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滞在の一番短い国

リヒテンシュタイン

 その国を知るには最低三泊、二ヶ所は必要と基準を決め、世界に二百近くある独立国をすべて訪れた。しかし残念ながら、基準に反し、宿泊経験さえない独立国もいくつか存在する。中でも滞在が短かかったのが、スイスとオーストリアの間に挟まれたリヒテンシュタインだ。アルプスの山間、人口三万人程度の小さな国である。
 学生時代、初めての欧州旅行で、オーストリア側の街から歩いて国境へ向った。ところが道を間違え、さ迷った挙句、行き着くことができなかった。
 翌日、リヒテンシュタイン内を通過する特急を見送って、わざわざ各駅停車に乗ったのに、通過でも良いと気が変わり、下車せずに終わる。
 後から考えるとこのような通過では訪問したと言い難く、十年以上のちに再挑戦をした。
 スイス側の国境駅で特急列車を降り、歩いて国境へ向う。快晴で、周囲のアルプスが美しく、絶好の散策日和だ。
 わずか十分で国境の川に着くが、橋の真中に国境であることが記されているだけ。手続きは何もなく、国が変わったという実感がないままの入国である。
 しばらく歩くと小さな村に到着。日曜日だったので村はひっそりしていたが、教会のミサをのぞいたり、一面にタンポポが広がる牧草地でのんびりしたりで、楽しい時を過ごす。
 しかし、実際の滞在はわずか一時間。二時間間隔の列車に合わせ、スイスに戻った。
 日帰りのみでも他国では最低半日は滞在している。良い所なのに、なぜこんなに短い訪問で済ませたのか? 旅程の都合もあるが、どうも最初の失敗が気分的に尾を引いていたようだ。


産経新聞連載
「(新)一国一景」
2004年4月22日分

エッセイ