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2023年インド»17日目 -イスリ-マデュバン-パラスナートの丘-マデュバン
2023年06月10日(Sat)
17日目 -イスリ-マデュバン-パラスナートの丘-マデュバン
一昨日リシケシュを出発した列車は、定刻より4時間20分遅れの午前3時50分に、イスリにあるパラスナート駅へ到着した。この駅で降りる人の大半はジャイナ教の聖地であるパラスナートの丘を目指す人々だ。
深夜だというのに駅前には乗り合いの車がたくさん停まっている。ここから巡礼の基地となるマデュバンまでは23キロである。ミニバスは一人70ルピーなのだが、駐車場には乗客をコントロールする元締めがいて、外国人の我々が乗り合いの車に乗ろうとすると、他の乗客を降ろし、チャーター料金の500ルピーを要求する。乗せてくれそうな車もあったが、元締めに邪魔され乗れない。
駅前からは乗るのが難しいので、1キロ先のバス道に向かって歩き出す。途中で宿が開いていれば泊っても良いと思ったが、時間が時間なのでどこも閉まっていた。バス道まで出たものの、この時間ではバスが来ず、駅方面からの乗り合いミニバスも満席で来るので乗れない。1時間近く待って明るくなった頃、ようやく空席のある乗り合いが来た。言い値は2人で200ルピー、2人で150までは下がったが、正規料金の2人で140までにはどうしても下げてくれない。もしかしたら空席ありで出発するために先の乗客からも多めにもらったのかなと思い150ルピーで乗ることにした。
そこからマデュバンまで約40分。マデュバンは登山基地で坂道沿いに宿が並んでいる。先に降りる人の支払いを見ていたらやはり70ルピーだったので、最後に文句を言ったが2人で150で押し切られてしまった。泊まる宿の当てはないので出来るだけ坂の上までミニバスで行って下りながら宿を探した方が良いと考え、一番奥にある宿まで送ってもらった。
外国人お断りの宿が多いとネットに書いてあったので心配していたが、あっさりと一軒目でOK。シュリーサメシカルディカンバルジェーンビスパンティウプレリコティ(Shree Sammedshikhar Digamber Jain Bispanthi Upraili Kothi)という長い名前のダラムサラである。ダラムサラというのは巡礼者向けの宿のことで、ここは特に大きく、大型バスの巡礼ツアーも来るような宿だ。5時半に着いていたが、早朝だったためか担当者が中々来ない。
オフィス前で待っていたら全裸の人が通り過ぎた。ジャイナ教の教えの1つに「無所有」というものがあり、それを体現している僧侶である。初めて見た妻はポカンとしていた。
チェックインには時間がかかり、手続きが終わったのは6時だった。ここは南インドなどに多い24時間制を採用しており、チェックインの24時間後がチェックアウト時間となっている。明日のチェックアウトタイムは6時となったが、7時には出ようと思っていたので6時なら問題ない。
荷物を置いて宿のカフェテリアで朝食をとる。ジャイナ教の教えには「不殺生」というものもあり、当然ながらベジタリアンフードしか置いていない。植物も根を切るのは殺すことにつながるとして根菜さえも忌避するという徹底ぶりだ。食べたのはポハ、リシケシュでも食べた干し飯である。
パラスナートの巡礼コースは、頂上の標高が1450メートル、全部歩くと20数キロある。夜行明けで歩くには無理のあるコースなので、当初は一日休んでから登る予定だった。しかし、ここまでの列車を予約してからアンダマン諸島にも行くことにしたので、日程が詰まってしまい、明日朝にはここを出る。今日しかないので行けるところまで行けば良いというつもりで歩き出した。
登りだして1時間弱で最初の寺院に到着した。ここまででも結構疲れ、木陰で大休止。休んでいたら住んでいる僧侶が来て案内してくれたので、お参りをする。
寺院の周りには美しい彫刻がたくさん飾られていた。
ここまででもたくさん水を飲んでおり、持つかどうか心配だったが、僧侶が水を分けてくれて助かった。
多くの巡礼者は夜明け前に歩き出すそうで、会うのは下りてくる人ばかり。女性はほぼ皆さん白い服を着ており、素足の人も多い。ジャイナ教は空衣派と白衣派に分かれており、裸形での実践の難しい女性は皆さん白衣派となるそうだ。
休み休み来たので、ペースはかなり遅い。出発して5時間近く、ようやく尾根に連なるジャイナ教の聖地シュリー・サムド・シカージまでもう一息のところまで来た。
シュリー・サムド・シカージ到着は12時半、ここまで5時間10分かかった。日陰で大休止。飲み水をここでも分けてもらえ、助かった。本来の巡礼は尾根に点在するお堂を礼拝して回るが、そんな元気はなく、数か所でお祈りしたのみ。
ミニマムの周回コースを歩き、下山開始。頂上直下に大きな軍基地があった。軍人がたくさん登っていたので訓練かと思っていたが、基地への移動だったようだ。
茶店でジュースを買って休憩。登りの途中で巡礼者にもらったチャパティやナムキン(スナック菓子のようなもの)と朝買ったビスケットの昼食をとる。
聖地巡礼なので最後まで歩きたかったが、歩き慣れない妻が歩けなくなってしまった。空のバイクタクシーが来たので、最後の15分ほどだけはバイクタクシーでの下山となった。15時半、無事に宿帰着。途中で引き返す覚悟だったことを考えれば、上まで無事に歩き、下りも大半を歩いたので大満足。
18時前から夕食に出たが、ほとんど食堂が開いていない。マンゴーとオレンジを買って宿に戻ることにした。
前方に裸の僧侶が歩いている。この町では普通のことのようで、特に視線を集めている様子もない。
宿入口の掲示物にも等身大の裸の僧が掲げられている。
宿泊しているダラムサラ、駐車場がバカでかい。この奥にも別の中庭や建物があり、泊まっていた建物はもっと奥だ。
夕食は再び宿のカフェテリア。夕食も朝と同じような軽食しかない。宗教上の食事制限がきつすぎて、あまり料理が発展していないのかも。食べたのはウプマ、これもリシケシュで朝食として食べたものと同じだ。
2連続夜行列車で寝不足のまま登山をしたので、さすがに疲れた。早くから横になるが、暑くて中々寝付けない。水を浴びて体を冷やしたり、戸を開け閉めして、外の冷えた空気を部屋に取り込んだりしたが、ダメ。開き直って、戸を開けっぱなしにしたらようやく涼しくなり、眠ることができた。