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南ロシアの旅
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~クリミア、北コーカサス、カラムイク~
18日目 ウラジカフカス→ナズラン
北オセチア・アラニア共和国の首都ウラジカフカスとイングーシ共和国の旧首都で最大都市のナズランまでは車で30分ほどの距離しかない。急ぐこともないので午前中は居心地の良いウラジカフカスの宿でのんびり写真整理などする。初日に体調が悪く市場などを見ていない妻は一人で市場に出かけた。私は入り口で写真撮影をしてポリスに捕まっているので、入り口などポリスがいるところでは写真を撮らないよう伝えておいたら、うまくたくさんの写真を撮ってきた。
12時にホテルをチェックアウト。ミニバスでナズラン行きミニバス乗り場に向かう。北オセチアとイングーシの間には領土問題が存在し、政府間の関係は極めて悪い。人々の行き来も少ないのでバスターミナルからのバスはなく、タクシーで移動したという旅行記を事前に読んでいた。しかし、領土問題があるということは国境を越えて住む人々がいるということで、実際の行き来は多い。ミニバス乗り場は町外れ、閉鎖された旧バスターミナル近くの路上にあった。他にここから出る車はなく、ナズラン行きが一台ぽつんと止まっているだけの乗り場だ。我々が到着すると定員となり、すぐに出発したのでどのくらいの頻度で出るかは分からない。
ミニバスの乗客は皆さんムスリムで、キリスト教徒の多いウラジカフカスの人々とは明らかに服装が違う。途中の乗り降りは一切なし。国境に検問所はあったが素通り。25分でナズランのバスターミナルに着いた。街の中心にあるバスターミナルに着くと思っていたのに、着いたのはずっと離れた新しいバスターミナルだ。メイン道路のすぐそばで、周りには何もない場所である。新しいだけに時刻表や地図はしっかりしており、ここからイングーシの様々な村にも行けることが分かる。
バスターミナルから街へはミニバスが一路線だけだったので街のどのあたりに行くのか分からないまま乗車する。こういう時はスマートフォンの地図やGPSは本当に便利だ。地図がなく、言葉も通じない国で、どこでバスを降りたのかも分からないとなるとホテルにたどり着くのも一苦労だが、そんな状況がつい最近までは普通だった。以前なら“ここはどこだ”と必死になって車窓からヒントを探していたが、今ならのんびりと景色を眺められる。首都マガスに行く分岐のところにマガスと書いた大きなモニュメントがあった。以前ならこれを見て、“間違ってマガス行きに乗ってしまった”と焦っているところだ。
街の中心部、もともと到着すると思っていたバスターミナルの近くでミニバスを下車。ムスリム服の女性がさっそうと歩いているのが目に付く。ムスリム服といってもオシャレでアラブ諸国とは違った華やかな印象だ。
驚いたことに路上両替屋がたくさんいる。ビックリするやら、懐かしいやら。ATMが普及し、国境以外の路上両替屋なんてもうずーーーっと見ていない。以前は普通に使っていたが、最後はいつのことやら思い出せないくらい昔の話だ。旅行者のいないこの国で使っているのは地元民?
