旅して»
旅紀行»旅日記»
2006年春 東欧»d4 ソフィア→カザンラク
ブルガリア、ルーマニア、ウクライナ、スロバキア、チェコ、ハンガリー
2006年04月22日(Sat)
d4 ソフィア→カザンラク
時差ぼけが治らず、今日も早朝に起きる。6時頃からロビーでインターネット。デジカメデータをヤフーのブリーフケースに全アップする。常にこれが出来るなら、メディアの心配がなくなるが、アップには予想外の時間がかかり、うーん。朝食はこの宿も食べ放題だが、昨日の宿に比べると非常にしょぼい。宿泊客が少ないから仕方ないのかな。
8時半にチェックアウトし、バスターミナルへ。今日もめちゃ込み、人人人。目的地であるヴェリコ・タルノヴォ行きバスは14時まで満席だと断られた。他都市行きバスも色々当たったが、いずれも午前便に空きはない。やっとの思いで、10時半発のカザンラク行き臨時バスのチケットを入手した。
出発までの時間に改めてガイドブックを読んで、今日からイースターの4連休がスタートすることを知った。込む訳だ…。飛行機の予約をする時にイースターは一応チェックして外したはず。イースターは先週じゃなかったのかと思っていたが、それはカソリックで、正教会系の国では一週間ずれているとか。
バスはほぼ定刻に出発する。カザンラクは計画になかった街だ。世界遺産の遺跡があるのでバスの乗り換えにしてもせっかくなので訪問しようかとなので悩みつつの乗車だ。一度だけトイレ休憩があり、その時にバスから降りることができた。定期バスと同じ時間に走る臨時バスなので、ずっと2台のバスは一緒に走っていた。
カザンラクの中心部のホテル前で全乗客が下車、ターミナルまで行きたかったが、ここで降ろされる。臨時バスなのでターミナルへは入らないのだ。乗り継ぎのバスの時間をチェックしておきたかったが、ターミナルに行くと遺跡が遠くなるのでそのまま向かうことにする。
ホテルの位置から遺跡の方向に見当を付け歩くが、90度間違っており、失敗した。結局ホテルに戻って、フロントで遺跡の場所やバスと列車の時刻を教えてもらった。街一番の宿だが、安い部屋は35Lvだという。3000円以下なので泊まっても良いかと思うが、遺跡を見終わる時間によっては移動したかったので、荷物を持ったまま遺跡に向かう。
街はしゃれたカフェが多く、連休初日とあって人出も多く、華やか。バラの谷の中心地としても有名だが、観光客の姿はなく、それらしき土産物屋もなかった。
トルコ風の建物やモスクもある。首都ソフィアよりもずっとトルコに近いこの地方にはトルコ文化がより残っているのだ。
遺跡は、「カザンラクのトラキア人の墳墓」として世界遺産に登録されている。ただし、一般に見学できるのは墓室のレプリカだ。入口で切符売りのおばさん3人組が、連係プレーでぼろうとして、こっちはニヤニヤ。この国はぼってきたり、釣りを寄こさなかったりが多く、慣れてしまった。
肝心の墓室はごくごく小さなものだ。天井画は美しい。ブルガリアの先住民トラキア人の紀元前4世紀頃の墳墓というから貴重なのは良く分かるのだが、この程度なのにブルガリアでトラキア人の墓は世界遺産として2ヶ所も登録されているのはどうしてだろうとも思ってしまう。
本物はこの奥に続いている。実際にはレプリカで展示されていない墓室や壁画がたくさんあるのだ。鮮やかな色が褪せてしまうだろうから公開が難しいのは分かるが、やはり寂しい。規模が感じられるだけでもこの場所の印象は大きく違うはずだ。
遺跡のある公園近くに、ハズィ・エミノヴァ・カシュタ(Hadzhi Eminova Kashta)がある。伝統的トルコ建築を利用した博物館兼宿である。見学だけのつもりだったが、伝統家屋の部屋が面白く、泊まることにする。洋服ダンスかと思うような戸を開けるとシャワー&トイレなのは古いトルコの民家と共通だ。
古い民芸品が無造作に並べられた落ち着いた宿で非常に気に入った。考えてみれば、この建物が出来た当時はトルコ領だから文化が似ていて当然なのだ。
夕方から街をのんびり散歩、明日の移動に備え、駅やバスターミナルにも行って時刻の確認もする。市場は活気があっていい感じだ。
スーパーで食料とワインを買って、宿で夕食にする。宿でコルク抜きを貸してと頼んだら、ワインのビンを持っていかれ、冷えたワイングラスやナプキンととともに栓を抜いて持ってきてくれた。
ありがたいサービスだが、コルクが戻ってこなかった。一本飲み切ろうと思ったが、少し残ってしまい、仕方なくパンを固めて栓の代用。元々朝食時にも少し飲むつもりだったのだ。