昨日同様に6時に朝食会場へ。今日は集合が6時45分、出発7時なのでツアー参加者の多くが6時からレストランに集合していた。一日中忙しいツアーだと聞いていたので、昨日よりも頑張って多く食べる。
7時5分、予定よりも若干遅れて出発する。ツアー参加者の車は2台だが、警察車両やマスコミ車両が前後にいる。
9時20分、キュルダミルで休憩。ここまでで約200キロ。
9時50分に出発。イェブラフでハイウェイから逸れて、南下が始まる。下道の方が風景が変わり、やはり面白い。
バルダの手前には羊が放牧されており、トルクメニスタンを思い出す。

バルダが最初に街中を通った大きな街だ。旧ナゴルノ・カラバフ、現在のカラバグ地方に入る手前の街となる。

バルダの市場。こういう地方都市でゆっくりしたいところだ。

バルダを過ぎると極端に車は少なくなる。カラバク地方に入ると戦争で荒れた荒野が続くようになった。
昼食をとれる場所が遠いのでと軽食が配られるが、昨日と全く同じシャウルマと水。中々数を用意できる店がなかったのだろうか。
この辺りは戦争の激戦地だった場所。戦争で亡くなった人々の眠る新しい墓地がある。

ソビエト時代のナゴルノ・カラバフ自治州にはアゼルバイジャン人とアルメニア人が混住していた。帰属はアゼルバイジャンで、アゼルバイジャン内でアルメニア人主体の自治を認めるという地域だったのだ。ソビエト崩壊とともに独立したアゼルバイジャンとアルメニアはこの自治州地域の帰属をめぐって対立。そしてこの地域は、アルツァフ共和国として独立宣言をし、事実上の独立国家となった。ただし、国際的にアルツァフ共和国を承認する独立国はなく、支持をしたアルメニアでさえ承認はしなかった。1988年から1994年のナゴルノ・カラバフ紛争でアルツァフ共和国はアゼルバイジャン人を追い出し、アルメニア人の国となる。そして領土を拡大していき、元の自治州の倍くらいの面積を支配下に置くようになる。2020年の戦争でアゼルバイジャンが巻き返し、その支配地域は元の自治州よりも小さくなる。2023年の戦争でアルツァフ共和国は完全敗北し、政府はアルメニアに亡命し、国家として消滅した。
以降この地方は完全にアゼルバイジャンの土地となった訳だが、それまでにアゼルバイジャン人は追い出されており、住民は非常に少なくなっていた。現在アゼルバイジャン政府は、戦争で無人になった土地にビルを次々と建設し、人々の移住を促している。

廃墟となった建物の後方に真新しいアパート群が見える。

11時50分、アグダムに到着する。最初の訪問地はジュマモスクだ。1870年に完成した。アルメニア占領時代にミナレットが破壊されたために、ミナレットだけが真新しく見える。

先に着いたテレビスタッフやジャーナリストたちの多さにびっくり。できるだけ避けようとしたが、ほぼ全員がインタビューを受けることになり、私も妻も一日で何度か取材された。

中に入る前にいろいろと説明を受ける。礼拝堂を侮辱のために家畜小屋として使ったなど、ここは色々と酷いことになっていたのだそう。国としてここを見せたいというのはまあ理解できる。

中に入ってもマスコミだらけ。ゆっくりしているとすぐに取材されそうになるので、じっくり見学できない。

破壊された村を横断すると、きれいなタイル壁画が残っていた。パン博物館だった建物だそう。

テレビの取材を受けている妻。

トイレに行きたくて適当に歩くと真剣に注意された。なんとここには地雷が残っているのだという。

「アグダムは、アゼルバイジャン南西部にあるゴーストタウン。」とウィキペディアには書かれているが、既に新しい街が出来ている。スーパーやレストランまですでに営業している。真新しいマンションのベランダから住民が珍しそうにツーリスト集団を見ていた。

