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2018 太平洋周遊
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マーシャル諸島、キリバス、ソロモン諸島、ナウル、ミクロネシア連邦の旅
23日目 ナウル(アイウォ→ボエ→ヤレン→ボエ→アイウォ→ブアダ→アイウォ→デニゴムドゥ→アイウォ)
いよいよ独立50周年記念日。式典は8時からだが、VIPの入場が7時半からで、招待客は7時20分までに着席せよとプログラムにある。昨日のイベント中に何度も「明日は時間厳守、ナウルタイムやパシフィックタイムはダメです」と司会が繰り返していた。招待されている訳ではないが、式典の一部始終を見たいと思っており、7時20分までに会場入りすることにする。
いつもは熟睡している6時にアラームをセットして、起床する。6時半、まだ真っ暗だったが、ベランダから外を見ると道路が大渋滞している。さすがに今日は皆さん気合が入っている。しかし、島一周が40分なのに、1時間以上前から大渋滞とは驚いた。会場付近の駐車場が足りず、全く進めないでいるのか。
7時に宿を出る。妻は会場がホテルの隣と勘違いしており、7時15分に出るつもりだったらしく、待っていたら遅れるので一人だ。渋滞は少し解消されていたが、まだまだ車はのろのろと進むだけで、歩いた方が速いくらいだ。後で行われるパレードに参加する多くの車が道をふさいでいることが渋滞の原因だ。二車線道路の片側は完全にふさがれている。パレードに参加する人々はメイン会場には行かず、パレードカーの近辺でそれぞれ朝食をとっていた。少し誘われたが、遅れたくないので先に進む。
本日の会場であるガバメントオフィスは空港の南にある。空港敷地のフェンスが今日は開いており、地元民の参列者は空港敷地内に設けられた座席に集まっている。フェンスの開いている場所は会場のかなり手前だったので、様子が分からないまま進んでしまい、私は招待客が着席する側に着いてしまった。フェンスの向こうの地元民席ではすでにふるまいの食事が出され、皆さん朝食をとりながら待っている。車も空港敷地内を臨時駐車場にしていたので問題ない様子であった。招待客側の座席があるのがもちろん会場の中心部側。その中心にはスーツを着た招待客たちがすでに着席している。その左右と後ろにも席が設けられており、後ろの席に座るように案内される。その辺りにいたのはバナバ島のダンサーたちとグアムのダンサーたち。台湾チームは右手に台湾ファーム関係者たちと陣取っている。左側は教会関係者の席となっている。会場側でも食事の準備はされていたが、まだふるまわれてはいない。こちらの皆さんちゃんと宿で食事をとってきているのだろう。
到着してすぐに各国代表列席者の入場が始まった。定刻よりも早い7時25分である。国ごとに用意された車が到着し、代表者が姿を見せると国名、肩書、名前がアナウンスされる。指定された席着いたら次の国の代表となる。20数ヶ国の代表が参加しており、しかも、後から来た参加者は当然先に着いている人々にあいさつしながら席に向かうので、その入場だけでも相当に時間がかかる。その途中に妻が到着した。地元民席側ではなく、招待客側に入らせてもらっているので人数が少なく、バラバラに動いてもすぐに合流できそう。最後部の席は良く見えないので、それぞれカメラを持って再び別行動することにする。大統領や首相など国のトップが参加している国は9ヶ国。日本代表は外務副大臣であるとプログラムに記されていたが、実際の代表はワンランク下の外務大臣政務官である堀井巌氏で、肩書は首相の代理とアナウンスされた。
各国代表の入場が終わるとブラスバンドの入場。式典の正式名称は、Flag Raising Ceremony すなわち国旗掲揚式なので、今日はブラスバンドが重要な役割を担っている。そして、いよいよ大統領夫妻の入場だ。今日も元気でにこやかだ。続いて、教会チェアマンが行う開会の祈り。そして国旗掲揚へと進行する。日本のイメージでスルスルとポールの上へと上げていくのかと思っていたら、ポールの先端に既にあげてあり、ひもを引っ張って結び目を解くだけなので、一瞬だった。もちろん紐を引いたのは大統領。ポールは、50年前の独立式典の時と全く同じ場所だそうだ。
続いて国家が流れ、終了と同時にたくさんの風船が飛ばされた。続いて、大統領がブラスバンドの人々の中を、ゆっくりと回った。
