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ロシア、ボルガ&ウラル周遊
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ロシア・沿ヴォルガ管区&ウラル管区32日の旅、ロシア内6共和国訪問
カザン→ボルガル→カザン
もともと2泊の予定だったカザンだが、後から3泊に変更している。変更時に元の宿は満室で延泊できなかった。元の宿もキャンセル料はかからない予約だが、じゃらんで前払いし、ポイントを使っていた。キャンセル時のポイント扱いがどうなるのか分からなかったためにキャンセルはせず、3泊目だけ別宿の予約だ。今日は宿を移らねばならないが、朝食をとってから次の宿に荷物を運んでいては昨日切符を買ったボルガル行きの船に間に合わない。新しい宿が街の中心部なのに、今いる郊外の宿に荷物を預けると取りに来るのは面倒である。ボルガルで荷物を預かってくれるところを探すことにし、荷物を持って宿を出た。
船は予定通りに8時出航。水中翼船なので甲板から景色を見るという訳にもいかず、途中は結構寝てしまった。ガイドブックや旅行記を見る限り船はボルガルの博物館前に着くはずだったのに、なぜが我々の船は手前の小さな桟橋に着いてしまった。バスが待っており、遺跡には簡単に行けたが、バスは有料で、帰りもバスに乗らねばならないという。出航時間が早かったのはこれが原因だろう。世界遺産であるボルガル遺跡への日帰り訪問客が大半の船なので、現地滞在時間がバス往復分短くなっては遺跡で時間が足りなくなるのだ。
バスを降りたところの遺跡の博物館チケット売り場で荷物を預かってくれ、助かった。
ボルガル遺跡は、「ボルガルの歴史的考古学的遺産群」の名称で世界遺産登録されている。中世にイスラームを国教としたヴォルガ・ブルガール国の首都ブルガールの遺跡である。現在の名称ボルガルは、タタール語の発音に準じている。8世紀前後にヴォルガ・ブルガール国の首都になり、大モンゴル国の分裂後にはジョチウルスの首都になった場所だ。今もなお発掘が続いている。
中央の生神女就寝聖堂(しょうしんじょしゅうしんだいせいどう)の奥に見えるミナレットがグランドモスク(13世紀)の大ミナレットで、左に見える東の霊廟、右に見える北の霊廟とともにジョチウルス時代の中心地だった場所。この辺りが遺跡の中心で、生神女就寝聖堂の中は博物館になっている。
ハーンの宮殿跡は遺跡保護の屋根が建てられた広い建物で、ボルガ川に面している。ボルガ川を見ながらベンチで一休み。
川沿いには、当時のゲームをあしらった公園などがあり、遊歩道でつながっている。赤の館と呼ばれる15世紀の公衆浴場跡もあり。
東の館と名付けられた遺跡は13世紀から14世紀にかけての公衆浴場跡で、ボルガルにある公衆浴場跡では一番古く一番大きい。
14世紀のハーンの霊廟と小ミナレット。こちらのミナレットは上に登ることが出来、遺跡全体が見渡せる。
こちらが白の館と呼ばれる公衆浴場跡で14世紀の物。
14世紀半ばに建てられた黒の館は、ハーンの宮殿だった建物。
モンゴルのゲル同様の天幕。
天幕の中。
一番最後に博物館に入った。きれいで大きな博物館は6階建てで、港側が1階だが、遺跡側は6階にあたる。
イスラム記念館は新しく建てられたもの。
帰りの船に乗っている途中で雨が降って来た。今日泊まる宿は港から歩ける場所だったが、雨脚がきつくて歩けそうにない。途中までトロリーバスに乗って、その後止むまで雨宿り。
宿近くのバナエフモスク。
今夜は、タタール人地区の中心部あり、非常にきれいなホテルに宿泊である。