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2023-24年地中海の旅

2023年12月20日(Wed)

10日目 トリポリ

 今回のリビア手配旅行は、
初日 昼にトリポリ到着 午後市内観光
2日目 トリポリからガダミスに移動
3日目 ガダミス観光
4日目 ガダミスからトリポリに移動
5日目 レプティスマグナ一日ツアー
6日目 サブラタ一日ツアー
7日目 トリポリ観光 午後に出発
での契約だった。
 政治的な問題でガダミスに行けなくなったのは仕方ないが、三日分の代案が、ガダミスに行く途中で寄るはずだったところに日帰りで一日行くだけ。返金はないが二日早く出国してはどうかと初日にいわれ、もめた。もともとリビア訪問の目的は妻のライフワークである世界の食の収集であり、早く出国して食事回数を減らす選択肢なんて我々にはない。トリポリにいても食事はできるのだ。とはいえ他の地域にも行きたいので、何度も交渉を重ねている。しかし、交渉は「政府(or 警察)に交渉する」で中断し、翌日以降に「政府が・・・」「警察が・・・」と言い訳されて終わるのだった。
 本日は予定にはなかったトリポリ市内一日観光の日である。クレームばかり言っていても、旅がおもしろくならないので、あとは少しでもましなツアーにすべく努力するだけ。という訳で、行きたい場所をリクエスト、まずは魚市場に向かった。通常の市内観光では行かないところなので、ガイドが駐車場の場所が分からなかったり、最初に別の建物に入ろうとしまったのは、ご愛敬。市場の人々は珍しい外国からの観光客を喜んで歓迎してくれてた。
23/12/20 16:34:52
 漁港にある魚市場で、並んでいる魚の種類が非常に多い。イカ、タコ、貝などはもちろん、ウツボやサメなども並んでいる。サメは専門店があったりし、その店はよく売れていた。イスラムの教義で禁じられているわけではないが嫌悪感を示す食材として「うなぎ」「イカ」「タコ」「貝類」などがあげられているのを見たことがあるが、リビアの人には全く問題ないようだ。
 旧市街最初の観光ポイントは、マルクス・アウレリウス門。ローマ帝国の版図であった紀元2世紀に建てられた凱旋門である。左側の白い建物は、ジマイト(Zimait)ホテル。以前は人気の高級ホテルだったそうだが、今は閉業している。右側は高級レストランで、入口に伝統的なコーヒーセットが並べられていた。この一角は街の中心であったため、歴史ある建物で囲まれているのだ。
23/12/20 16:54:50
 200年前の絵画から描かれた当時から地面は今と同じ高さだと分かる。つまり左右の建物と同じ高さまで凱旋門は200年前よりも前に埋まっていた。19世紀から何度も発掘、修復され、今の姿となっている。
 凱旋門の奥にあるのは、グルジモスク。トリポリのモスクは白が基調のものが多い。
23/12/20 17:01:22
 モスクの脇から旧市街歩きを始める。普段自分たちだけで歩く時もすぐに妻は食べ物屋の前で立ち止まる。ガイドの通訳を通して色々店の人に話が聞けることもあり、妻は非常に楽しそう。私は暇なので、勝手に周りの路地に足を踏み入れ、ハマーム(公衆浴場)を見つけたり、建物のドアノブを見入ったりしてみる。
 現在リビアの博物館はすべて閉鎖されている。その代わりではないが、中を見学できたの最初の場所が、旧イギリス領事館。オスマントルコ時代の18世紀に建てられた建物で、18世紀後半から1940年までイギリス領事館として使われてきた。現在は図書館として公開されており、博物館のように領事館時代のものを展示物として並べている部屋もあった。中庭がきれいで見応えがある。
23/12/20 17:10:16
 市内観光のルートとなっている小道はきれいであるが、一歩横道に入るとボロボロの建物が多かった。
23/12/20 17:15:10
 旧ローマ銀行と旧牢獄などに囲まれたローマ銀行広場で、女子生徒たちに囲まれる。みんなカメラ大好きで、写真を撮ると大喜び。
23/12/20 17:45:52
 旧牢獄は現在学校になっており、牢獄見学のついでに授業見学をさせてもらう。
23/12/20 17:50:42
 授業見学の途中で、先ほど会った女子生徒たちの一団も入って来て、教室内は人だらけに。でも子供たちは見学者に畏縮することなく、色々な歌や踊りを見せてくれた。
23/12/20 17:55:22
 ローマ銀行広場から少し入ったところに聖母マリア教会がある。トリポリで唯一の教会であり、400年以上の歴史を持つ。ガイドも監視役の警官も教会が嫌いなのか、勝手な方に行かないよういつもついてくるのに、この場所にだけは近づいてこなかった。
