非常にスケジュールが詰まっていた今回の旅で初めてゆっくりと起きることのできた朝。目覚めてからも9時近くまでベッドで休んでいた。キッチンい顔を出すと、仕事でトルコから来て滞在しているクルド人の兄ちゃんが、母が作ってくれてトルコから持ってきたという朝食を我々にも分けてくれた。薄いパンに具を詰めて焼いたギョーザマ。クルド語ではナニセレ、トルコ語ではギョズメレと呼ぶそうだ。具にチーズなどが入っていておいしい。

10時半頃から観光に出る。まずはハーン宮殿のあるアジャミ公園に。宮殿手前には羊の石像。

ナヒチェバンのハーン宮殿は、ペルシャ帝国の保護国として1748年から1828年まで存在していたナヒチェバンハン国のハーンの住居として18世紀末に建てられたもの。

入り口が分からず先に宮殿の裏側に出てしまった。市の中心部はそれほど坂はなく平野部だと思っていたら台地の上にあったよう。湖までの平地に広がる住宅が宮殿裏からよく見えた。見えている湖はアスラダム湖で、湖岸までは約4キロ。対岸はもうイランである。

宮殿内には当時の暮らしが分かる様々なものが展示してある。すごい数の部屋にたくさん見るものがあり、警備スタップも大勢いる。それなのに入場無料で、素晴らしい博物館だ。

ハーン国時代の版図が分かる地図。オレンジの枠が現在のナヒチェバン自治共和国。赤枠がハーン国時代の国境線。アルメニア南部が版図であり、今の倍ほどの広さがあったのが良く分かる。

宮殿を出て昨日も見たモミネ・ハトゥン廟へ。ナヒチェバンに世界遺産はないが、ここは暫定リストに「ナヒチェバンの霊廟」として登録されている。ここも無料公開されているはずだったが、修復工事中で入れず。近くには羊がメインの古い石像がたくさん集められていた。

街の中心にあるジュマモスクも18世紀に建てられたもの。

今日もバザールへ。今日も雨が降ったり止んだりだが、時間が早いので賑やかだ。

茶店でバックギャモンをするおやじ達。

サモワールが並んでいるのも地域文化だ。今も普通に使われているのだろう。

ハズラティザフラモスクはウズベキスタンやトルクメニスタンで見たような中央アジア風なモスク。

目的もなくふらふら歩く時間がずっと持てなかったこともあり、昔風な裏道をのんびりと歩くのが楽しい。

古くて凝った美しい壁の上に無機質なブロックを積んでしまっているのが、残念だ。

スーパーマーケットに入ってみる。干し魚やオリーブなどと共に昨夜食べた鶏首の燻製やチーズも並んでいる。

中心部の北端にある旗の博物館。巨大な国旗が目印だ。以前は独自のナヒチェバン国旗もあったそうだが、1993年以降はナヒチェバンの旗はアゼルバイジャンと同じものと決められた。

旗博物館の対面にバスターミナルがある。明日以降の訪問地が決まっていないので、チェックするが、切符売り場はどこも無人で質問もできない。一応バクー行きとトルコのウードゥル行きのバス窓口があった。ただバクー行きはイラン経由で米国の攻撃以降停止しているはず。
仕方ないのでターミナル内のカフェをのぞく。狙っている料理がないので食事は別に行くという妻だが、バックギャモンのルールに興味を持ったのか、おじさんたちのゲームに見入って動かない。

席につかずに見ていたら、店の人がお金はいらないよと言いながらチャイを用意してくれた。昨日のホステルでもそうだが砂糖はチャイに入れず、そのまま齧りながらチャイを飲むスタイルだ。

日本からだというと喜んでくれ、昼食までサービスしてくれた。

大喜びで食べていたら、追加でチーズも。旅人にやさしいムスリムの人々だ。

感謝の気持ちを込めて、店の外観もここに載せておく。楽しく過ごせた店で気が付いたら2時間近くいた。

遅くなったので、旗博物館は見ずに先に進む。ソビエト時代だと分かるアパートが非常に多い。

トルコの初代大統領で国父とも呼ばれるアタチュルクの像があった。ソビエト連邦にこの地域が組み込まれる時にナヒチェバンがアルメニアに帰属させられそうになったのを阻止したのがアタチュルクだそう。

