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2016 北東アジア周遊
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中国東北部、シベリア、極東ロシアの旅
Day38 →ハルビン
朝まで列車は込むことなく、快適なままだった。中国はロシアと違って国内に時差はない。したがって、東の端に近いこの辺りは明るくなる時間が早くなっている。4時過ぎに目覚めた時はもう明るく、時計を見て驚いたほどだ。
ほぼ定刻の5時45分に、列車は香坊駅に到着した。いつの間にか車両は増結されており、思ったよりは大勢の人がこの列車に乗っていたようだ。
1898年に建築された香坊駅は、ハルビン市最初の駅で、もともとはハルビン駅と呼ばれていた。現ハルビン駅の開業した1904年に老ハルビン駅と改称され、1924年に香坊駅と再び改称されている。この駅を発着する長距離列車は少なく、今回この駅を選んだのはたまたま。観光地にはハルビン駅の方がずっと近いので、ツーリストがこちらを使うことはあまりないと思われる。
ホテルに行っても部屋に入れる時間ではないので、駅の周りで朝食をとろうと店を見て歩く。しかし、朝早すぎて食欲がなく、そのままバスに乗ってホテルに向かうことにした。
今回のホテルはじゃらんで予約していたが、予約した後で場所を確認しようとしたら、予約サイトの地図に乗っている場所は公園の中で明らかに間違っている。住所は英語しかわからず、それで検索しても出てこない。漢字のホテル名は文字化けしているので検索できない。散々苦労してやっと場所が分かったと思っていたのに、行ったら違うホテルでがっくり。ただ、同じホテルのチェーンで、正しいホテルに電話で予約確認してくれた上で、行き方を教えてくれたので助かった。
最初に行ったホテルは、省政府の近く。空港バスの発着地にも近かった。
再びバスに乗って、道里区に移動する。こちらは観光地に近いので、そういう意味では便利な場所だ。電話で確認してもらった時に8時以降に来て欲しいといわれているので、先に朝食をとる。
8時過ぎにホテル到着。しばらく待たされたが、無事に朝から部屋に入ることができ、助かった。シャワーを浴び、しばらくのんびり。街に出たのは11時近くになってからだった。昼食の場所を探しがてら、観光地区に向かって歩く。ロシアの様式を取り入れたビル街の中に、満州時代の古い給水塔があったり、金色の毛沢東像があったりで、特に観光客の集まっていない場所でもおもしろいものがたくさんある。
これといった食事処が見つからないので、空腹しのぎに焼餅を食べる。
道路のサークル内に、木を剪定してできた家があった。常にこの状態が保たれているのならすごいことだが、どうなんだろう。
この街一番の人気スポットである中央大街にやってきた。アジア最大の石畳の目抜き通りだそうで、ロシア統治時代の古い建物がたくさん残っている。
1ブロック外れたところはユダヤ地区だった場所で、古いシナゴーグがある。1921年に完成したものだが、ハルビンにはもう一つシナゴーグがあったので、こちらを新シナゴーグと呼んでいたそうだ。
ユダヤ教徒の病院として1931年に建てられた建物。
再び中央大街に戻ると兵士が踊っていた。
ソフィスカヤ大聖堂。中は古い写真を展示した博物館になっています。
ソフィスカヤ大聖堂前の広場には噴水があり、音楽に合わせ形を変え、人々を楽しませていた。
旧日本人街も歩いてみる。写真は日本桃山小学校だった建物で、今も小学校となっていた。
昼食をとった後は、氷祭で知られる兆麟公園へ。今の季節は普通の公園で、人々はめいめいで楽しんでいる。
バスに乗って、極楽寺へ。とても広く、見どころがたくさんあるお寺だ。金色に輝く仏像が中国らしい。
7重の塔も有名だ。
極楽寺の参道から市場が連なっている。
様々なマントウ。
黒龍のモニュメント。
イスラム教徒の病院。
プロテスタントであるハルビン南崗キリスト教会。
中国正教会の生神女庇護聖堂。
カトリックであるハルビン聖心天主教堂。
最後に訪れたのは駅前にある旧大和ホテル。現在はハルビン龍門貴賓楼酒店となっている。20世紀初頭に建てられたホテルのロビーはさすがの趣がある。
ハルビン龍門貴賓楼酒店の1階は宴会場となっており、そこのウェイトレス。
駅前からバスでホテルの近くに戻って、串肉屋で夕食。ビールもいっぱい頂いて大満足。
ほろ酔いで宿に戻ってそのままバタンキュー。夜中に目覚めて、シャワーを浴び、日記を書いた。
*本日の宿:格林联盟冰雪大世界酒店
*本日の移動 列車:(绥芬河)→ハルビン