4時間ほどの睡眠で、6時過ぎに起床。朝食は7時からだが、準備段階から見に行くと妻は先に行ってしまった。私は7時過ぎに朝食会場へ。

バクーのマリオットよりも種類は少ないが、おいしそうなものがたくさんある。アゼルバイジャンの食としてはこちらの方が多いくらいかも。

乳製品の種類が豊富で、妻は食べ比べをしていた。

急いで食事をし、集合したのに、バスが出発時間の8時になっても来ない。気温5度と寒い中、バスが来るのをただ待つ。
8時半にようやく出発。15分ほど山を下って、ラチンの中心部に着く。
ラチンは旧ナガルノカラバフ自治州とアルメニアの間にある町で、1979年のソビエトの国勢調査では住民約6000人の99%がアゼルバイジャン人だった。1992年にアルメニア人のアルツァフ共和国が占領し、住民は追放された。町は焼き払われ、ひどい略奪があったそう。その後、貧しいアルメニア農民などが移住してきて、2005年の国勢調査では約2200人の住民がおり、全員がアルメニア人だったとされる。2020年の戦争でアルツァフ共和国が負け、アルメニア人住民はアルメニアに退避。ロシアの平和維持軍が駐留していた2021年には約100人ほどのアルメニア人が残っていたのだそう。2022年にアゼルバイジャンに返還され、現在は新しい街づくりが始まったところだ。
最初に訪れたのはラチン美術館。

これまで戦争の正当性を主張するようなものをたくさん見せられてきたので、素朴な絵画や織物の展示は心休まるものだった。

公園の泉。

メインストリートはいくつかの建物は新しいものが立っているが、それ以外は石の壁が残っているのみ。廃墟の窓に子供たちの写真が飾られており、ここで亡くなった人かと思ったが、みんなにこにこしている写真なので、これもアートなのだろう。ほっとした。

周辺には建物がすでにたくさん建てられており、どんどん復興しているのだなと分かる。

陶芸工房では新たな工芸品を製作しているところも見ることが出来た。

9時半に出発。ここからは地図にない未舗装道を走って南に向かう。途中から雨も降りだし、悲惨な状況に。こんな時に限って荷物をバスのトランクに預けてしまっている。

この辺りのすぐ右側はアルメニア。国境の橋は架けられずに止まっている。

ここは国境を渡る橋は存続しているが、通行は途絶えているのだそう。周りの車はポリスの車とマスコミの車。

イラン国が対岸に見えるところまでやってきた。

現在建設中のアゼルバイジャンと飛び地であるナヒチェバンを結ぶ回廊の終点。・・・といわれここでイランの写真など取っていたが、この後もっと進む許可が下りたとのことで先に進む。

途中で見たイランの村。手前の川が国境線。

国境警備の建物が見えるところまでやってきた。建物の向こうに見える山はアルメニア。

三国国境地帯。右手前にある丘の尾根がアルメニアとの国境。イランとの故郷は真ん中下あたりに隠れている川。集落は両方イラン。

建設中のハイウェイから少し戻って、今度は川沿いに本当の三国国境を目指す。すぐ左の川が国境。イランまで10メートルない。

このスクリーンショットの青印が、三国国境。

三国国境地帯は写真をアップするなと言われたので、アップしないが。マスコミの取った写真がネット上にはたくさん上がっており、私がインタビューされているものも上がっていた。
ここでティータイム。周りが写っていなければ写真を上げても良いらしい。

続いてランチボックスが出てきた。一緒に出してほしかったところだ。中々ずさんなオーガナイズだが、仕方なし。

14時半にようやく、出発。雨は止んでいるが道はひどい。

右側に見えるイランを見ながら、行きたいなぁと思っていると橋が見えてきた。現在、アゼルバイジャンとナヒチェバンの往来にはアルメニアが通れないので、往来はイラン経由でなされている。直行バスが通っている道はもっとずっと東にある国境を越えていたはず。この橋を通れるようになれば時間がかなり短縮されるはず。見た感じ橋はできている。イミグレーションらしき建物が建築中だが、もう完成間近に見える。

16時40分、フズリの町に到着する。ここは1993年の戦争で廃墟になった都市で、30年近くの間ゴーストタウンになっていたのだそう。

しかし、復興は急ピッチで進んでおり、人の姿も多い。

スーパーがあり、バクーと変わらない品揃えだ。パン焼き窯が店内に並んでいた。焼きたてパンを少し頂いたが、非常にうまかった。

街角には乗り合いタクシーの宣伝も貼ってあった。これを見ているとバクーに行くのかとタクシー運ちゃんが寄って来た。なんだか普通の町らしく、ホッとする。

とはいえ、廃墟群はずっと遠くまで広がっている。大きな街だったのだろう。

17時半にフズリ出発。ここからしばらくは集落なし。戦争で無人になった場所が続き、復興はまだ始まっていない。

戦争の影響がなかったビリンジマフムドゥルまで来るとその普通さがうれしくなる。

予定よりも随分と遅れ、バクーに帰着。初日と同じレストランに着いたのは21時45分。出てきた食事の内容が初日と全く同じ。色々な食べ物があるバクーでこれということは、プランナーは食に興味がないのだろう。
4日間、濃厚な時を共に過ごした皆さんといろんな話をする。取材をされた映像がもうネット上にたくさん上がっており、見ることが出来た。結構私も写っていた。都合の良い言葉だけを無理やり切り取って流しているのは、日本のマスコミと同じ。そんなこと言っていないぞーと思うような記事もあった。
お開きの時間が近づき、別れのあいさつなど続くと徐々にしんみりしてくる。23時半にお開き。

ホテルに戻りついたのが0時。今日も長い一日だった。