ナヒチェバンには、ハン国時代の18世紀から19世紀にかけて建てられた歴史的なハマム(公衆浴場)がいくつか残されている。その一つが金の屋根を持つオールドハマム。

現在はカフェになっているオールドハマムの入口。

中のバスタブは当時の姿のまま。昔の道具なども展示されている。

広間は雰囲気のあるカフェになっていた。

次にナヒチェバン国立博物館へ。ここも入場無料でたくさんの興味深い展示物が並んでいる。
ナヒチェバンの塩採掘は紀元前5千年の頃から行われてきた産業で、今もたくさん産出している。

1918年にロシア帝国の支配から脱し、独立宣言した時のアゼルバイジャン共和国の地図。独立はたった2年で潰え、赤軍に占領されソビエト連邦に組み込まれていくこととなる。

街中で見かけた伝統的な建築物の廃墟。何の看板もなく、その壁だけ新しく作っていたので興味を引くが、帰国後調べても何か分からず。

1162年に完成したユースフ・イブン・クセイル霊廟もモミネ・ハトゥン廟と同じく、世界遺産の暫定リストに登録されている霊廟だ。

ナヒチェバン時計広場。この建物の2階部分はホテルで、ノマドマニアのオプショナルツアーに参加していれば昨日ここに泊まったはず。今はもう皆さんバクーに戻り着いた頃だろう。

ナヒチェバン時計広場の一角にあるのが、I LOVE NAXCIVAN と聞いてここまで見に来たのだ。

この後、疲れたのでもう帰ると妻が言う。一緒にスーパーに立ち寄り、夕食用に食材を購入。妻はそれを持って戻り、私は観光を続ける。
まずイェジダバード要塞へ。古代から何度も要塞が築かれてきた場所だそう。新しく立派な城壁と城門は修復され見応えあるが、中には見るべきものは何もない。中央部にポツンとドーム状の新しい建物があり、博物館になっているが閉まっていた。

城壁に上ると四方景色が良く見える。イランダグはナヒチェバンの自然のランドマークともいえる山で、標高2416メートル、周囲の平原から800メートル突き出た山だ。その奥にはアルメニアとの国境となる雪山が連なっている。

ノアの聖廟は、ノアの箱舟のノアの廟だ。ナヒチェバンはノアによって創設された街との伝説がある。この霊廟はもともと12世紀か13世紀に遡る中世アルメニアの教会の一部だったものが、ソビエトに破壊されてしまった。その遺構の上に新しく霊廟が再建されたのが2006年のこと。

ノアの霊廟の隣に巨大なモスクが完成したのが2014年。アゼルバイジャンの現大統領イルハム・ヘイダル=オグル・アリエフにちなんでヘイダルモスクと名付けられている。

17時半に宿に戻る。疲れたー。
元々、ここからイランに入り、アフガニスタン経由でウズベキスタンに戻る計画で航空券の予約をした。その後、米国のイラン攻撃が始まり、イラン経由の作戦が行き詰った。ツアー2つに申し込み、その後のナヒチェバン行き航空券まで取ってあったので、ここまでは予定を動かせず。日本を出る直前まではイラン問題が解決し当初予定のまま行けることを期待していたが、イラン情勢は悪化の一途。出てしまってからのニュースでイランを諦めはしたが、忙しくて代案を考える余裕があまりなかった。とはいえ、ここまで来てしまったら、バクーに飛んで戻るか陸路でトルコに進むかしか物理的に不可能である。昨夜ホステルの人と会話している段階では陸路トルコは問題なさそうで気持ちはそちらに傾いていた。そうした場合には陸路でグルジアからアルメニアのつもりだったが、ここでも寒く、ずっと標高の高いアルメニアは楽しめそうにない。一日悩みながら歩いた訳だが、その結果、バクーに戻ることに決めた。バクー行きは毎日何便も飛んでいるが、明日の飛行機は満席。また陸路でトルコを考え始める。しかし、一度気持ちがバクーになったので明後日で良いと思い、もう一度航空券をチェックする。すると先ほど満席だったフライトに空きが出ている。即予約、これで方向が決まった。
夕食はスーパーで買ったグルジアヒンカリ。ここではヒンカリは麺全体を指す言葉で、日本でも知られるヒンカリはグルジアヒンカリというのだそう。ワインは昨日と同じ。ツアーで一人一本もらっていたので、今日が2本目だ。

夕食の後、バクーのホテルを予約し、その後のプランを考える。難しいので今日まで決められなかった訳で、考え出したらきりがない。という訳で、寝るのは遅くなってしまう。