高い場所に上り、動画を取ったりしながら続く儀式を見ていた私のところに妻が困った感じでやってきた。ホテルのベランダに出るドアのカギをかけ忘れて来たという。ベランダは他の部屋と共用だし、隣の建物から簡単に入れる構造になっている。そして、式典中は部屋にいないのがバレバレ。とはいえドアが開いている訳だなく、こんな日にベランダのドアのカギを確かめに来る泥棒もいないだろう。プログラムを確かめるとしばらくは要人の挨拶が続く。私は挨拶も聞く気満々だが、妻はそうでもない。彼女が楽しみにしているパレードまでには余裕で戻れそうなので、妻が一人で戻ることになった。
教会合唱隊の歌の後で大統領の挨拶が始まる。大統領は、メモに視線を落とすことなく、ナウルの歴史などをとうとうと語る。感極まって、目頭を押さえる様子も見受けられた。ナウルの基幹産業であるリン鉱石採掘やその資金で始めた航空事業やホテル事業などは、いずれも繁栄、衰退、復活と推移してきている。ナウル航空が沖縄や鹿児島に就航してきていた時代を誇らしげに語り、その後、運行が完全にストップしてしまった出来事も淡々と語る大統領。徐々に路線を復活してきている現状を語り、この3月にはグアム線復活が決まったとナウル航空の話を締めくくった。再開されたリン鉱石採掘事業や改装されてきれいになった国営ホテル等々、国の現状に自信があることがうかがえる演説だった。
ナウルは小さな島で人口も1万人ほどなのに、12の部族に別れているという。それぞれ伝統衣装を身に着けた代表者が招かれており、紹介されたが、なぜか2部族欠席。
太平洋戦争中の1942年から1945年までは日本がナウルを占領しており、1943年には日本が全島民を現在のミクロネシア連邦チューク、当時の南洋庁トラック諸島に強制移住させた。戦争が終わりチュークから島民が帰還したのが1946年1月31日である。この記念すべき1月31日を意識してナウルは独立したので、独立記念日=トラックからの帰還記念日となっている。独立記念日のたびに日本が行った強制移住の話が出てしまうのは何ともいえない気分になるが、この式典の名称にも独立記念日と共に帰還記念日がしっかりと併記してある。そして今年で92歳になるというおばあさんが、この日は帰還者代表として挨拶をした。ナウル語だし、声が弱々しく、中身は全く分からないが、皆さん神妙に聞いていた。
式典が終盤に入ったころに妻が戻った。片道15分のところへ往復するのに1時間以上かかっており、心配し始めたところだったが、完全に杞憂。ホテルと会場の間は、パレード参加者や見学者、そして支援のふるまいをする人々などでお祭り騒ぎになっているという。多くの島民にとっては式典よりも、今から始めるパレードがメインイベントなのだ。Tシャツなどの記念品やふるまいのサンドイッチ、ハンバーガーなど、お土産をたくさん抱え、妻はニコニコしながら戻ってきたのだ。私は朝食も取らずに見ていたので食べ物が非常にありがたく、その場で食べ始めた。あとでホテルに往復した時の写真を見せてもらったら本当に楽しげな写真ばかりで、少しうらやましくなる。しかし、私は私で、大統領他の熱い演説などで胸を熱くしており、非常に良い経験が出来ている。2手に別れて良かったということだろう。
いよいよパレードの開始。最初は既に会場にいたブラスバンドだ。続いて、各学校、役所、地区、企業などなど、色々なグループが参加している。行進していくだけのグループもあれば、メイン会場の前で停止し、ダンスを披露するグループなどやり方もそれぞれで、自由に楽しみながらやっている。
高校生グループのダンスは練習を積んできたようで、先日カルチャービレッジで見た学芸会レベルとは全く違っている。本当に楽しげに踊っているのも良い。、
ナウル航空は飛行場からタラップを持ち出している。タラップにある旗の一番上が、エアーナウル=最初の国営航空会社で、一時は日本まで路線を延ばしていたが、2005年に破たんしてしまった初代の社名。真中のアワエアーは援助を受けて2006年に復活した時の社名、苦難のもとでも皆でやって行こうという気持ちが表れている。一番下が現在の社名であるナウルエアラインズ、2014年に復活の進むナウルの国名を復帰させ、現在に至っている。
リン鉱石会社は、巨大トラックを3台持ちこみ、それぞれ、原石、ベルトコンベアでの製錬の様子、製錬された輸出用リン鉱石部分を見せてくれた。
泊まっていたホテルも全従業員がおしゃれしてパレードに参加しており、途中妻がホテルに戻った時は完全に無人だったそうだ。
人口1万人程度の国なのにこれほど参加者が多いとはもう本当にびっくり。ナウル史上最大のイベントだと皆がいうだけのことはある。難民支援の人々や難民たちも参加している。組織があるのに参加していなかったのはレストランを経営している中国人たちくらいだろう。約1時間半でパレードは終了。
