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2023-24年地中海»9日目 トリポリ-サブラタ-トリポリ
2023年12月19日(Tue)
9日目 トリポリ-サブラタ-トリポリ
トリポリのホテルで2度目の朝食。小さいホテルなので毎日一緒だったら嫌だなと思っていたが、ある程度は変化があり、ホッとする。皿の左上にある液体のようなものは、麦などの粉やハーブ、スパイス、砂糖などを混ぜて粉末状にして油に溶いたもので、ブシーサと呼ばれている。その右にある同じ色のものは、ズミタと呼ばれるもので、同様に麦などの粉やハーブ、スパイス、砂糖などを混ぜて粉末状にし、乾煎りし、さらに水で捏ねている。さらに隣にあるのは、チュニジアでも何度か出てきたシャクシューカというトマト、ビーマン、卵などを煮た料理。この3種類がリビアの伝統的な朝食だそう。食べ方が分からなかったので、3種ともパンにつけて食べたが、ズミタは主食なので、パンにつけるのではなく、ズミタだけで食べたり、オリーブオイルをかけて食べるものだったらしい。ブシーサも通常はパンにつけるのではなく、デーツなどにこれをつけて食べるそう。そういえばその隣にデーツが置いてあった。
本日も9時にロビー集合だが、警官が遅れている。今朝はチュニスエアーのオフィスに欠航証明をもらいに行くので、警官とはチュニスエアーのオフィスで合流することになり、出発する。オフィスは宿からすぐ近くの高層ビルにあった。最初は地上階にあるカウンターに行ったが、リビア担当の責任者に直接話をすることになった。
最上階に近いチュニスエアーのリビアオフィスに通され、来客中だったため、しばし待つ。オフィスからは一方向しか見えないが、見晴らしは素晴らしい。しかし、土地はたくさん余っているように見え、こんな高層ビルを建てなくても良いのにとは思った。
通常ならチケットを販売した代理店が、航空会社に問い合わせて、払戻しを進める。JALやANAだとウェブサイト上で欠航証明を出せて、印刷できるが、それは保険などの請求に使うためなのだ。欠航は代理店が分かっているはずだと最初は困った様子だったが、最終的にはしっかりとしたレターを書いてくれ、判を押し、サインもしてくれた。忙しい人なのにありがたいことだ。
***後日談となる払い戻しについて***
これで払い戻しはスムーズにいくだろうと思ったが、評判の悪い
KIWI.COMはそう甘くはなかった。結局10回以上のやり取りをしても話が進まず、ひと月以上経ってしまった。購入した日本の窓口で話にならず、欧州のメインのサイトから、『これ以上払い戻しを拒むのなら航空会社の責任者を馬鹿にしていることにもつながるので、そのようにもう一度チュニスエアーに窮状を訴える』という内容のメールを出したところ、即日払い戻しが決定した。しかし、金額が支払った金額よりも少ない。指摘すると、最初は支払った金額はこれで合っているといい、次に最初に支払った時のレシートを添付すると、チュニスエアーが間違えたのだろうとの返信。それならチュニスエアーに伝えてくれというと、それはできない。ならこちらから伝えるというと、今度は差額は振込手数料だといいだした。最初の返金金額のメールには航空券代として記入してあったので、手数料のはずはないが、もう返金は諦めて、振込手数料を差し引くのならこちらが手数料を支払ったことになるからそのレシートを送るように依頼した。しかし、それもダメ・・・、面倒になってここで諦めた。評判の悪い
KIWI.COMなんて使うものじゃないと心底思う。
***後日談終わり***
10時にチュニスエアーを出て、警官とも合流し、サブラタに向け出発する。トリポリから西に70キロ、工事渋滞している場所が多く、サブラタまで車で1時間40分かかった。
サブラタは、昨日のレプティスやトリポリと共にトリポリスとして栄えてきた都市だ。レプティスと同様に、紀元前にフェニキア人によって建設され、紀元2~3世紀に最盛期を迎えたが、紀元4世紀に相次ぐ地震で大きな被害を受けた。
