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ペルーの強盗

 日本から飛行機を乗継ぎ、一気に南半球のペルーはクスコまでやって来た。時差ボケが残り早朝から目覚める。朝6時半にホテルを出てまず駅へ。列車の時刻を調べた後、駅近くのマーケットをぶらぶら歩くことにした。
 何となく危険を感じ、ウエストポーチに入れていたカメラをジャンパーのポケットに移す。マーケットを抜けたところでいきなり後から首を絞められ倒された。手も一本ずつ取られ上半身は動けない。無我夢中で足を動かすが、すぐに足も押さえられ、なすすべもなくウエストポーチを引きちぎられた。大勢の人が見ているが助けてくれない。ふっと体が軽くなり座り込むと一団の犯人達が走って逃げていくのが見える。標高3300mのクスコに着いたばかりのときだ。ばたばた抵抗しただけで息が切れ、追い掛けることもできず呆然とながめていた。
 一呼吸おいてから、見ていた人々が寄ってきた。口々に何やら言っている。見ていた子供が、犯人は五人、一人は首を絞め、一人が右手、一人が左手を取り、もう一人は足の上に乗った、最後の一人がウエストポーチを引きちぎったんだなどと身振り手振りを加えて集まってきた人に説明を始め、私自身も初めて詳しい状況が把握できてきた。見てるだけで助けなかったくせに、終わったら集まって来るなんて嫌な奴らだと思った。
 落ち着きを取り戻すと、「危険な所だから一人で歩いてはいけない」とか、「けがはないか」とか言ってくれてるのが分かり、彼らに対する怒りも見当違いなのだと思えるようになった。すぐ前の家の人がコップに水を入れてきてくれた。生水は危ないとは思ったが、声も出ないくらい喉が乾いており、あきらめて飲んだ。(このためか、この日の夜から強烈な下痢が数日間続いた。)水を飲むとやっと立ち上がることができたのだった。

 盗られたのは、US$121(この朝の両替用にウエストポーチに移していたのだ)、15万インティ(当時のペルーの通貨、US$12相当)、スイス製アーミーナイフ、定期入れ(中の定期は旅行中切れるもの)、ライター、電池、フィルム、日記(着いたばかりで飛行機のことしか書いていなかった)、アドレス帳などである。今から考えるとウエストポーチに、なんでこんなに入ってたのか、バカな旅行者、恥ずかしい。
 ポケットに移していたカメラは無事だったのが幸いであった。金銭的にはあきらめがすぐつく程度だが、着いてすぐということで精神的ショックが大きかった。けがはないがあちこちが打ち身で痛みが激しい。
 そのまま近くのポリスオフィスに連れていかれた。しかしそこでは話が通じず、車で大きな警察署に連れていかれた。保険は掛けていなかったので必要はなかったが、成り行きでこうなり、話の種に届けを出しておくかという軽い気持ちである。しばらく待たされて、8時過ぎから調書をとられるが言葉が通じず苦労し9時過ぎにやっと被害届けが受理された。必要もないのに盗難証明をくれと言ってしまったら、別の担当官でまた一から質問される。おまけにこのオヤジ全然英語ができず一苦労。その後、この中に犯人がいるかどうか見ろと写真の束を渡される。顔をよく見ていないのでと断ったが、見れば思い出すかもしれないだろうと強要される。全部見るふりするのに約1時間、この間に盗難届けができた。しかし5$必要だと言われた。金を盗られたのにあるわけないだろうと怒って警察を飛び出すと、担当官が追い掛けてきて、無料で書類をくれた。もともと必要のない書類なのでもらってもうれしくなく、いつまでも怒りは収まらず。

 警察署に来るときは車だったので、外に出たはいいが道が分からない。人に聞きつつ宿の方に向うと再びマーケットの所に来てしまった。早足で歩いていると呼び止められた。肩の所にシャンプーかかけられている。有名な手口のシャンプー泥棒だ!それまでの怒りがたまっており、反射的にその呼び止めたおばさんを殴った。私の横を歩いていたやつがシャンプー泥棒の仲間だったらしく、怒ってつかみかかってきたがこの時はなんとか逃げ切った。
   *シャンプー泥棒とは、
1. 旅行者の服やバックなどにシャンプーなど(ケチャップやチョコでやられた友人もいる)を付着させる。
2. 汚れてるから拭きなさいと善人の振りして声をかける。
3. 汚れを落とすことに気を取られている旅行者から仲間が金品を奪う。
      という手口の泥棒で世界中で見られる。

 これらの事件で恐くなり、私はマーケットへ一人で行けなくなった。今回の旅の目的であるインカ遺跡マチュピチュへ行くためには列車しかなく、駅はマーケットの前だ。駅に行くのも嫌で、旅行代理店で切符を買った。朝に値段も調べてあったので高いと思ったがあきらめ、その代わり駅まで付き添うことを約束させた。ホテルで荷物をピックアップしてる間に、付き添いのはずの男がガキに変わっていた。役に立たないなあと思いながら彼と駅に行くと、付き添いのはずだった男が待っており、切符代が間違っていたのでもう6万インティ(約5$)払えと言ってきた。断るとすごんでくる。元値を知っていたし、すでに切符をもらっていたので無視したが、しつこくすごんでくる。何とか事無きを得たが、嫌なことが続きけっこう落ち込んでしまった。

 空中都市、マチュピチュ、これが見たくてペルーに来たのである。ワイナピチュ(マチュピチュ遺跡を見下ろす位置にある山)の上から見下ろす景色は本当に絶景、ワイナピチュの上で2時間くらいマチュピチュ遺蹟を眺めた。特等席で眺めていると、登ってきた旅行者が何人も声をかけてくる。話をしても私の口から出る話題はやはり昨日の強盗事件。ところが声をかけてきた人全員が、彼らの盗難経験を教えてくれた。日本人二人、白人三人、4組五人と話したが、その全員が盗難経験を持っているのだから恐れ入る。中でも日本人の一人は強盗に遭い足を折り一月以上入院、やっと退院したところだと教えてくれた。被害に遭うのは仕方ないことと開き直ることができ、気持ちは切り変わった。他人の不幸で元気づくのも情けないが、それが事実であったのだ。

 3日後、クスコからプーノへの列車に乗っていた。暗くなってからフリアカ駅に到着。乗客の大半はここで下車し、新しい人がたくさん乗ってきた。四人ごとのボックスになっているタイプの列車。他のボックスがたくさん空いているのに私の所に四人くらいの若者がやってきて、窓を開け上半身を突き出して外に向って騒いでいる。そのあと私におまえも見ろという感じで外を指差すのだが、あまりに怪しく、無視して荷物を押さえていた。何だったのか分からないまま、彼らはいなくなった。
 数年後、2度目の南米旅行の時にこの手口でやられた日本人に会った。彼は言われるままに首を出し、外から大きな袋を頭にかぶせられ抵抗できないまま荷物を盗まれたのだそうだ。場所も同じフリアカ駅。危ない、危ない。

 翌日、ホテルの階段で私は400US$拾った。小さく折り畳んであり、旅行者がどこかに隠し持っていたのが落ちたらしい。やられた後でもあり、落し主を探すはずはなく、金はポケットに。落とす神あれば拾う神あり(違うか)。有り難く頂戴する。後にも先にもこんなに大金を拾ったのはこの時かぎり。これで強盗事件を笑い話にできるほど元気になったしまった。

 これを読んでペルーに行くのが恐くなる人もいると思うが、現在はかなり安全になったそうです、念の為。私自身も2度目に行ったペルーでは何事も起りませんでした。

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