最後は座席に戻り、閉会の挨拶などを聞く。予定よりも30分ほど早く、11時半頃に式典は終了した。
帰路、お祭り騒ぎだった沿道を垣間見れるかと思ったが、すべては祭りの後という感じで、閑散としている。パレードの進行方向は逆側なので、皆そちらに移動してしまったのだろう。宿に戻ってひと休み。早朝から参加して疲れており、夜のイベントに備え、少し昼寝した。
14時半、再び外出する。明日でも良いかと思っていた内陸部のラグーンを目指して歩く。最初に訪れたのは森の中に残る日本時代の刑務所跡。コンクリートの建物が木々に覆われた森の中に点在して残っている。
さらに進むとナウルで唯一の湖であるブアダ・ラグーンがある。水は緑色できれいには見えないが、湖の周辺何ヶ所かにはベンチが置かれ、ピクニックスポットになっている。ここに来たのは湖を見るためではなく、湖畔にある台湾ファーム訪問の為である。ちょうど台湾人の責任者とミャンマー出身の難民が忙しげに働いており、中を見学させてもらった。もともとナウルでは野菜を育てる習慣がない。そのナウルで野菜作りを根付かせようと台湾が援助の一環として運営しているのがこの台湾ファームで、ナウルに2ヶ所ある。オクラやナス、トマト、カボチャ、唐辛子、青菜、パイナップル、ミカンなど様々な野菜や果実、そして3種類のきのこがここで栽培されている。収穫物は一切販売しておらず、学校などに寄付しており、野菜を栽培しようというナウル人には苗を無償提供し、栽培方法の教育もしているのだという。地面がカラカラになって元気のない野菜が多く見受けられた。日照り続きで水不足になり、現在危機的な状況に陥っているというので、湖の水ではダメなのかと質問してみた。ラグーンの水は淡水といわれていたが、ファームの人によると塩分が含まれており、その水を与えると枯れてしまうだけでなく土壌にも影響があるという。目の前に湖があるというのに難しいものだ。ミャンマー人は、昨年の政府軍攻撃で数十万人が難民となったことで知られるロヒンギャ族で、ナウルに来て4年になるという。米国に渡りたいという希望を持っているのは、これまでにナウルで話をしたパキスタン人、イラク人たちと同じである。皆さんムスリムなのに何故米国なのだろう。最初はオーストラリアを目指していた人々のはずだし、今のトランプ政権である限り米国移住は難しいと思うのだが・・・。
アイウォに戻ってカルチャービレッジへ。インターネットをしに行ったのだが、予想外に人が多い。そのためか、ネットはスピードが遅く、使い物にならない。そこでカルチャービレッジの先まで散歩に出てみた。ビレッジの先はオールドハーバーで、地元の人々が泳いでいる。アウトリガーのボートがいくつか置いてあったが、よく見ると伝統的な木製ではなく、アルミ製。さすがは金持ち国だったナウルだけのことはある。しばらく進み、デニゴムドゥ地区に入ると巨大なバニアンツリーが林立する場所に出た。昔も来た場所だとすぐに思い出したが、何かが違う。定かでないが、23年前はここにゴルフ場があった記憶がぼんやりとよみがえってきた。
今夜のイベント会場はホテルのベランダからも見える場所。来賓、招待客の為の晩餐会だが、壁のないホールで行うために大勢の島民が集まるはず。18時半に招待客の着席、19時に大統領が入場の予定である。
17時半頃に宿へ戻り、シャワーを浴び洗濯物を干そうとベランダに出ると、まだ18時なのにもう大勢の人々が会場に集まっている。急いで準備をし、出かける。ホール内は来賓や招待客の指定席となっているが、ホールの外にもたくさんの椅子が並べられている。晩餐会の食事は国営メネンホテルのビュッフェであるが、島民のふるまい食が会場外に続々と運び込まれてくる。ホテルのビュッフェは贅沢な洋食だが、会場外のふるまい食はナウルのローカルフード。先日はなかった生魚の料理も今日はふんだんに運び込まれてくる。豚の丸焼きも何匹運ばれてきただろう。地区ごとにブースを出しており、そのほとんどに豚があるのだ。野鳥のローストもあり、豚の丸焼きとこの野鳥がナウルのお祭りには欠かせないものだという。鳥の種類を聞くとノディバードだという。知らないなと思ったら、その時も周辺の上空で飛んでいた黒いアジサシ(和名:ヒメクロアジサシ)だと教えてくれた。これは食べねばと思い、ブースの人と仲良くし、絶対に食べたいと頼んでおいた。
豚は食事が始まる前にカットするので、その時にフライングで頂いたが、美味い!