予約していた宿にまずは向かう。つい最近ブッキングドットコムに登録したばかりで、ロシア人のレビューが2件あっただけの新しい宿だ。外国人が来るのは初めてだったろう。全く要領を得ない受付のおばさんで、たまたまの留守番かと思ったが、そのあとも基本その人しかいない。予約時に支払い済みなのに受付には予約の記録さえない。狭いシングルの部屋に案内されたので2ベットの部屋でOKもらっていると主張するとどこかに電話していた。電話先の人が何日分支払っているとかの管理をしている様子で、今度はすごく広い部屋に案内された。ブッキングドットコムには2ランクの部屋があり、良い方の部屋にアップグレードしてくれたようだ。それでも驚くほどのおんぼろ部屋で掃除の仕方も汚い。レビューに、髪の毛だらけで汚いだの、2度と泊まりたくないなどとあったので覚悟はしていたが、あきれてしまう。仕方なく自分でせっせと掃除をする。手抜きというよりも掃除の仕方が分からないのではないかという印象だ。トイレはアラブ諸国と同じで、尻は水で洗う方式で紙は付いていない。予約確認書にはトイレットペーパー付きとあるので交渉するも、何それという感じ。辞書で調べ正しいロシア語で伝えてようやく何かは分かったようだが、やはりないものはない。代わりにキッチンペーパーをロールでくれて、笑ってしまった。各部屋にテレビは付いているが、アンテナには繋いでいない。電源を入れると最初の設定画面、設置したばかりで見られないのか・・・。
出かけることになり、私が先に外に出て妻を待っているといきなり通行人に軽くパンチを入れられた。冗談かと思ったが、外国人が気に食わないらしく、やばい感じがする男だ。宿の敷地内に逃げたら行ってしまったが、出だしからこれでは先が思いやられる。妻と一緒に歩きだしたら、同じ男が待ち構えていた。手を出して来そうなら先に出して逃げようと思って身構えたが、何かわめいただけで近づいては来ず。
宿の周りに食べるところはなく、1キロほど先のバスを降りた辺りまで戻って昼食をとる。肉がどーん、付け合せは麺。ロシアはもちろん、ここまでのコーカサスとは全く違う食文化である。
近くの小さな市場を散歩。観光客が来ない場所なので、皆さんがこちらに興味津々。一緒に写真を撮ってくれと頼まれたりもする。スマホはここでも普及しており、写真はスマホで撮れるのだ。古いバスターミナルに行ってみた。どこ行きなのか全然分からないバスが、中や外に停まっている。案内板や窓口など一切なく、新バスターミナルとは全く違う。明日以降にどこに行くか考えようと来てみたが、うーん。
市内のミニバスに乗って一番大きな市場に移動。市場の雰囲気も他のロシアと違って、エチオピアの市場をまず思い出す。妻は西アフリカの国を挙げていた。
中の一角はアラブ諸国を思い出す派手さと商品の並べ方だ。大きい市場でどこにいるのかも分からなくなるような不思議な市場なのだ。
市場近くの食堂でポットティーを注文する。大きなポットが2つ出てきて注文がうまく通らなかったかと思った。実は、一つのポットが非常に濃い紅茶で、もう一つがお湯。自分で濃さを調整して飲めるようになっているのだ。濃い紅茶を入れておいてお湯をさす文化はイランなどでも見たが、同じポットが2つ出てきたのは初めて。刺激の多い国でワクワクしてくる。
食堂でもおじさんたちと記念撮影。次は少し先のモスクに行くと伝えたら、わざわざ車で送ってくれた。送ってくれた人には異教徒は中に入れないよと言われ、入り口にいた人にも最初は止められたが、日本人旅行者だと伝えると喜んで入れてくれた。
テレビが映らないので今日はワールドカップが見られない。おかげで時間ができてゆっくり日記が書けた。妻はテレビの設定に一人で苦闘。アンテナがなくても宿の人はインターネットで映像を見ているのでネットにはつながるはずだが、それもうまくいかず。テレビに白旗を上げられ、そのまま寝てしまった。
遅くになって、ネットが切れてしまった。インターネットで地名などを確認しつつ日記を書いていたので切れたら困るが、仕方ない。しばらく書き続けていたら妻が目を覚ました。スマホでインターネットをしようとしたのでWIFIが切れていることを伝えると寝ぼけたまま、繋いでって頼んでくると部屋を出て行った。そして・・・
以下、私は見ていないので妻のメモ
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ロシア語しか表示されないテレビの初期設定に、ロシア語が分からない私は小一時間格闘し続け、疲れた。
疲れて、少しベッドで寝ていたようだ。
夜10時すぎだったと思う。目が覚めると、和人が「Wifiが来てない」と言う。
「じゃあ、1階をちょっと見てくるね」と、私はスマートフォンを持って部屋を出た。
屋外の階段で2階から1階に降りようとするとき、1階の部屋の出入り口で、私の物音を察した宿のおじさんがこっちを見た。
私がのんきに「ワイファーイ、ニエット、ナーダ」(Wifi飛んでないですー)と言っても、何かを言いたげな目でこっちを見ている。しかし一切声は出さない。おじさんは何かを伝えたい顔のまま、部屋に入りドアを閉めてしまった。・・・今のは一体何だろう? でもWifiはほしいので、階段をトントンと降りて、のんきに、私はそのドアを開けてしまった。
大柄の男がいた。
目しか出ない黒覆面。
ごっつい迷彩服。ものすごい重ね着に見えるのは、防弾チョッキを中に着ているからか。
服の上にチョッキを装着し、胸部に拳銃が4つも入っている。腰には弾薬をずらりと巻き付け、背中に長いライフルを背負っていた。
こんな重装備の男が、目しか出ない覆面で黒づくめになり、部屋を徘徊しているのだ。
ソファやテーブルやテレビがある12畳くらいのリビングに、その、イスラム国兵士のような恰好の男が部屋の中央を闊歩している。宿のおじさん、宿のおばさん、その家族の3人は、部屋の角で(すなわちそれぞれが離れた状態で)椅子に座っている。宿の人は何もしゃべらない。覆面男も、銃を片手に持ち、何もしゃべらない。
ものものしい雰囲気であることは、私にも分かった。
なのに何故のんきモードから抜け出せなかったんだろう。
「さすがイングーシ!!テロとかあるって言われてるものね~、宿の警備員も本格的だわ~、ごっついわ~、守ってくださるわ~」と、巨大な勘違い発生。
ここからしばらく経ってから気づく。警備員なんかじゃない。
この迷彩服に重装備の覆面男が、テロリスト?
