予定通り、数10分の睡眠だけで2時に起床し、2時20分に出発した。
道が昨日よりも悪く揺れるので、まともに眠ることはできないが、かといって起きていることもできず。意識を失っては揺れで目覚めるというのを繰り返しつつ進む。
明るくなった日の出前にトイレストップ。

7時50分、クフナウルゲンチに到着する。ウルゲンチは、紀元前5世紀に古代ホルムズ王国の都であったのがその起源とされる。ホラズム・シャー朝の首都であった12世紀にその最盛期を迎え、当時のイスラム社会では最も繫栄する都市となった。その後モンゴルの侵攻によって一旦破壊されたが、すぐに再建される。しかし、交易都市としての繁栄を支えていたアムダリア川が流路を変えていったために衰退していく。新しいアムダリア川の近く、約150キロ離れた場所に新たなウルゲンチが建設されたのが16世紀のことだ。それ以降、ウルゲンチと言えばこの新しいウルゲンチを指し、廃墟となってしまった元の場所はペルシャ語で古いという意味のクフナをつけてクフナウルゲンチと呼ばれるようになる。ちなみにトルクメン語だとキョネウルゲンチ、ロシア語だとクニャウルゲンチ。
最初に訪れたのはキャラバンサライ(隊商宿)。ゲートだけがきれいに再建されている。

ゲートの奥は、壁や柱の基礎が点在する遺跡となっている。

ホラズム・シャー朝第4代君主イル・アルスランの廟。上部が12面の筒と角錐(カクスイ)になっているのが特徴。

スルタンテキシュ廟。アラーウッディーン・テキシュは、ホラズム・シャー朝第6代君主で、ホラズム・シャーの称号に加えて初めてスルターンを称した。

遺跡の中に続く遊歩道。イスラムの新年の祝日とノウルーズの祝日の重なる連休とあって、着飾って参拝に来ているローカルの人が多い。

子宝祈願。聖人の廟で女の子を授かるために祈願したもの。欲しいものに関連する品物と共にお金をお供えする習慣なのだそう。ここでは女の子が授かりたいので髪留めをお金と共にお供えしている。

クトルグティムールミナレット。1011年にホラズム朝時代に建設された高さ60メートルのミナレットは当時は世界一高かったのだそう。テムール・クトゥルグによって14世紀に修復され、今の名で呼ばれるようになっている。

ミナレットのそばにある地下井戸は、その水が聖水とされ、飲むと長寿が約束されるという。中に入って汲んでみたが、濁って匂いのする水だったので飲めず。

荒野の中にも小さな廟が点在している。

セイト・アフメット廟。モンゴル統治時代のハーンであるシェイク・セイト・アフメトの廟。入口に聖職者がおり、お祈りをしてくれた。

荒野の小さな廟に向かってお祈りする人々。

参拝に来ていた女の子。

トレベク・ハニム廟。テムール・クトゥルグの妻であるトレベク・ハニムの居室であった建物で、その死後は彼女の廟として使われている。

10分ほど車に乗って別の地区に移動。こちらはさらに参拝客が多く、駐車場にはバスが何台も停まっていた。
こののメインは左側、建物が傾いてしまっているナジムアッデンクブラ廟。12〜13世紀の著名なスーフィー神秘主義者ナジムアッデンアルクブラの廟である。

ナジムアッデンクブラ廟の内部には参拝者が絶えない。

その向かいにあるスルタン・アリ廟はタイル張りなど一切ないシンプルなもの。内紛などで未完のままだからだそう。

奥にあるピリヤルヴァリ廟は13世紀から14世紀の建物で、今日見た中では一番新しい建物だ。

9時半になって観光終了。ようやく朝食に向かう。2時に出発で9時半の朝食は遅すぎるが、連日の食べ過ぎでお腹はすいていない。
以前クフナウルゲンチに来た時は遺跡があるだけで、食事場所もなかったが、今は人口4万人の都市となっており、ホテルもある。小さな市場もあった。

しかし、最初に行ったお目当てのレストランは祭日で閉まっており、食事処を探してあちこち走る羽目になる。

10時になり、ようやくレストラン到着。
フルーツティーは、中に4種類も果物が入っていた。

ブレックチョルバリ。スープ仕立てのブレック。ワンタンスープに似ている。

いつもの朝食に似た卵と野菜のプレート。

チェブレク。

オクロシュカ。ロシアによくある冷たいスープだ。

ポチュデスサラトゥ。崩してしまうのが惜しいような盛り付けのサラダ。肉やチーズ、卵などの入ったボリューム満点のサラダ。

ビリンチックは、クレープに具を包んだもの。写真はカイマック(濃厚なクリーム)を包んだもの。チーズを包んだものも別に食べている。

フランスズサラトゥ。

朝から食べきれないほどの食事だった。でもまだ食べていないものがいくつかあったので妻は満足そう。
11時前に食事が終わり、出発する。12時20分ダショグズ到着。アシガバート、トルクメナバートに次ぐトルクメニスタン第3の都市である。朝食から90分経ってないのに、もう昼食のレストランだ。運転手はここからすぐにアシガバードに戻らねばならないという。朝2時に出たのは彼の都合だったようだが、まあ仕方ない。しかし、すぐにあの悪路を戻るというが大丈夫なんだろうか。心配になってしまう。お腹がすいていないので、そのままツアー終わりでもよいと思ったが、国境は昼食休憩時間で、午後は2時まで閉まっているのだそう。この街には行きたい場所もないし、昨夜寝ておらずクタクタなので、のんびり食事をしながらレストランで時間をつぶすことにする。
飲み物はアイラン。

バグルはレバーステーキ。焼き過ぎておらず、非常においしかった。

ソウスは、肉や野菜のたっぷり入ったシチュー。

あっという間の4日間のツアーはこれでほぼ終了。あとは出国するだけ。本当に色々なものを食べることが出来、妻は大喜び。食事に気を使ってアレンジしてくれた旅行会社のグンチャさんには感謝、感謝だ。
14時前に国境に向け出発。

国境近くに天然ガスのパイプラインがあった。これは国境を越え、ウズベキスタンからカザフスタン、その先中国までつながっている。

14時15分、国境到着。ここでツアーは終了だ。出国手続きはあっけないほど簡単に終わったが、またここも国境間は歩けない。バスがなかなか来ず。5分のバスに乗るのに30分くらい待った。
15時15分、無事ウズベキスタン帰着。