下船許可が降りたのは午前1時半。徒歩乗客6人は船まで迎えに来たポリスに連れられてイミグレーションに向かう。もともと体調が悪いと思っていたが、荷物を背負うと足が出ないほど胃が痛くて苦しい。あっという間に先を歩く人々に置いて行かれてしまった。妻は私がなぜ遅れているか分かっていない風だが、一応私を気にしながら前を行くポリスやオランダ人と私の中間あたりを進んでいる。

イミグレーションの建物まで1キロもないが、休み休みで20分くらいかかっている。

我々6人のためにイミグレ係官が来るまで他の人は歩き回っていたが、私は座り込んでいた。
入国手続きを終え、イミグレ官が街までのタクシーを呼んでくれるということだったが、今の体調では動きたくない。イミグレで休ませてくれるように頼んだが港のホテルに行くよう言われる。
オランダ人と別れホテルへ移動。しかし、警備員が一人いるだけで部屋には入れない。ここまで案内してくれた兵士がホテル責任者に電話してくれたが、今日はもう泊まれないとのこと。ロビーに居させてもらうことになった。ロビーと言っても小さなベンチがあるだけの場所。妻はベンチで横になるが、私は胃が痛くて横になれず、座ったまま。1時間くらいしたところで、吐き気がしてトイレへ。吐く。便も出て水様便。その後はトイレとベンチの往復を繰り返す。途中で泊まっているらしき税関の人が来て、2階のソファーと絨毯のある部屋に案内してくれた。絨毯の上の方が妻は寝やすそう。でも私は苦しくて横に慣れず。

どうしても我慢しきれなくなり、妻を起こし、病院に行きたいからポリスに相談してきてほしいと頼む。その結果、港で緊急時のために夜勤していたナースが来てくれた。飲み薬を飲み、注射を打ってもらう。少しはましになった気がする。言葉が通じないので何のクスリや注射が分からないままだったが、あとから病院で単なる痛み止めだったことが分かった。
港には医者はおらず、近くの村にも病院はない。ポリスの上官が、病院に行った方が良いと理解してくれ、タクシーを呼んでくれた。
中々タクシーが来なくてまた痛みがぶり返してくる。なんとタクシーは90キロ先のアクタウから呼んだのだった。遅いはず…。病院もアクタウにしかないのでこれが普通なのだろう。ポリスの手配だったおかげか、事前に調べてあったヤンデックスの値段よりもタクシー代は少し安かった。

港からアクタウまでは砂漠が続く。

アクタウの入口で石油(天然ガス?)パイプラインが道路をまたいでいた。

90キロを1時間ほどで走り、アクタウに着く。まだ両替をしておらず、タクシー代を払うために銀行に立ち寄る。ATMはなかったので、手持ちのロシアルーブルを両替した。
病院到着は9時40分。巨大な医療コンプレックスでにその中の一棟が救急病院となっている。さほど待たされることなく、診察してもらうことが出来た。医師はアゼルバイジャン人で英語が話せたので助かった。

触診の後、尿検査、血液検査。結果が出るまでの間に点滴を受ける。検査結果に異状はなく、食べ物が合わなかったことによる胃炎だろうとの診断である。入院とはならず、胃にやさしいものだけを摂取し数日休めばよくなるはずだとのこと。
点滴や薬で、強烈な痛みは消えている。支払いを済ませ、待合室で今後の行動を考える。カザフスタンは楽天SIMのローミングでインターネット出来るはずだったのに繋がらない。医師が自分のスマホからテザリングでWIFIを出してくれたのはありがたかった。
しばらくこの街にいるしかなさそうで、その後は体調次第とするしかない。ホテルをまずは決めなければ、ということで近くのホテルを妻に見てもらってきたところ、すぐ近くのホテルが非常に良かったそう。
近くだというので病院から歩いて向かう。昨夜よりずっと元気に歩け、ホッとした。すぐ近くに金色に輝くアクタウ中央モスクがあった。

ホテルは本当にすぐ近く。新しくてきれいなホテルだったのでありがたい。

部屋もきれいで、窓からはすぐ近くに病院や中央モスクが見えた。

まだ昼過ぎだが、すぐに横になる。昨夜は痛みで横にも成れなかったが、この時はすぐに寝てしまった。
妻は買い出しとモスク観光に出てきたらしい。16時頃戻ってきて食事。何か食べられそうだったらと誘われたが、私はお茶を飲んだだけ。

この後もずっとベッドで休み、一日が終わる。