先にテーブルに着いていたのは各国代表の随行の人々などで、国の代表者は朝の式典の時と同じように時間になってから一人ずつ専用車で到着する。到着順も朝と同じで、アナウンスされる内容も聞いている限り同じである。違うのは車の降り口から2メートルもない場所にいたので、皆さんの様子がよく見れたこと。さすがに国家の代表として来ている人々は風格がある人が多く、見ている我々にまで手を振りながら入場していく。唯一の例外が日本の代表で少しがっかり。最後に到着した大統領夫妻は本当ににこやかで、楽しげに到着した。
朝の会場とは打って変わって、皆さんラフな姿で会場は華やかな雰囲気が漂っている。多くの人が同じガラの服を着ているのはナウル政府が用意したもの。スーツしか持ってきていないような各国要人に配慮したのだろう。貴賓席にはワインも用意されている。
大統領の挨拶などが終わり、食事のスタート。私は挨拶の途中で会場から離れ、アジサシの丸焼きの前でスタンバイ、一番にもらって、さらに刺身や焼き魚、タコのマリネなど事前に狙っていたものを一気に確保する。座る場所を確保していなかったので探したところ、またバナバ島のダンスチームのところに空き席がある。外国人グループなので地元の人は少し遠慮しているのか。朝も話をしているので声をかけ座らせてもらう。すぐに食べようと思っていたが、妻がワインをもらってくるといって晩餐会側のブッフェに行ったので、しばらくバナバの人たちと話をする。バナバの人にアジサシをバナバでは食べるかと尋ねたところ、丸焼きされた鳥を見て女の子がキャーとなってとんでもないという反応。しかし、すぐ隣にいたキリバス人はキリバスでは食べると教えてくれた。バナバの人はノディバードという英語名は知らなかったが、キリバス人がキリバス語の名をいうと鳥の種類は分かった様子だった。そうこうしているうちに妻がワインを持って戻ってきた。椅子だけの席でてんこ盛りのお皿とワインを持っていては食事がし難い。困っていたら、会場外になぜかテーブルが一つ運び出されており、そこで食事をしているグループがある。会場内と同じテーブルクロスがかかっているので来賓の人がわがままいって移動したものと思われたが、止める間もなく妻はそこに声をかけており、一緒に食事することになった。テーブルの人々は、マーシャル諸島の大統領に随行してきた人々で、食事などはナウル人のアテンダントに持ってきてもらっている。一人は日本で働いてきたことのある人で、片言の日本語も話せた。何度もワインで乾杯し、楽しい食事会となる。会場内ではインドやインドネシアのダンサーなどが舞台に上がっていたが、昨日に見たこともあり、見に行かず、ずっとマーシャルの人々と話を続けた。
グアムのチームが舞台に上がると昨日までと違ってファイヤーダンスをしていたので、これは立ち上がり、見学。写真を撮りに会場内へ入った妻は終わったらしっかりワインのお替りを持ってきてくれ、再びマーシャルの人々と話し込む。
ファイヤーダンスが終わって本日のメインであるジョージベイカーの登場。世界的に有名な歌手だそうだが、正直知らない歌手で、妻もマーシャルの人々も知らないという。しかし、登場アナウンスがなされただけで、会場はすごい盛り上がり方となる。会話もできないほど場内が盛り上がっているので、歌声に耳を傾ける。聞き覚えのない曲ばかりだが、中には会場全体で人々が口ずさんでいる曲もあり、ナウルではかなりの人気歌手のよう。スマートフォンで調べたところ、オランダのシンガーソングライターで、世界的に知られた歌手であり、日本人が日本語版を出したり、日本のCMに使われたこともあるようだ。会場がさらに盛り上がり、何事かと思ったら大統領がマイクを持って舞台に上がり、ジョージベイカーと一緒に歌いだした。大統領ノリノリで楽しそう。
コンサートが終わると我々の周りにロープが張られ、椅子が並べられた。そうこうしているうちに大統領などが出てきて、すぐ近くに座った。今日はスーパーレッドムーン、満月の皆既月食の夜で、空を見上げるとすでに月はかけ始めている。長時間かかるのにこれからずっと見続けるのかなと思いきや、花火が始まった。日本の花火と違って次々と重ねるように打ち上げられていく。打ち上げている場所はすぐ近くの海岸で、特等席の大統領のそばで見ているのだから、迫力がない訳がない。
花火が終わると来賓たちは再び会場に戻り、本日最後のショーが始まった。人気の台湾雑技団。今日は再び力技で、見応えがあり。何度か話をさせてもらった台湾大使夫人が舞台に呼ばれ、宙を舞ったりもした。
すべてが終了したのは午前1時前。楽しいひと時で、あっという間の7時間だった。長い一日でくたくただったが、皆既月食の写真を撮りたいという妻に付き合って、しばらく屋上へ。しかし、眠さに耐えきれず、先に部屋へ戻ってしまった。