定刻よりも少し遅い5時15分、列車はブハラ駅に到着した。まだ真っ暗だ。ブハラ駅と言っても、駅は隣の市であるカガンにあり、街の中心まで15キロある。市バスは6時台にならないと走らないが、乗り合いミニバスであるマルシュなら時間は決まっていないのであるかと思っていたが、ない。仕方なくタクシー配車アプリのヤンデックスGOを使ってタクシーを呼ぶ。料金はバスの10倍以上となる21500スム。と言っても日本円で約280円、ウズベキスタンの交通費は安いのだ。旧市街入口までは一本道の快適な道だったが、旧市街に入ると狭い道入り組んだ道となる。運ちゃんの運転は上手で狭い道も問題なく進んでくれたが、宿の650メートル手前で、路上駐車の車があり進めなくなった。荷物が多ければ大回りの迂回もありだが、その方が時間がかかりそう。深夜の旧市街歩きも面白そうなので、そこから歩くことにする。旧市街の入り組んだ道で、グーグルマップも使えなかったがヤンデックスマップは完璧で、問題なく歩くことができる。
途中、見どころの一つであるタグバンドボフォンモスクが通り道にあり、立ち寄る。宗教が否定されていたソビエト時代に存続が許されていたモスクがブハラには3か所あり、ここがその一つだったそう。

宿泊したのはHOTEL OLIMXONというゲストハウス。夜明け前の到着だが、到着予定時間を伝えたていたので、無事入ることが出来た。ロビーで休めればと十分と思っていたが、部屋に入れた上に、暖房も入れておいてくれ、非常にありがたかった。部屋で緑茶を入れて一休み。

1時間ほど休んだら明るくなってきた。7時になったので早い時間だが街歩きに出かける。宿はアルク城のすぐ裏だ。紀元前3世紀に造られたアルク城はブハラ最古の遺跡である。城壁には木が無数に突き刺さっている。これじゃあ簡単に登れてしまいそうだが何の意味があるのだろう?

裏側から正面入口まで5分以上かかった。早朝なのでまだ開いておらず、外から見るだけ。

アルク城の正面にあるブハラタワーは、100年ほど前に給水塔として建てられた。1968年に上部が焼失し、給水塔としての機能は失われ、 現在は展望台とレストランとして営業している。

ブハラタワーに西側にあるのはボロハウズモスク。1712年に建てられたこのモスクは美しい20本の木の柱が特徴となっている。

さらに西に進み、チャシュマアユブ廟を経由して、コルホーズバザールを訪れる。非常に大きなバザールで、何でもそろう感じがする。屋内のナッツ屋や菓子売りは競うように試食をさせてくれる。

焼きたてのノンも並びおいしそう。

乳製品売り場でもいろんな乳製品を試食させてもらった。

肉売り場では、牛や羊だけでなく、馬やラクダの肉も並んでいる。内陸の都市だが、魚も豊富だ。干物だけでなく鮮魚もいろいろ並んでいた。

朝食には揚げ物が人気のようで、いろいろ売っている。試食でもうお腹はすいていないが、写真真ん中のグンマというのを買ってみる。レバーや米が具になったピロシキのような食べ物。レバー好きなのでおいしく思ったが、苦手な人なら苦手かも。

マーケットを出て次はタリパチ門と呼ばれる城門をくぐりイスマーイール・サーマーニー廟へ。9世紀に建築が始まり、10世紀に完成したイスマーイール・サーマーニー廟は中央アジアにおける最古のイスラーム建築として知られている。9時を過ぎたためか、ここから先はツーリストがたくさんいた。

次はコシュマドラサ。コシュは2重という意味で、16世紀に向かい合うように建てられたモダリハーンマドラサとアブドゥッラーハーンマドラサを総称している。写真はアブドゥッラーハーンマドラサ。

再びアルク城の城壁。こちら側にも木は刺さっているが、突き出ていないので違和感はない。

約3時間の散策を終えて、いったん宿に戻る。夜行列車の疲れもあり、少し眠る。
13時になり、再び出かける。ブハラで特に人気の観光ポイントであるポイ・カラーン建築群も宿からすぐの場所。ツーリストだらけだ。お腹がすいているので、見学は後回しにする。

この辺りはツーリストが集まるだけあって、土産物屋が多い。中でもドーム型の屋根が集まった伝統建築のバザールは、タキバザールと呼ばれ、見どころの一つだ。タキは屋根という意味で、今は3か所のタキバザールが残っている。そのうちの一つタキ・ザルガロンに入ってみる。

