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2006年春 東欧»d2 ソフィア
ブルガリア、ルーマニア、ウクライナ、スロバキア、チェコ、ハンガリー
2006年04月20日(Thu)
d2 ソフィア
チェックインに来る人々が朝4時頃から現れ、4時半には寝ていたカフェが営業開始。起きざるを得なくなった。まだ眠かったが、良い寝場所がなく、ベンチでガイドブックを読む。
6時前に空港前のバスターミナルへ。まだ切符売り場は空いておらず、バスの運転手は釣りの持ち合わせがない。困っていると他の乗客がバス代を払ってくれた。その人も細かい持ち合わせがなく…(^^ゞ
夜が明け、明るくなってきた頃にソフィア市内でバスを降りる。出発前にネットで目星を付けていたホステルを目指す。時間が早すぎるのでなるべくゆっくり歩いたものの、時間稼ぎできるような場所もない。
案の定、ホステルの受付の兄ちゃんは熟睡中で、たたき起こしたもののやる気なし。手続きは後と言われ、空いているベッドを割り当てられた。横になったものの寝付けず、すぐに起きだしインターネット、シャワーを浴びたら朝食の時間である。朝食付の宿で、出る日に食べないなら着いた日に食べてよいとのことで、豪華な朝食をいただいた。各種パン、各種チーズ、各種ハムやソーセージ、ゆで玉子、コーンフレークの類、コーヒー、紅茶、ジュースなどなどが食べ放題! 時差ぼけで体が夕食を欲しており、めちゃくちゃいっぱい食べた。
食後すぐに市内観光に出かける。まずは聖ネデリャ教会。外観は石造りでシックな建物だが、内部は金ぴかで壁画も鮮やか。ちょうどミサをやっていた。
銀行に両替で立ち寄った後は聖ペトカ教会へ。11世紀に建てられた半地下の小さな聖堂だが、14世紀、15世紀、17世紀、19世紀の壁画で知られている。
次に訪れたのが、聖ゲオルギ教会。ビルの中庭にある4世紀建造の教会で、こちらも半地下になっている。
大統領府前の衛兵交代を見て、今度は奇蹟者聖ニコライ聖堂へ。1914年建造なので比較的新しい教会だが、共産主義時代も機能し続けた正教教会として知られている。ここでもミサが行われていた。
続いて同年代に建てられたアレクサンドル・ネフスキー大聖堂も美しい正教教会である。ここでもミサが行われていた。
2~4世紀といわれる聖ソフィア教会はブルガリアで最も古い教会であり、ソフィアという都市名はここから付いたといわれている。
ソフィア中心部地下には古代都市「セルディカの遺跡」が広がっている。地下鉄工事で偶然発見されたもので、2000年に開業したセルディカ駅ではその一部が見学できる。
14世紀末から18世紀末までの約500年間、ブルガリアはオスマン帝国の領土であった。オスマン帝国は宗教に寛容だったので、従来の正教とイスラム教が混在し、モスクも数多く建てられた。ブルガリアとして独立した後もしばらくは宗教に寛容な時代が続いたが、第2次世界大戦後の共産主義国家において宗教は否定され、モスクも破壊された。そんな中、ソフィアで唯一現存しているモスクが16世紀建造のバーニャバシモスクとなっている。
バーニャは風呂を意味しており、文字通りここは昔から温泉で知られていた。現在も広場を隔てた向かいには公共温泉浴場がある。残念ながら改装工事中では入れなかったが、広場には自由に温泉を汲める泉があり、ボトルを持った人々で賑わっていた。
温泉の向かいには中央市場があり、色々見て回る。
これで市内の主な場所には午前でほとんど訪れた。壁画のきれいな教会が多いが、どこもミサをやっておりゆっくりとした見学は難しかった。
時差ぼけのせいで、市場で時に急に眠気が襲ってき、オリーブだけ買って宿に戻った。寝酒のつもりで、日本より持参の焼酎を飲みつつ、オリーブをベッドで食べる。
しかし、結局寝付けず、またシャワーを浴びて外出。観光ポイントはもう済ませたので、今度は地図をあまり見ず、ゆっくり歩く。切符を買いに駅まで行こうかとライオン橋まで来たところで、裏道に続く人の流れが気になった。
人々が入っていった道は大きな野外市場で、女性市と呼ばれる場所だ。地図に示してあるよりもずっと広く、ありとあらゆるものが売っている感じがする。ワインの量り売りが気になるが、今は日本から持ってきた焼酎が残っているので我慢する。
ハムを買うかどうか迷って色んなハム屋さんを見たが、結局買わず。宿が2食付きで夕食も出るので躊躇したのだ。
寝てないので早めに宿に戻り、まずは市場で買ったヨーグルト。ブルガリアといえばヨーグルト♪ まあ普通の味だけど。
夕食は、スパゲティとビールだった。朝夕付で10ユーロってのは安いが、これなら夕食はなくてもいいなぁ。ハム買っとけばよかった。
昼寝をしなかったので、夕食時からもう眠くて仕方なかった。これで時差ぼけは解消できるかな~。