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2023-24年地中海»42日目 テッサロニキ
2024年01月21日(Sun)
42日目 テッサロニキ
夜中に暖房が切れて、よく眠れないほど寒かった。リビングにはエアコンがあるので、何とかなるが、寝室は寒すぎる。セントラルヒーティングで調整できないのだろうと最初は諦めていたが、朝になってもお湯が出ない。さすがにおかしいと思い、朝食後アパートの管理会社に電話。状況を説明すると、見に来てくれることになった。その結果、ガスヒーティングが故障していることが判明した。すぐに営繕部署に電話してくれたが、日曜日の為にオフィスは閉まっており、緊急時の担当者にも連絡がつかない。今日中に修理することと、担当者に連絡がついた時点でこちらに電話してもらうことを約束し、出掛けることにする。
アパート管理人が来るのを待ち、来たところで彼が原因を究明するのを待ち、営繕に連絡とろうと試みるのを待ち、連絡がつかなかったので、どうするのかの相談をし、気がつけば昼を過ぎていた。今日は朝から観光のはずだったが、仕方がない。
紀元前4世紀に創建されたテッサロニキは、2千数百年の間この地域の中心都市として栄えてきた。様々な時代の遺物が数多く残る中、「テッサロニキの初期キリスト教とビザンティン様式の建造物群」としてキリスト教時代の遺物が世界遺産登録されている。15ヶ所の建造物が世界遺産登録されており、今日は全部見て回ろうと思っていたが、出発が遅くなったので、いくつかは残ると思われる。
まずはテッサロニキ城壁。4世紀末から建設されたテッサロニキ全体を囲む城壁である。現在は市域が拡大し、ビルの谷間に残っている。
城壁のそばが緑地になって、しっかり残っているように見える場所もあった。
2ヶ所目は、聖使徒教会。14世紀前半に建てられたビザンチン様式の教会。閉まっていたので周りを一周するだけに終わってしまった。
3ヶ所目は、聖カタリナ教会。ここも聖使徒教会と同時期に建てられたビザンチン様式の教会。ここも閉まっており、外からのぞいただけ。日曜日なのでミサが終わると閉めてしまうのだろうか。暖房の故障で午後の訪問になってしまったのが痛い。
4ヶ所目は、預言者エリヤ教会。14世紀後半に建てられた教会。ここも閉まっていたが、敷地内には入れ、建物を窓からのぞくと片付けをしている人がまだいた。
5ヶ所目は、ラトモウ修道院。5世紀後半に建てられた修道院。ここも閉まっており、敷地内には入れず。外からでは建物の写真をとることもできない入り組んだ路地の奥にある。
6ヶ所目は、ヴラタドン修道院。14世紀に建てられた修道院で、丘の上の景色良い場所にある。テッサロニキでは唯一現在も修道院として機能している。ここもミサは終わって建物は閉まっていたが、見晴らし台があることや中の壁画がのぞけることなどからか、参拝客がチラホラいた。
中に入れる場所がなかったのでここまでの所要時間は思ったよりも短く、午前中の訪問予定ヶ所は1時間ほどで終わった。
少し遅くなったが、レストランでランチにする。
イカフライは、サイズが小さかったが、カラッと上がって美味かった。
白豆のトマト煮は、パンが進む味だ。
もう一品。豚レバーのソテー。レバー好きなので美味い。
ここでもサービスでデザートが出てきた。ギリシャはそういう習慣があるのかも。西アジアからバルカン半島、北アフリカなどでよく食べられているハルワだ。テッサロニキのハルワはセモリナ粉を使うのが特徴。
7ヶ所目の世界遺産は、ビザンチン浴場。1300年頃に建てられた修道院で、いつ頃から公衆浴場となったのかは不明とされている。1430年にテッサロニキがオスマントルコの領土となり、その時からという説が正しいのではないかと思われる。1940年まで公衆浴場として営業を続けていた。長期の放置の後に、修復工事をし、2015年より博物館として公開されているそうだが、ここも閉まっていた。
