集まっているので立ち寄ってみる。
テレビカメラも入っており、何やら楽しそうだが、子供向けのイベントだったので、少し見ただけで先に進む。
公園の片隅には無料WIFIプラス充電の設備があった。オセアニア諸国では何度か見かけた設備だが、アジアで見るのは初めて。
そして津波博物館へ。2004年のスマトラ島沖地震でバンダアチェの街は壊滅している。その時の写真や映像が見ることのできる博物館だ。すでに閉まっていた昨日でさえ人が多かったほどで、今日は行列までできている。見応えある博物館だが、展示物は予想より少なく、思ったよりあっけなく見学は終わる。
街の中心部までは遠くないが、昨日歩いた道になるし、無料バス乗り場すぐ近くだったので、バスに乗る。
朝昼兼用の食事。アチェの名物であるヤギ料理を食べる。久しぶりのヤギ肉はやはりうまい。
再び無料バスに乗り、ウリールーエビーチを訪れる。ウリールーエは、津波以前には村もあった大きな砂州で、その先端は近隣の島々に向かうフェリー乗り場となっている。津波で砂州は分断されているが、港の場所は変わらずで砂州が流され水路になった場所は橋が架かっている。港には午後の船を待つ白人旅行者が大勢いた。高速船で45分のところにあるサバン島は白人旅行者人気のビーチリゾートなのだ。
ウリールーエビーチはたくさんベンチが並んでいるが、客は少なく、何よりも防波堤を作ったために水があまりきれいでなく、がっかりした。
ここからバイクタクシーに乗って、トルコ人墓地へ。ポルトガル人がアジアに進出した16世紀から、当時のアチェ王国はトルコのオスマン帝国と連携し、ポルトガルなど欧州勢力の進出に対抗してきた。それ以来、アチェとトルコは関係が深く、今もトルコ人が多くいるという。今ある墓地は津波で流された後、トルコ政府の協力で再建されたものとなっている。
今回は一人旅ということで、土産を買わねばならないのだが、アチェには大きな店がほとんどない。街の中心にあると思っていたショッピングモールは2軒とも閉まっている。雰囲気的には津波で閉鎖したままのようだ。地図にあるスーパーも行ってみるとコンビニレベルの個人商店ばかりで土産になるようなものがない。困ってしまい、郊外に新しくできたというショッピングモールにまでわざわざバスに乗って行ってみる。しかし、今度は新しすぎて、まだテナントが半分くらいしか入っておらず、買いたくなるものはない。うーん。
ショッピングは諦めて宿に戻り、夕食はサテ(串焼き)。カレーのようなソースをかけて食べるのがスマトラ風だ。
量が足りなかったので、別の店で天ぷら。豆腐とテンペ(インドネシア風納豆)、コロッケ(具は甘い芋)。辛いチリソースを付けてくれたが、ソースなしの方がおいしい味だ。