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~クリミア、北コーカサス、カラムイク~
26日目 デルベント
山間の村に日帰りしようと考えていたが、連日の猛暑で疲れがたまっており、本日は休息日。午前中は快適なホテルの部屋で過ごした。昼食は妻が初日から行きたがっていたレストランに行く。このレストランの外にはダゲスタンの各民族名が入ったヒンカルの写真がずらりと並んでいる。ヒンカルというのは、ダゲスタン料理の主食で、下の写真の白いパンのように見えるもの。民族によっていろいろあるそうだが、基本的にはパスタに似ているものが多い。普通はそんなに種類を置いていないがこの店は色々あって選ぶことができる。写真は、ダゲスタンの人口約3割を占める最大民族アバール人のヒンカルとチキン。
昼食後は昨日タクシーで通った旧市街の東部に向かう。宿前の道をまっすぐ南に進むと突き当りに小さなバスターミナルがある。バスターミナルといっても古いターミナルで、今は駐車場となっていてバスはない。そこを突き抜けると、広い市場があった。バスターミナルが賑やかだった頃は栄えたのだろうが、今は屋外の区画は店がなく、建物内部も開いている店はまばら。当然、客も非常に少なく、がらんとした場所だ。この市場の南に城壁がある。地図には載っていないが、航空写真で見つけたので来てみたのだ。城壁はきれいに残っていた。城門もあり、そこから旧市街に入りたかったが閉まっている。通用門らしきものもあったが、そこも施錠されている。結局元来た道を戻り、大回り。
地図の道は途中で切れているが、航空写真では城壁の南北に歩道らしき道があるところで再度挑戦。城壁が一部崩されており、無事に旧市街に抜けることができた。この辺りの城壁は上部が崩れたまま放置されているが、それでも他には切れ目なく、見渡す限り連なっている。
旧市街には古い建物もチラホラあり、ロシア語の説明が建てられているものも多い。世界遺産登録に対応して、それぞれの説明をウェブ上に作ったようで、QRコードが表示してあった。写真を撮って、後で試したが、リンク切れ。写真の建物は、案内板の唯一の英語では Arcade Building となっている。建物上部にはロシア語の市場の文字も見えるので、デパートのようなものだったのだと思われる。
旧市街は、3ブロック分で幅は300メートルもなく、すぐその先の城壁に到達した。城壁の長さは要塞からカスピ海までのが3キロなので、デルベントは、本当に細長い交易都市だったのだ。南の城壁に沿って建物が並び、近づけないようになっており、抜けられる場所を探しながら東に進む。
ようやく南側に抜けられたのは昨日タクシーでも通ったデュバリカピ門だった。ササン朝ペルシャ時代の城門で、上部は今世紀になってから修復したもの。
帰路は昨日タクシーに乗ってしまって歩かなかった海側の道を歩いて宿方面に向かう。相変わらず暑いが、急に暑くなったチェチェン以降日数も経過しており体が慣れてきたのか、午前中休んだ効果か、昼間に歩いても今日は楽に感じる。それでもアイスクリームや冷たい飲み物がうまく、最近は毎日食べているのは変わりない。
サッカーは今日から決勝トーナメント。少し開始時間が遅くなり、見やすくなった。1試合目と2試合目の間隔も長いので、その間に夕食に出ることができるので、気分は楽になった。初戦のフランス・アルゼンチンを堪能した後、ホテル併設のレストランへ。落ち着いた趣のある高級そうなレストランだが、値段はリーズナブルで、昨日の2軒目よりはずっと安い。
味も量も満足で、ダゲスタン料理はこの2日間で十分に堪能した。妻が色々質問するので、レストランの人がお土産に肉にあうザクロソースをくれた。飛行機に乗る時に預けねばならなくなるサイズの液体なので、帰路便で困るが仕方ない。
食べている途中で店の個室に来た上品なおじさん達が、ぜひ話がしたいから食事が終わったら顔を出してというので、訪問する。食事をしているというよりも宴会をしていた様子で、そのまま参加することに。参加者は警察のお偉いさんで、7、8人いた。みなさんダゲスタンの人で、デルベントに遠くから来てくれて本当にありがとうと何度も言われた。長年紛争で外国人の来なかった街に旅行者が戻ってきたと心から喜んでいる様子で、酒もつまみもたくさん勧めていただく。ホテルと同じ建物という安心感もあり、すっかり酔っぱらってしまった。