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2018 太平洋周遊

マーシャル諸島、キリバス、ソロモン諸島、ナウル、ミクロネシア連邦の旅
日記:2018年01月17日(Wed)

9日目 タラワ(ベソ)

 キリバス4日目、ホテルで朝食を取った後、戦争の遺物を見に行く。キリバスのタラワは数千人居た日本人がほぼ全滅させられたタラワの戦い(1943)で知られている。戦後50年の1995年に初めて訪れた時はタラワ環礁の西端にあるベソ島に数えきれない戦争の遺物が残っていた。どこを歩いていても目に付いた記憶があるが、それからさらに四半世紀経過した今年=2018年の訪問では以前ほど遺物が目に付かない。どうなっているか気になるので地図を手に島を一回りすることにした。
 まず訪れたのは旧日本軍の司令塔跡。大きなコンクリートの建物は、柵で囲われ入れなくなってはいたが、新しい教会の横に残っている。その裏の海に戦車などの残骸が残っていたはずなので見に行ったが、記憶があいまいなこともあり、よく分からなかった。干潟にある盛り上がりが、それと思われる。しかし、50年経っても目立っていたものが、75年でこんなに分からなくなるものなのだろうか。以前に比べゴミが多く、干潟を歩いて近づく気にはなれなず。
 港の東に残っていたガンの場所は今の地図ではメモリアルパークとなっているが、一度は公園整備されたような囲いがあるものの、ゴミだらけの場所となり、悲しい気分となる。
 これは米軍のだと前回教えられた戦車は記憶通りの場所にあったが、色がどうも周りと同化して目立たなくなっている気がした。写真は上が今日のもので下が1995年のもの。写真を見比べるとあまり変わっていないかな。
tank us 2018
tank us 1995
 戦車の周りにもたくさん戦争の遺物が残っているが、その後に壊れた船舶なども放置されており、マニアではない私にはどれが戦争の遺物でどれが新しいものか判別つかなくなっている。そのまま海岸を歩き、島の西端に。一番目立っていた砲台は今も残っていた。
canon jp
 島の南側の干潟に一番たくさん遺物があった記憶があるが、干潟にそれと分かるものはなくなっている。海岸にあるものは残ってはいたが、この四半世紀で何が変わったのかと色々考えてしまった。
 昼頃宿に戻り、写真整理して、サイトの写真館を作る。明日ソロモンに移動したら、インターネット使い放題の環境などありえず、全く使えないかもしれないので、今日のうちに色々やっておきたかったのだ。
 14時頃に出かけ、まずはATMでキャッシング。この国で使う現金は十分にあるが、ここと同じくオーストラリアドルを使うナウルの分もしておいたのだ。ネット情報を見る限り、ナウルでのキャッシングは難しそうだったが、ここに来る時に乗ったナウル航空の機内誌に、新しいATMを全部で9か所設置したのでぜひ使って欲しいという宣伝があった。事前キャッシングは不要かなと思ったが、もしものことを考えて、ここでしておくことにしたのだ。あとは昼食を取っただけで宿に戻った。快適な宿なので最後は宿でのんびり過ごす。
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