すぐ近くには別のタキバザールであるティムアブドラカーン。美しい建物の背景にはポイ・カラーン建築群のドームやミナレット見えている。

カフェに入って昼食にする。ショルバは中央アジアで最も親しまれている具だくさんのスープ。メインはカゾンカボブ。カボブはケバブのウズベク語で、カゾンは鉄鍋を意味する。串焼きではなく鉄板で焼いた肉のことをカゾンカボブと呼んでいる。

さらに東に歩いて、4つのミナレットで有名なチャールミナール。
チャールはペルシャ語で4を意味する言葉で、トルコ語系のウズベク語とは違う。実はブハラはペルシャ系民族(タジク人)の住む街で、人々はペルシャ語を話している。400年近く続いたブハラハン国がソビエト連邦に飲み込まれるときに、民族団結を妨げたいソビエト政府によってブハラハン国は分割され、中心地であったブハラやサマルカンドはウズベキスタンに組み込まれてしまったのだという。この話を地元の人に聞かされたのが1993年のこと。チャールミナールを再訪し、そんなことを思い出してしまった。

1623年に建てられたナディルディヴァンベギマドラサは、歴史的なイスラム建築では非常に珍しい人の顔や鳥が大きく描かれている。生き物の絵は偶像崇拝につながるという考えのもと、イスラム教においては生き物を描くことは禁止されている。例外的に描かれているので有名な場所は、こことサマルカンドにあるシェルドルマドラサぐらいのはずだ。

ナディルディヴァンベギマドラサの中庭はレストランとなっており、その周辺には土産物屋が並んでいる。

マドレッサの前にあるロバに乗ったユーモラスな人物は、ナスレッディン・ホジャ。彼は、中央アジアからトルコにかけてに広く知られている民話の主人公だ。

ナディルディヴァンベギマドラサや、ナディルディバンベギハナカなど歴史的な建造物に囲まれた公園の中心にはラビハウズと呼ばれる池があり、その周りを茶店が囲んでいる。

マゴキアトリモスクは、イスラム以前のゾロアスター教寺院の遺構の上に9-10世紀に建てられた。その後、何度も修復されてはいるが、中央アジアで現存する最古のモスクの一つだ。

土産物屋の立ち並ぶカキカット通りを歩き、ポイ・カラーン建築群の方に戻ってきた。

最初に入ったタキザルガロンをもう一度訪問。

最後にポイ・カラーン建築群の中心にやってきた。左が1536年に建てられたミルアラブマドラサ、中央のミナレットが12世紀に完成したカラーンミナレット。モンゴル帝国の進行で破壊された廃墟の中でもこのミナレットは崩れず、その姿にチンギスハンが感動し、破壊を止めたといわれている。右側も12世紀建造のカラーンモスク。

ブハラのおもな見どころを見終わって16時頃宿に戻る。宿の人がちょうどマンティを作っているところだったので、妻は勉強がてら、そのまま一緒に作っていた。

包み終わったマンティを蒸し器に並べ、蒸し器を積み重ねる。妻が手伝ったおかげで出来上がったらマンティをいただけることになった。蒸しあがるのに40分かかるらしい。

バザールにもう一度行きたいと妻が言うのでマンティの完成を待つ間にもう一度バザールへ。
ペルシャ暦の正月、春の祭典でもあるノウルーズに食べられる特別な食べ物が、茶色いスマラクと白いニシャロ。どちらも朝来た時に試食させてもらっていたが、これがノウルーズの特別料理と知って、もう一度話を聞きに来たのだ。緑の植物は麦が発芽したもの。この麦芽から抽出したアミラーゼと小麦を混ぜて煮詰めて作るのが茶色いスマラク。麦芽由来のアミラーゼが小麦粉のデンプンを分解して自然な甘さのスマラクが完成するのだそう。

帰りに中央アジアの各地で見られるキムチを見つけた。食べたかったが、今日は我慢。

ウズベキスタンはお茶文化の国で、お茶の専門店も数多くある。茶葉はフェルガナ盆地などで生産されており、中央アジア一の生産国で輸出もしているが、消費量は生産量の10倍以上あり、中国などからたくさんの茶葉を輸入している。

宿に戻るとすぐに完成したマンティをいただけた。肉マンティとかぼちゃマンティの2種類。肉の方がやはりおいしいが、カボチャも意外といける味。ちゃんとした量をいただけたので、これが夕食となった。

19時台にもう一度出かけ、ポイ・カラーン建築群のライトアップを楽しんだ。

早朝から夜まで、たくさん観光して充実した一日だった。疲れたのと時差ぼけがまだあるので、夜になると非常に眠くて、早くに寝た。