Wifiがなかったのも、外部との接続を遮断させられていたのだろう。
なのに馬鹿だ。スマホをキラキラふりまわして、「ワイファーイ、コネクショーン、ヤハチェラービー」(Wifiつないでほしーなー)と、宿のおばさんの座るソファにちょこんと座った。でも、いつもは愛想のよいおばさんが何も応答しない。
流石にこのとき気がついた。
ヤバイところに来てしまった。
ここからは私も一切無言である。スマホも即座に隠した(もう遅いが)。
覆面男が何かを合図した。
それに対し宿のおばさんが「彼女は日本人だ、関係ない」と言った言葉は、私もしっかり理解できた。
ときどき、銃の音だろうか、カチャッという音が鳴る。
誰も何もしゃべらない。
その後は私も何もしゃべらなかった。まだ恐怖心は感じていなかった(鈍感)。うつむかずに、部屋を見渡しながら、無事に脱出する方法を考えていた。つい覆面男と目が合い、ぺこりと会釈をしたら、覆面男も首を前に動かした。あの首の動きが何を意味するのかは分からない。よって、日本人感覚で会釈をした私も、再び馬鹿だったのかもしれない。
結論は、「素直に、出ていこう」。
「OK、おやすみなさい」と(ロシア語で)言って、その部屋を静かに後にした。私が部屋を出るとき、別のドアから覆面男の仲間が入ってくるのを見た。部屋を出るタイミングが遅れなくて幸運だった。
自分の部屋に戻り、和人に、「覆面男が下にいる。銃を持ってる。」と報告した。
さすがイングーシ。
強烈すぎる。
部屋に戻ってしばらくして、すべてに辻褄が合って、背筋がぞわっとした。私が1階に降りようとするとき、おじさんは、声を出せない状況の中で私に来るなと伝えていたのだ。そもそも夜になってWifiが切られたことも辻褄が合う。この宿が酒を販売し、すなわち反イスラム行為をしていることが、問題であるように思う。
逆らったら(あるいは逆らったとみなされる行動をとっていたら)どうなっていただろう。こっちが何もしなくても相手の機嫌次第でどうなっていただろう。
まだ1階では足音や物音が聞こえる。
いつ連行されるかも分からない。
私は、寝る服から外出の服に着替え、部屋に出ている荷物をリュックに詰め、眠れない夜を過ごした(そのうち寝ていたが)。
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扇風機もない部屋でパンツ一丁になって日記を書いていた私はまず服を着て、貴重品は身に着けた。パソコン以外の荷物も片づけた。覆面男達に見つからずに逃げることは宿の構造上不可能なので、後は開き直って待つしかない。日記を書くのを再開したが、窓を開けて裸でいても暑かったのに、服を着て部屋を閉め切っていてはすぐに汗だくになる。“どうせ居ることはばれているので、銃を持ったやつが来たら開けるしかない”そう思ったらバカらしくなり、窓を全開にする。他の宿泊者が呼ばれて下に降りたが、しばらくして無事に戻ってきた。さらに時間が経って、覆面男達が帰る音がした。戻って来てもおかしくないと考え、しばらくそのまま日記を書く。インターネットが復活し、終わったことを確信、ほっとした。