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2024スペイン、アルジェリア»15日目 ティンドーフ(アウセルド難民キャンプ-ブジュドゥール難民キャンプ-ラブニ-アウセルド難民キャンプ-空港)-
西サハラ難民キャンプ訪問とスペイン全自治州訪問完了の旅
2024年05月05日(Sun)
15日目 ティンドーフ(アウセルド難民キャンプ-ブジュドゥール難民キャンプ-ラブニ-アウセルド難民キャンプ-空港)-
ホームステイ先のママは、胆石の手術が必要で、800キロ離れたベシャールに転院したのだそう。朝は家族のだれもおらず、自分たちで朝食の準備をした。
今日はティンドーフ滞在の最終日。フィサハラの公式行事は昨夜の閉会式が最後だが、フィサハラ参加ツアーの行事として、今日は映画学校と抵抗博物館を訪れるバスツアーがある。集合時間の9時にフィサハラ会場に行くと重機も来ており、会場の撤収作業が進められていた。
我々は多数の車に分乗しツアーに出発する。相変わらず手際が悪く、出発できたのは10時だった。
まずは南に進み、サマラ難民キャンプ手前で右折する。近くに給水塔が見える。こちらのキャンプには水道があるのかもしれない。
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ブジュドゥール難民キャンプへの分岐にあるモニュメントはティーセット。他のアラブ諸国同様に分岐の ラウンドアバウトにはモニュメントがある。
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ブジュドゥール難民キャンプへ入ってゆくと中心部の商店はアウセルドよりも賑やかで、レストランも営業していた。
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20年前の2004年、サハラウィ難民に娯楽と文化の形態としての映画をもたらす取り組みとして、初めてフィサハラ(サハラ国際映画祭)が行われた。以降、毎年フィサハラは開催されてきている。その取り組みの一環で、「サハラウィ難民の若者に映画やビデオの制作を指導し、自分たちの生活を表現し、重要な問題に取り組み、地域社会に力を与えること」を主な使命として2011年に開校したのが、ブジュドゥール難民キャンプにある映画学校である。本日の目的地の一つがこの映画学校だ。
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開校14年となると多くの卒業生がすでにいる訳で、様々な分野でその卒業生は活躍している。卒業生の何人かが今日の案内に参加していた。外に出て活躍している人々なだけあって、サハラウィの第一外国語であるスペイン語だけでなく、アルジェリアの第一外国語であるフランス語、あるいは英語が堪能な人も来ている。今はアルジェで映像の仕事をしているという卒業生は日本のアニメが大好きで、片言の日本語を連発したあと、英語で色々と説明してくれた。
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高額な撮影機材はフィサハラに来る映画関係者が置いて行ってくれ、充実している。
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映画学校も興味深いが、外の様子も見たい。途中で抜け出し、一人で周りを散歩した。あちらこちらにポンプから出るホースがある。アウセルドで見なかった水道システムがここにはあるようだ。
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水道システムがあってもアウセルドのような水袋は使われている。
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洗濯機が外に置いてある家庭もいくつかある。
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家並みはアウセルドと同じようなもので特に違いは感じられない。
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写真の建物はサハラウィ女性連合。近くには警察組織の本部もあった。
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12時頃に映画学校訪問は終了。次の目的地抵抗博物館に向けて出発する。
メイン道路のラウンドアバウトでヒッチハイクする人がいた。他でも見かけたので、難民キャンプ同士の行き来で車のない人はヒッチハイクが普通なのかもしれない。
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ラブニは5つの難民キャンプを管理する行政の建物が集まる場所となっている。サハラウィ・アラブ民主共和国の臨時政府省庁がここにあり、国連機関や難民支援などを行うNGO組織の拠点もここに置かれている。他の難民キャンプとの違いは車の多さで良く分かる。
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ラブニの端にある抵抗博物館に着いたのは12時20分。モロッコの侵略にあらがってきた戦いの歴史がここにある。管理や案内はポリサリオの軍人さんだ。
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入口にあった大きな写真は初期の難民キャンプ・・・テントで大地が埋め尽くされている。
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戦いの歴史を語ってくれたのが、左の軍人。右は英語通訳で、彼の英語は分かりやすく、非常に助かった。
