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2006年春 東欧周遊の旅

ブルガリア、ルーマニア、ウクライナ、スロバキア、チェコ、ハンガリー
2006年04月21日(Fri)

d3 ソフィア→リラ→ソフィア

 時差ぼけで夜明け前から目覚める。ドミトリーはこういう時に周りに気を使うから好きではない。しかし、この宿は24時間OKのロビーで無料インターネットが出来るのでありがたい。日本語IMEが入っておらず、日本語書けないのは残念だけど…
 8時半チェックアウト。トラムに乗って郊外のバス乗り場へ。早く起きてすることがなくなって、予定より早く出たが、調べていた通り10時20分までバスはなく、暇である。スーパーをぶらぶらした後、ピザの朝食。
 バスはほぼ満席で出発した。前半は熟睡で、景色見られず。後半は緑豊かな田舎で、羊が多し。
 12時半頃、リラ村で僧院行きバスに乗り継ぐ。昼食を取る時間はなく、バス停の売店は閉まっていた。ここからは山道、美しい渓谷をバスはぐんぐん登り、1時間弱で僧院到着した。
06/05/22 16:29:10
 同じバスには大きな荷物を持った人が多く、不思議に思っていたが、どうやらここがトレッキングの起点となっているのだ。僧院がなければこんな山奥にまでバスはないので、人気の起点となっているのだろう。
 ブルガリア1の名所として知られるリラの僧院は、1983年にユネスコの世界遺産に登録されている。日本語の登録名はリラ修道院となっている。僧院も修道院も英語ならMonasteryで、基本的には同じ意味で、同様に使われる。昔はリラの僧院として知られていたので私はそのまま使うが、最近はリラ修道院と呼ばれることの方が多いようだ。僧院(修道院)は、信仰に基づいて修業を積む人々が手段で暮らしていく施設で、様々な建物がある。
 リラの僧院ではゲートをくぐると美しい教会が、デーン。聖母誕生教会だ。
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 教会と広場を囲むように壁に沿った建物が僧房の建物となっている。
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 僧院内部は至るところに美しいフレスコ画が描かれていた。
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 僧院は10世紀の創設だが、1833年の大火によってほぼ焼失した。その大火による消失を唯一免れた建物がフレリョの塔と呼ばれる鐘塔だ。14世紀の建物である。
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 しかし、思ったりも僧院は狭かった。時間が足りなければ泊まろうとわざわざバックパックを担いできたのに、時間が余ったので、僧院奥の出口から付近を散歩する。とはいえ建物は数軒あるだけで、すぐにトレッキング道になってしまう。
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 レストランも見つかったが高そうな観光客向けで、誰も食べていない。迷ったが入りづらい。
06/05/22 16:29:18
 売店で買った揚げパンが本日の昼食だ。僧院に戻り、僧坊のある3階からのんびりと敷地を眺めたり、気に入ったフレスコ画をじっくりと眺めたりして時間をつぶす。
06/05/22 16:29:20
 ここに来るバスは一日3本しかないので、これでも中々時間が余るのだ。ようやくバスの時間となり、15時のソフィア直行バスに乗り込んだ。
 帰りは景色を見ようと思っていたが、まだ時差ぼけがあり、すぐに寝てしまう。
 18時頃ソフィアに戻り、鉄道駅直行、しかしなぜかものすごい人で切符がすぐには買えない。並んでようやく窓口にたどり着いても「ない」の一言。ここであきらめちゃダメと思ったが、それどころではない込みよう。
 すごすごと駅を離れ、今度はバスターミナルへ。しかし、ここも人人人、もうどうなってるだって感じ。立ち席でも良いと交渉したが、乗せてもらえず。実は明日からイースターで4連休で混んでいたのを知ったのは翌朝になってから。
 すごすごと街に戻り、一番駅に近いバックパッカーズインへ。昨日の宿に比べ、きたないし、ロッカーないし、ベッドがぼろい、なんだかなーって宿で、泊まるのを止めようとした。しかし、「今日はもう人が来ない時間だから4人部屋1人で良いよ」といわれて結局泊まる。PCで日本語を使えるのは昨日の宿よりもありがたい。
 時間が遅くなってしまい、夕食を食べようにも空いている店は少なく、娼婦に付きまとわれたり、なんだか夜は歩き難い街。結局またピザしか見つからず。朝夕ピザとなってしまった。
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