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難民ホテル

グルジア

 初めて旧ソ連の国々を訪れた93年、モスクワではグルジア内戦のニュースが連日流れていた。大相撲初場所で初の欧州出身幕内力士として話題の黒海関が、両親と離れ故郷を脱出することになった内戦だ。一気に旧ソ連の国々を訪問する私の計画も当然狂い、グルジアを実際に訪問したのは何年も後である。
 トルコから陸路入国し、グルジア第二の都市クタイシに着いたのは夕暮れ時。ホテルだと案内された建物には看板がない。入ると構造はホテルだが、フロントは資材置き場となり、営業していない。内戦による難民のアパートとなっていたのだ。もう一軒案内されたホテルも看板がなく、難民が住んでいたが、こちらにはホテルとして確保されている部屋があった。メンテナンスはされておらず、水が出るのは朝の数時間のみというような状況だが宿泊はできた。戦闘は独立運動をしている少数民族の地域で主に行われたので、クタイシ観光中に内戦を感じることはなく、世界遺産の教会では結婚式が次々行われていたほど平和であった。
 首都トビリシのホテルはきれいで、難民の存在すら忘れていたが、景色を見ようとエレベーターで最上階に上がって、扉が開いた瞬間に絶句。壁や天井は汚れ、じゅうたんはすり切れたまま、隅にはゴミ袋の山。何ともいえない気分で宿泊階に戻った。気になって今度は階段ですぐ下のフロアに降りたが、そこも同じ状況。宿泊客用フロアと地上階のみ改装し、他の階はここでも難民アパートとなっていたのだ。
 グルジアでは再び内戦の危機が迫っているが、これ以上難民を生まないでと今は祈るのみ。


産経新聞連載
「(新)一国一景」
未掲載分

エッセイ