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破壊された兵器が中庭にいくつか展示されている。
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モロッコが徐々に占領地を拡大していく過程を示す地図の前で熱く語る。
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モロッコが占領地と非占領地の境界に作った総延長2700キロにわたる砂の壁の模型。
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戦いで使われた戦車。
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モロッコが投入した兵器の種類とその提供国。
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14時に訪問が終わり、帰路につく。ラウンドアバウトにあった水袋のモニュメント。往復で違う道を通ったので、アウセルド難民キャンプ周辺の道はこれですべて通過したことになる。
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2日目に見た井戸の給水施設で水トラックが補給していた。
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バスは家の前まで送ってくれた。夜空港に行く時と同じ車&運転手なので、場所の確認を兼ねていたのだ。
15時過ぎに家に戻り着くと、家の娘さん2人が2日ぶりに戻って来ていた。ママの入院に付き添っていたが、遠方のベシャールには行けなかったので戻って来たのだ。最後に会えてホッとする。
昼食はローストチキンとフライドポテト。
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出発までの時間で、妻は伝統的な方のヘンナをしてもらう。
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葉っぱの粉末を固めたものを指先に塗って2時間そのままにする。服などについてしまうと色が付くので、この後指先にはビニールを巻いた。
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出発準備を終えたあとはのんびりお茶をいただく。
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2時間経ってビニールを外し、ヘンナをふき取る。指先はオレンジに染まっているが、その後だんだんと黒くなってゆく。
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色んな場所で見かけた石の並びは、メッカの方向を示すお祈りの場所だった。気になっていて、映画学校で英語のできる兄ちゃんに聞いてやっとわかったと思ったら、すぐその日に使っている様子を見ることが出来たのだった。
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21時にバスが来、家族とお別れ。一番お世話になったママがいないのは寂しいが仕方なし。
バスはフィサハラ会場まで行って待機。空港に行くのにコンボイを組むので全部の車がそろわないと出られないのだ。待つ間に真っ暗になり、バスの座席でうつらうつら。そういえばここに来てから習慣になっていた昼寝のタイミングが今日はなかった。
出発できたのは22時15分。集合時間から1時間の遅れは、スペイン人が大半のこのツアーではいつもの事・・・。
途中の検問でもかなり時間を食ったが、車窓から初めてティンドーフの街を見ることができ、嬉しく思う。
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大きなホテルがいくつかあった。一度くらいティンドーフの街に出たかったが、許可が難しいそうで仕方ない。
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23時35分に空港到着。皆さんが外で話をしているのを横目にさっさとチェックインカウンターに向かう。バスの到着が遅かったので、10人目くらいだ。来る時に席がバラバラだったし、うまくすればビジネス席をもらえるかもと思って急いだが、ボーディングパスに座席ナンバーはなく、フリーシートだった。がっくり。出国検査のところで我々よりも前にいた人々は全員荷物が多過ぎるから預けろといわれ進めず、我々が一番に出国手続きを完了した。とはいえ、飛行機は午前2時が定刻、まだ2時間あるのだった。
1時過ぎからゲート前に人が並びだしたので、並ぶ。しかし全然搭乗が始まらず、1時間そのまま。出発時間のはずの2時頃にようやく搭乗。前の人数的にビジネスは無理だと思っていたが、飛行機の入口が前後2ヶ所あり、搭乗券に書かれた番号の前半が前の階段、後半が後方の階段と係員に振り分けられた。1番と2番なので我々は当然前。そして、ビジネスクラスの席をギリギリでゲットした!
出発は30分遅れの午前2時半だった。
来る時の機内食が美味しかったので期待していたが、朝食メニューでがっかり。2時発、7時着予定の飛行機なら当然か・・・。
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時差があるので飛行予定時間は4時間、食事が終わって残り2時間だが、ビジネス席のおかげで少しは眠れた。