アグダムを13時に出発。13時45分にホジャリのジェノサイド記念碑に到着。2月にオープンした施設だそうだが、この日は閉まっており、入らずに済んだ。

14時半、ハンケンディ到着。事実上の独立国家アルツァフ共和国の首都で、当時はステパナケルトと呼ばれていた都市だ。といっても昔のアゼルバイジャンの地図を見る限り、当時からアゼルバイジャンではハンケンディと呼んでいたようだ。
ここでやっと昼食となる。

ケバブとライスにチーズなど。ちょっと期待外れ。ツアーグループが来るのは戦争が終わって初めてだという都市なので、中々用意が難しいのだろう。

足りないのでパンを多めに食べる。でもジャムやバターはなく、ケチャップとマヨネーズが付いていた。

ハンケンディの観光は、主の入れ替わった役所や建物。ノウルーズの祭りの跡。建築中のスタジアムなど。アルツァフ共和国時代に訪れている友人たちが、以前はどんな様子だったかを、今と比較しながらいろいろ教えてくれた。
残念ながらこの街の写真は一切ネットにあげてはいけないと何度も念押しされたので、写真は自粛。アルツァフ共和国時代のものがいろいろ残っているので、首都だった場所をネットに挙げるのはトラブルの原因となると考えているのだろう。
郊外の丘の上に「我らの山」と呼ばれる巨大モニュメントがある。アルツァフの国章やコインにも使われていたアルツァフの象徴だ。ウィキペディアには『2023年10月1日にアゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領が破壊を命令したとアルメニアのメディアは報じていたものの、2024年8月時点では現存している。2024年8月、アゼルバイジャンの国立文化機関は我らの山を「アゼルバイジャンの多文化・多宗教に対する寛容の象徴」と説明した。』とある。とりあえず、26年3月にも現存していました。

ハンケンディから約30分走り、シュシャに着いたのは17時半。予定よりもめちゃくちゃ遅れている。今回のツアーの名称は「Shusha 2026」。旅のハイライトのはずがこんなに遅い時間に着くとは…。
シュシャは18世紀半ばから1822年までカラバフハン国の首都であった城壁都市で、標高が1400メートルから1800メートルの山の頂に位置している。
ハンケンディではいなくなっていた取材陣がここには戻ってきており、この街でもしっかり取材されてしまった。

シーリンスハマム。1880年に完成した公衆浴場で、1992年まで営業していたが、アルツァフ共和国によって破壊された。2024年に修復され、現在の姿になっている。

街中に戦争で破壊された建物が残っている。ハッジイバッドの家は18世紀に建てられた建物。

シュシャ市スクエアには様々な人物の胸像が飾られている。

18世紀に建てられたシュシャハーンの宮殿。

19世紀に建てられたアガガラマンミルシャブオグルキャラバンサライは、観光案内書や土産物屋として修復された。

この街にもノウルーズのモニュメント。

カラバフハンの宮殿。

カラバフハンの宮殿の内部。まだ整備されていないので事由に入ることが出来る。

散在している建築物の残骸。

19世紀の泉。

18世紀のギンジャ門。

女の子の熱唱。皆で聴き入った。

ユカリゴヴァーアガモスク

19時前にシュシャ出発。曲がりくねった山道で、運ちゃん道を間違えるし、ただでさえ遅れてるのに…。
20時半、ようやくラチンにあるレストラン到着。川沿いの景色良さげなレストランだが、真っ暗で景色は見えない。
サラダやチーズ、パンが最初から並んでいる。席に着いてから出てきたのがシチュー。

メインはドルマ。

もう21時を過ぎ、皆さんお疲れの様子だ。

食事場所から山奥のホテルもまた遠く、超高級なラチン・リゾート&スパに着いたのは、23時。予定よりも3時間遅れている。ロビーにはやっぱりノウルーズのモニュメント。

部屋はめちゃくちゃ広くて、シャワーとは別にバスダブがデンと置かれている。遅すぎてスパに行く元気はないが、頑張ってバスタブに浸かった。

素晴らしいホテルなのに楽しむ時間がないのは悔しく、2時頃まで起きていた。