8ヶ所目の世界遺産は、聖アギオスニコラオスオルファノス教会。ここも閉まっている。敷地は広く、外周をぐるりと回ったが、建物がよく見える場所はなかった。
1430年から1913年まで約500年間、テッサロニキはオスマントルコの都市だった。トルコ政府と対立するギリシャ政府はオスマントルコ時代の痕跡を目立たなくしようと務めている。その一つの例が、約500年間トルコ浴場として営業してきた場所をビザンチン浴場としていることだ。
同様にひっそりと残っている人気の観光スポットが、トルコ建国の父アタチュルクの生家である。看板は隠されるように目立たず、入口も分からないように建っているが、実際には大きくて堂々としたトルコ風建築の建物だ。政治的な問題で攻撃されることを想定しているのか、大使館のような高い壁があり、入口の警備も厳重だ。
オスマン帝国が衰退を始め、領土縮小を余儀なくされだした1881年にアタチュルクはテッサロニキで生まれている。オスマン帝国の軍人となり、第一次世界大戦では同盟国側の一員として戦ったが、オスマン帝国は敗戦。敗戦後の講和条約がオスマン帝国の解体といえる内容であり、それに反発する抵抗運動を主導したのがアタチュルク。そして最終的にトルコ共和国を建国し、初代大統領となった。欧州列強との差を目の当たりにしてきたアタチュルクは、一夫多妻禁止や女性参政権導入、アラビア文字を廃止&アルファベットの採用など、近代化を推進した。アタチュルクとはトルコ(チュルク)の父(アタ)を意味し、国民議会から送られた姓である。ムスタファ・ケマルが元の姓名。
広い生家は現在博物館になっており、様々な展示がなされている。意外に見学者が多く、驚いた。訪れている大半はトルコ人だろう。
世界遺産巡りに戻り、9ヶ所目の物件はロトンダ。4世紀初頭のローマ皇帝ガレリウスが建てた霊廟。今は美術館だが、15時30分までと営業時間が短く、すでに閉まっている。
ガレリウスの凱旋門は、ロトンダとセット建設された凱旋門で、レリーフが美しい。ロンダと合わせ1物件として世界遺産登録されている。
10ヶ所目の世界遺産は、救世主教会。ここはこじんまりした教会。
11ヶ所目の世界遺産は、聖パンテレイモン教会。ここも閉まっていた。
12ヶ所目の世界遺産は、聖ソフィア教会。8世紀に建てられた大きな教会で、ここで初めて中に入れた。たくさんの像があり、参拝客は多かった。写真は入口側で、裏から見ると他とよく似た教会らしい建物。
13ヶ所目の世界遺産は、アケイロポイエトス教会。5世紀に建てられた初期のビザンチン様式建築の大きな教会。入口がどこか分からず一周する。ここもやはり閉まっている様子だ。
14ヶ所目の世界遺産は、聖デミトリオス教会。7世紀に建てられた教会で、ここも中に入ることができ、礼拝客が多かった。
ここで夕方17時、ようやく電話がかかってきた。約1時間後に暖房の修理屋が来るという連絡だ。世界遺産物件は1ヶ所だけ残っているが、これは後日訪問することにし、世界遺産巡りを終了する。ほとんどが閉まっていたが、外観は楽しめてビザンチン建築がどんなものか分かった気がする。買い物をして18時頃宿に戻る。
壊れていたガスヒーターは4本あるパイプのうち1本の接続が固定されていなかったことが原因だった。その部分の修理は部品がなく、残りの3本のパイプには熱湯が流れるようにショートカットしてもらった。寝室の暖房が動かないが、他を全開にして、戸も開けていると寝室も暖かく、眠るのに支障はなさそう。レンタルアパートは多少のトラブルは仕方ない。日曜日にもかかわらず、対応してくれたので良しとする。
夕食は暖かいキャベツのスープ。
オーブンで温めるだけのパイはフェタチーズ入りで美味しかった。