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2026中央アジア,アゼルバイジャン,韓国

ウズベキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャン、カザフスタン、韓国
妻も全独立国訪問、"UNマスター"に!

2026年03月22日(Sun)

7日目-2 国境-ヒバ

 15時15分、ウズベキスタン国境に到着する。バスから一番に降りて入国手続き。10分後にはすべての手続きが終わり、外に出ることが出来た。出口にはタクシー運転手が大勢待ち構えている。どうせ乗り場はもっと先なのであまり相手にせず、道を進む。何人もの運転手に取り囲まれながらだったが、カモにならなさそうと思ったのか、徐々にあきらめゲートの方に戻る運ちゃんが出てくる。
26/03/22 19:28:12
 ヒバまで15万スム(2000円弱)なら良いよと言いながら歩いていたら、OKされてしまった。地元民の相場は20万スム、外国人は20USDが相場と聞いていたので、あれっと思うが、合意し一旦タクシーに乗った。しかし、貸し切りのはずがこの値段だともう一人は乗せないとダメと言い出したので、キャンセル。運ちゃんは乗せてしまって、他の運ちゃんがいなくなったところで、上澄みの交渉をしたかったようだが、信用できないタクシーには乗りたくない。でもその車から降りた後すぐに、別の運ちゃんが15万スムで我々だけ乗せてすぐ出るという。今度はすんなり出発してくれた。予想外に安くなり、ラッキー。優しい運ちゃんで、自分のスマホからWIFIまで出してくれた。ありがたい。
 期待以上に順調で、16時半にはヒバの宿にチェックインできた。明日は早朝出発なので、到着が遅くなったら夜のライトアップだけでもと考え、旧市街の中のホームステイだ。
 城壁に囲まれたヒバの旧市街は、イチャン・カラと呼ばれている。アムダリア川の河川の流路が変わり、今朝いたクフナウルゲンチが衰退し、17世紀前半にホラムズの首都はここヒバに遷都された。18世紀前半にイランに破壊占領されたが、その後18世紀の後半から19世紀にイチャン・カラのほとんどの建造物が再建された。50以上の歴史的建造物と250以上の古い住居が残り、ブハラやサマルカンドよりも早い1990年に世界遺産登録されている。
 昨夜寝ていないのですぐに寝たいところだが、せっかく明るい時間に着いたので観光に出る。どちらを見ても見事な建築が並んでおり、圧倒される街だ。
26/03/22 17:05:22
 1830-41年にヒバ・ハン国のハーンだったアッラー・クリ・バハードゥル・ハーンのために建てられたのがタシュ・ホウリ宮殿。その中庭には、きめ細かな細工の施された美しい木柱が立っている。
26/03/22 17:05:50
 右がタシュ・ハウリ宮殿入口で、左は3人の聖人を記念して建てられたウチ・オヴリヤ廟。
26/03/22 17:07:58
 1785年、当時のハーンであったムハンマド・アミン・イノクが建てた神学校が、ムハンマド・アミン・イノク・マドラサ。
26/03/22 17:10:26
 カルタ・ミナール・ミナレットは、上から下まですべてにタイルで作られた美しい模様がある。数あるヒバのミナレットの中でも最も美しいものの一つだ。高さ70メートルの計画で建設されたが、途中で建築が中断したために現存する塔の高さは26メートル。そのゆえ、通常のミナレットよりも高さに比べ太く、ずっしりとしている。
26/03/22 17:15:22
 カルタ・ミナール・ミナレット周辺は、地元民の撮影スポットで、着飾った人々が大勢集まってくる。
26/03/22 17:16:18
 カルタ・ミナール・ミナレットの足元には、楽し気にお茶を飲んでいる老人のブロンズ像がある。
26/03/22 17:17:12
 ムハンマド・アミン・ハン・メドレセは、1851年から1854年にヒバのハーンであったムハンマド・アミン・ハーンの命によって建設された神学校。
26/03/22 17:18:46
 キャラバンのモニュメント。背景の建物はムハンマド・アミン・ハン・メドレセ。
26/03/22 17:21:56
 左は緑のドームが特徴的なパフラヴァン・マフムド廟。パフラヴァン・マフムドは、13世紀から14世紀に活躍した聖人。中央の塔は、イスラムホジャーミナレットで、高さ56メートルあり、ヒバで一番高いミナレットとなっている。
26/03/22 17:28:34
 イスラムホジャー・メドレセ。1910年にヒヴァ・ハン国の宰相イスラム・ホジャによって建立されたイスラム神学校だ。
26/03/22 17:33:50
 手前がジュマモスクのミナレットで、奥がイスラムホジャーミナレット。
26/03/22 17:40:08
 オタ・ダルヴァサは、イチャンカラの西側にある正門。
26/03/22 23:18:06
 一通り街歩きを終えたのが18時頃。ほとんど寝ずに午前2時出発だったので、さすがにクタクタ。国が変わったので色々整理したいし、久々のネット環境で色々調べ物もしたいが、いつ寝てしまってもおかしくない。まずはシャワーを浴びて寝る準備。昼に苦しくなるほど食事をしているので、夕食抜きのつもりでいたが、妻がここでしか食べられない名物を食べに行きたいという。私はもう何も食べたくないし、やるべきことが多いので渋ったが、一人でも行きたいという。イチャンカラ内なら、夜はライトアップされており、それを目当てに観光客が大勢歩いているらしい。それなら大丈夫だろうと一人で行ってもらうことにする。
 以下は私が部屋で留守番している間に妻が撮ってきた写真となる。
 城壁外にあるミニバス乗り合いタクシー乗り場
26/03/22 23:18:24
 夜景、中央にイスラムホジャーミナレット。
26/03/22 23:29:38
 妻が夕食をとったカフェ。
26/03/22 23:44:10
 ホラムズ地方でしか食べられていないシヴィットアッシュは、ディルを練り込んだ緑のパスタ。
26/03/22 23:50:46
 妻が戻るまでは頑張って起きていたが、戻ってきて安心したら起きていられず、すぐに寝てしまった。
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