入口付近の遺跡は、フェニキア人の建設した古い時代のサブラタ。中央に見える塔はベスの霊廟で、紀元前2世紀のものと推定されている。右に見える城壁から海側は、紀元前1世紀、ローマ帝国がサブラタを併合して以降に建設した町の遺跡が広がっている。
ローマ時代のサブラタにはたくさんの柱が残り、その多くが神殿であった。
古代港の近くに大きな石臼のようなものがいくつも残っている。オリーブオイルを作るためのものだそう。
色の付いたタイルの模様が何ヶ所かで残っている。きれいなもののいくつかは博物館にあるそうだが、今は全土で閉鎖なので見ることはできない。
古代の港。
このイシス神殿は、柱がきれいに残っており、見応えがある。90年ほど前にここで碑文が発見され、神殿の名前などが特定できたのだそう。
最後に訪れたのが、サブラタ遺跡で一番有名な円形劇場。紀元2世紀に建てられたローマ時代の劇場は3層の建物が現存している。レリーフもたくさん残っており、見どころが多い場所だ。
円形劇場のところで、今回の旅を手配した旅行会社の社長が、他の客のガイドを兼ねて来ていた。そして、ここで正式にガダミスには行けないと告げられる。国境付近でトラブルが起こっていることは事前に知っており、初日に確認していたので覚悟はしていた。しかし、その代案に私が頼んでいたマウンテン地域を二日に分けていくのは無理だと言われてしまい、かなりしつこく交渉する。元々は丸一日かけてガダミスに行き、ガダミスに丸一日、帰りも丸一日の予定だった。丸三日間の予定がなくなるのに、代案はマウンテン地域の日帰り一日で、4ヶ所ある村のうち2ヶ所を選べというのだ。ほとんど同じ道ではあっても、2ヶ所づつ2回に分けるのができないというのは理不尽すぎる。2回往復してもガダミスに行くより走る距離は短いのにガソリンがどうこう言われた時には切れそうになってしまった。この時は知らなかったが、現在ガソリン不足の状況で、国から許可の下りている行程分以外のガソリンを確保するのが大変なのを伝えたかったというのを後日聞いた。
結局彼らが行くのをめんどくさがり、必要な政府に対する申請を一日分しかしていないから無理だというのが判明。今日中にもう一日分の申請をするように依頼、無理ならどこかの家庭で家庭料理を出してくれと交渉し、この時は今後の日程が決まらないまま物別れとなる。
日程の交渉に時間がかかり、さらに渋滞に巻き込まれ、トリポリに戻って来たのは16時を過ぎた。16時20分にようやく昼食のレストランに到着した。メインで注文したのはルシュダハルーフ、手打ちパスタの上に柔らかな羊肉が乗っている。
もう一品が、タジンホウト。タジンは日本で知られているモロッコ型のタジンではなく、浅いオーブントレイを指すのだそう。出来上がったものの味や食感はモロッコ式で作る蒸し焼きに似ているので、作り方に興味がなかった私だけだと違いを知らないままだったろう。
お腹が空いていたので、クスクスも注文。スープ、サラダ、パンもセットで付いてきたので、今回も食べすぎなくらいお腹がいっぱいになってしまった。
ホテルには18時頃に戻ってきた。旅行者は自由に歩くことが許されておらず、夕食は何時に迎えに来ればよいかと聞かれたが、昨日でさえ夕食を食べていないのに、要らないと断る。お腹がもしすいたら近くのパン屋でパンでも買ってくるというと、それは自由にどうぞということになった。
20時過ぎ、せっかく自由に出ていいといわれたのだからと外に出かける。最初は素直にパン屋に行ったが、お腹は空いていないので、見ただけで、そのまま散歩を続けた。商店に入ったり、カフェを飲んだりする。
昔はバスがたくさん走っていたのに、今回はサブラタに行くとき一台すれ違っただけ。バスがなくなったので気になってバス会社が並ぶところまで行ってみた。今も長距離バスはあるようで、予約は取っていたが、貨物専業になっている会社の方が多い。そこで運ばれてきた鳥の乗せ換えをしている人々がいた。鳩よりも少し小さな鳥で、食用らしい。隣のエジプトでは鳩料理や雀料理が普通にあるので、ここでも野鳥をよく食べるのだろう。
明らかな旅行者だけで歩いていても、街の人々は普通に接してくれるし、治安も問題はなさそう。ホッとするが、なんでこんな不自由な規則にしているのか、寂しくも思う。