23/12/20 17:58:56
 先ほどの道に戻って来たので、妻が食べ物屋で話を聞いている間に見つけたハマームに妻を案内する。時間で男女を分けているために、私は中を見れなかったが、妻はのぞかせてもらっていた。入口には1081Hと年号がある。イスラムの暦であるヒジュラ暦の1081年、すなわち1671年(or 1670年)に出来たハマームだ。ここは観光ルートではないので右側の建物は薄汚れている。
23/12/20 18:11:06
 旧隊商宿を見学する。今もホテルとして営業している場所で、カフェではシーシャ=水たばこを楽しんでいる人がいた。30年位前に中東を旅した時には何度も楽しんだシーシャだが、もうずっとやっていない。吸ってみるかを尋ねられ、コロナの折に回し吸いは・・・と迷っていたら、くわえる部分だけ取り換えられるようになっており、新しい吸い口を持って来てくれた。数十年ぶりにシーシャを楽しみ、にやけてしまった。
23/12/20 18:25:36
 職人街になっている通りを歩く。糸紡ぎをしているおじいさんがおり、ついつい店に入る。
23/12/20 18:34:16
 しばらく見ていたら、糸紡ぎを中断し、機織りも見せてくれた。
23/12/20 18:34:30
 8世紀後半に建てられたカラマンリハウスも中まで見学できる場所。総督の家になったり、領事館になったりした歴史ある建物で、現在はトリポリ歴史展示場として公開されている。実質は博物館だが、全土で閉鎖されている博物館のカテゴリーには入らないようだ。ここも色々展示してあるが、中庭が美しいのは旧イギリス領事館と同じである。
23/12/20 18:42:38
 再び職人街、この辺りは金物を作っている店が多く、観光客の土産になりそうなものも並んでいた。
23/12/20 19:06:26
 そしてスークへ。ガイドはまず貴金属が並ぶ辺りに入り、次に土産物が並ぶコーナーへ。しかし我々はそういうものにあまり興味がないので、どんどん勝手に進んでいき、寂れたあたりにまで進むとガイドと警官は焦っていた。
23/12/20 19:06:10
 時計台のある広場に来ると人々が大勢集まって、いくつかのグループに分かれ話し込んでいる。両替商たちだそう。ここでのやり取りは非常に大規模なもので、リビアディナールのレートはここで決められていくのだそう。
23/12/20 19:12:14
 広場で先ほどの女子生徒達と再び遭遇。妻はなぜか全員とハイタッチを交わしていた。
 そして今度はトリポリ城へ。ここでも別の学校の集団に遭遇。引率の先生が我々を見つけて大騒ぎ。生徒達やガイドは引き気味だ。
23/12/20 19:15:12
 こちらの学校の生徒は少しシャイだったが、それでもやっぱり写真好き。イスラム教の国でこれほど女の子の写真を撮りやすい国は記憶にないくらい。
23/12/20 19:16:22
 紀元7世紀に建設が始まった場内は広く、様々な建物がある。幾度にもわたる拡張によって、場内だけでも一つの街のよう。
23/12/20 19:23:02
 城の正式名称は、アッ・サラーイ・ル・ハムラ城。ハムラは赤の意味で、赤い建物が圧倒的に多い。
23/12/20 19:47:26
 城の前の広場は以前はグリーン広場と呼ばれていたが、今はマーティーズ広場と名を変えている。人々が集う憩いの広場で、様々な屋台が出ている。
 広場から歩いて新市街にあるレストランに向かう。伝統食であるオスバンを食べたいという妻のリクエストで訪れた店だが、オスバンは品切れだった。ガイドはメニューにあるものをすべて用意している店はあまりないといっていたので、品切れは想定内。ガイドは近くにある別の店に多分あるからそちらに行こうという。しかし、妻はこの店にあるものもチェックしたいと中に入り、食べたかったという別の料理ファスーリャビルカワラが今あることを確認した。時間はたくさんあるからということで、この店でファスーリャビルカワラを食べ、その後別の店に行くことになった。
 牛の足の煮込みであるファスーリャビルカワラを一品だけ注文し、私と妻でシェアすることにしたのだが、サラダ、スープ、パン、水は2人分出てきたので、ここだけでお腹いっぱいになる。
23/12/20 20:14:14
 お腹はいっぱいながらも次のレストランに移動する。この時雨がぽつぽつ降ってきた。砂漠気候のトリポリではほとんど雨が降ることはない。この日の雨は4年ぶりだそう。
 今度のレストランは少し庶民的で、座席は皆さん相席となる。テーブルに敷いてある紙も、ここではセルフサービスだ。これまでのレストランではガイドと警官は一緒に食事をせず、外でサンドイッチなどを食べていたが、ここでは一緒に席に着く。一緒に食べていなかったのは習慣ではなく、今までのレストランが高めの店だったためだったようだ。
 オスバン(オスベーン)は、羊の腸詰めで、中には羊肉だけでなく、香草や米などが入っている。何度でも食べたくなるおいしいソーセージだった。
23/12/20 21:03:10
 2軒で100分ほど滞在し、午後の観光スタートは15時前となる。4年ぶりの雨にしては人々は動じている様子はない。
23/12/20 21:41:50
 今度は伝統的なスークではなく、旧市街の中でも比較的新しい商業地区へ。またも最初に連れていかれたのは貴金属コーナーだが、リクエストに従って、食料品が多い場所に移動する。
23/12/20 21:48:14
 土産は最終日に買うつもりだったが、欲しかったカルカデがあったので、即購入。リビアにいる間も飲みたかったのだ。
23/12/20 22:07:42
 お昼にファスーリャビルカワラを食べていたので、その材料である牛の足を見せてもらう。
23/12/20 22:14:24
 旧市街入口の1つであるズナタ門へ。ここから城壁にも登れるようになっていた。
23/12/20 22:43:38
 これで市内観光で予定した場所は終了だ。しかし、時間が余っているので先ほどの商業地区に戻ることにする。お決まりの道を行かせたがっていたガイドと警官だが、別に良いと思ったのか、どんどんうらぶれた路地を進んでも方向さえ合っていれば、何も言わなくなった。監視はいるものの、これでやっと少しは自由に歩けているという気分になる。
23/12/20 22:48:36
 最終日にお土産を買うにしても目星を付けておかないと残ったリビアディナールとの相談が出来ないので、結構まじめに見て回った。しかし、基本的には産油で潤う国であり、店で並べられているものは隣国からの輸入品が大半だ。あまり買いたいものはない。
23/12/20 23:18:24
 17時前に一旦ホテルに戻る。ツアー会社の社長が来ており、やはり郊外に行けるのは明日の日帰りだけだという。全部で4ヶ所の村があり、そのうち2ヶ所を選べと初日と同じことを言われたが、さすがに切れて拒否。ガダミスに行けなくなったのは分かるが、その行き帰りに行くはずだったところを減らそうというのは理屈に合わないと問い詰める。結局、明日はいつもよりも早い8時に出発し、暗くなるまでかかっても良いという条件で、一日で4ヶ所の村を訪れることが決まった。
 今日の夕食は19時半に車で出掛けることになった。私は交渉に疲れて休みたかったのとまた馬鹿なことを言って来ているKIWI.COMにメールをせねばならなかったので、部屋に戻った。
 一方、妻は元気で散歩を希望。ガイドも警官も疲れてしまったようで、前回一緒に行った近所の店だけという条件で妻一人での外出許可をだした。前回の2人で歩いた時の様子から、別に街に危険はないと判断し、私もこころよく送り出す。
 散歩を楽しんだ妻は最後にコーヒーをテイクアウトしてきてくれ、KIWI.COMのせいでムカついていた私も心が和んだ。
 夕食に妻が出したリクエストは「ムバクバカ」を食べたい。リビアでは人気のパスタ料理らしい。街中にも店はあるのだが、トリポリで一番の店に行こうとガイドが張り切ってくれ、郊外にまで車を走らせた。
 店はムバクバカが名物だが、基本は海鮮料理店で、ショーケースには色々な海鮮が並んでいる。大きな鍋に入ったムバクバカを食べている人も多いが、焼魚などの海鮮料理を食べている人も多かった。
23/12/21 03:13:58
 店の人は優しく、妻をキッチンに招いてくれ、作り方を教えてくれたそう。
23/12/21 03:05:22
 食べたのはエビやイカの入った海鮮ムバクバカ。パスタにも種類があり、我々のはマカロニのようなパスタだったが、スパゲティを食べている人もいた。遠くまで来ただけあって、美味しいパスタだった。
23/12/21 03:31:32
 21時過ぎにホテルに戻る。現在のリビア旅行における自由行動の制限は、旅行者に何かあった場合に旅行代理店が全責任を持つという規則のために、旅行代理店が旅行者に課している制限なのが分かった。我々が自由に歩いてはいけないという規則ではないのだ。
 ガイドと警官が帰った後、おとなしくしている義理はないと判断し、この夜も2人で少し散歩する。ただし、明日はいつもよりも出発が早いので、早目に戻って明日に備える。
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